第405話 閑話休題~クラスク村の一日~
「ア~」
「ウ~」
「おーよしよしよし。がんばれー、もう少しもう少し!」
ミエの≪応援≫の下、床を這いながら双子の娘ミックとピリックが彼女の膝元までやってきて、スカートをはっしと掴む。
「はいよくできましたー! よしよしよしよし……って重くなりましたねえ!」
よっこらしょと抱き上げて、我が子の重さに驚くミエ。
娘達の重さは今ではそれぞれ10kgほどはあろうか。
二人抱えればかなりの重量である。
一方で長男のクルケヴはハイハイを卒業できたのかよたよたと歩きながら目の前の巨大な膝に突進する。
そしてその膝に抱き着くと、勢い任せてよじ登り始め、膝の上へと到着した。
さらにおっぱいを求めてその胸に飛び込もうとするが…
「おいおいおいそりゃ流石にダメだ。そもそもあたしのはまだ出ねえよ。半年早え…いやもっとだっけか?」
指先で服をつままれぶらんとぶら下げられる。
クルケヴは何かを求めるように両手をばたばたとさせながら目の前の巨大な標的…ゲルダの胸に向かって必死に伸ばす。
そう、ここはゲルダの…より正確に言えば彼女の夫であるラオクィクの家である。
観光地向けの村づくりが為された際、旧来の家は大幅な増改築や新築が行われており、この家ももはや昔の面影はない。
シャミルの家程ではないけれど、それなりの大きさの一軒家となっていた。
「オッパ! オッパ!」
「…お前もしかして乳が出ねえ胸吸いたいのか。ちっちゃくてもオークだなオイ」
目の前で己に吊り下げられながらじたばたもがくその小さなオークに半ば呆れ半ば感心するゲルダ。
「すいませんゲルダさん相手させちゃってー」
「いーよいーよどーせ暇だから。ったくこんな調子いいんなら店に行っときゃよかった」
不満をごちるゲルダを、腰に手を当てたミエがたしなめる。
「ダメですよー無理しちゃ! お腹の子を大事にしてあげてください!」
「ミエに言われたかねーよ!」
思わずゲルダが突っ込むのもわからぬではない。
なにせ大きくなったお腹を抱えてこの街の前身である村づくりに奔走していたのはかつてのミエ当人である。
「それを言われると弱いんですけど…おーよしよし」
抱き上げた双子の娘をゆっくり揺らしながらあやす。
ミエのそんな様子を眺めながらゲルダは少し可笑しそうに目を細めた。
「流石に慣れてんな」
「そりゃあ母親ですから! 母親ですから!」
「なんで二回言うんだ」
「大事なことですので!!」
「そっかそっか。いっつも出歩いて仕事仕事ばっかりだから子育てのやり方なんて忘れてるもんかと思ったぜ。ハハッハ…ハ」
ゲルダとしては軽口のつもりだったのだが、ミエは思った以上に気にしているようで、娘二人をぎゅっと抱き締めながら泣きそうな顔をゲルダの方に向ける。
「そうなんですよー! もう忙しくって忙しくって! この子達の世話もマルトさんに頼りっぱなしだし! どうしましょう…この子達がおっきくなったら私と旦那様のこと母親と父親って思ってくれるんでしょうか! こうよそよそしい態度で『本日もお日柄がよろしいですね、おば…お母…さま?』とか言われちゃったりしませんかね!?」
「ミックとピリックはともかくオークの子がそんな礼儀正しい言葉遣いすっかね…」
服をつまんで目の前にぶら下げているクルケヴを眺めながらゲルダが実に率直な感想を漏らす。
クルケヴは幾ら暴れても目の前のおっぱいに辿り着けないとわかると、自らが宙に浮いていることに興味が移ったのかキャッキャしながら手足をばたつかせている。
切り替えが早いのか移り気なのかちょっと考えどころだな、とゲルダは少し真面目に悩んだ。
「母親の下りは置いといて……まあ大丈夫じゃねえかな」
「そうでしょうか…」
「だってオークは母親なんていなくてもちゃんと育つだろ」
「全然ふぉろーになってないでずぅー!」
そして出て来た彼女の結論に、ミエは半ば本気でツッコミを入れる。
「お待たせぇ、しましたぁー」
…と、そこへ扉が開いて向こうから何者かがやってきた。
小人族のトニアである。
彼女の両手…もとい指先にはそれぞれ皿が二つずつ、計四枚摘ままれていた。
随分器用な持ち方である。
…が、両手で皿を持っていたらそもそも扉が明けられないはずである。
まさかに無作法にも足で蹴り開けたわけでもあるまい。
案の定彼女の上から手が伸びて、扉のノブを握っていた。
この家の家主の一人、エモニモである。
「わあ! できたんですね!」
「はぁーいぃー」
妙に間延びした声で返事しながら、トニアはてとてとと歩を進めミエとゲルダの脇にあるテーブルの上に背伸びしながらその皿を…
「うんしょ、うんしょ」
「私がやりましょうか」
「大丈夫ですぅー…うんしょ、うんしょ!」
…並べた。
「ほぉー、それが言ってたレモン色って奴か」
「…………」
その皿の上のものを見つめながら、ゲルダが物珍しげにそう呟く。
一方のミエはゲルダの言葉に何故か何やら複雑な表情を浮かべていた。
皿の上にはなにやら綺麗な色どりの半球状のものが乗せられており、そこに白いソースが幾重にも網目状にかけられている。
そして横に添えられたのは食器具のスプーンだ。
これですくって食べるのだろうか。
「エモニモさんもぉー、ありがとうございますねぇー」
「いえ、私も手持無沙汰だったので。助かります」
そう言いながら二人は椅子に座る。
ゲルダも椅子の向きを直し、ミエも彼女からクルケヴを引き取って席に着いた。
「では…いただきます」
「はぁーいー」
そしてスプーンつかってその皿の上の球状のものを掬って口に運び…
「む、うめえ!」
「これは…!」
「美味しい! 美味しいですトニアさん!!」
ゲルダ、エモニモ、ミエの三人の口から賞賛の声が響いた。
「ありがとうございまぁーすぅー。でも全部アイデアはミエちゃんのものなのでぇー、お礼はミエちゃんにぃー」
「おーそうだったそうだった。しかしうめえなこれ。氷菓だっけか?」
「はい! ゲルダさんやエモニモさんのお口に合うと思って!」
そう、トニアが作って彼女らが今まさに口にしているそれは、氷菓…いわゆるシャーベットである。
「確かに美味しいですけど…なぜ私達に?」
「お二人とも妊娠してから味の好みとか変わりませんでした?」
「「!!」」
「だとしたらすっぱいものと冷たいものなら食べやすいかなーと思いまして」
ゲルダとエモニモは顔を見合わせて己が手にしたスプーンを見つめる。
「確かに食べやすいわコレ」
「そうですね。妊娠してから食べるものによってはちょっと胸焼けがしますから…」
「やっぱり」
「なるほどー、だから氷菓なんですねぇー」
「はいー」
トニアに釣られてつい間延びした口調になってしまうミエ。
妊娠中はホルモンバランスや精神状態の変化によって味の好みなどが変わることがある。
酸味のあるものや冷たいものがよく言われるのは胸やけや吐き気などで口の中の環境があまりよろしくないことが多いため清涼感のあるものが好まれるから、というのもあるようだ。
「これも全部冷蔵庫のおかげですぅー」
「ほんとすげーもん作りやがったなシャミルの奴」
「確かに。あれは発明ですね…」
そう、今日はつわりが辛いとこぼしたゲルダたちの家にミエとトニアで例の冷蔵庫を持ち込んで、この家の台所を借りて冷蔵庫で作れる『つわりに効く食べ物』を作っていたのである。
ちなみにキャスは現在エモニモが産休で休んでいる間に衛兵隊を率いることとなった副長たるウレィム・ティルゥと共に衛兵達の教練を行っており、多忙につき本日は来れないとのことで、エモニモを随分と消沈させていた。
一同が感心する氷菓…シャーベット。
ただミエは目の前のそれについて少々物申したいことがあった。




