第403話 熱量保存の方策
「確かに…確かにそれなら庶民相手でも十分商売になるニャ…!」
アーリが脳をフル回転させ目の色を変える。
「ですよね! あ、あとそれとですね。ついでに蓄熱池を回収したいんですよ」
「む…?」
ミエの言葉にシャミルが怪訝そうな声を上げる。
「待てミエ。庶民に流通させるのは劣化版の蓄熱池じゃろ?」
「はい」
「使用済みを回収してどうとする」
「ええっとですね…」
もっともな問いかけにミエがどう答えたものかと少し思案する。
「さっき聞きましたけどどれくらい使ったら使用済みになるかってわかるようにできるんですよね?」
「まあ不可逆な錬金術反応に色を付ければ可能じゃろ。この部分の色が赤くなったらそろそろ~的な感じじゃな。目盛りで示せと言われたら少々面倒じゃが」
「それで十分です! で蓄熱池を新たに購入してもらう時、それまで使ってた蓄熱池を引き取る事にします。その時最後の蓄熱をしっぱなしのものを回収するなら新しい蓄熱池は安く買えるように、ってするんです」
「むむ……?」
劣化版とはいえ何度も使える蓄熱池の最後の一回。
それを使い切るか取っておくかで新しい蓄熱池の価格が変わるなら、それは大概の者は最後だけは使わずにとっておくだろう。
「むむむ………?!」
それが回収される。
つまり一回限りだがいつでも熱を放つことのできる蓄熱池がこちらの手元に残る。
それも一つではない。
各家庭から定期的にそれが回収され続け、貯蓄され続けるのだ。
「熱の備蓄か……!」
シャミルは愕然として己の生み出した冷蔵庫を凝視した。
彼女的には蓄熱池は半永久的に使えるものという前提で、冷蔵庫とセットで完結したものに設計したつもりだった。
多少値は張るがまあ趣味の追求のようなものだからそれでいいと考えていたのだ。
だがミエの発想は違った。
あえて劣化品を大量生産することで蓄熱池の『数』に意味を持たせ、それを回収することで熱量を備蓄、確保しようとしているのだ。
適切な装置さえあればいつでもどこでも誰でも恩恵を得ることができる、携帯性の高い熱エネルギーを恒久的に確保しようというのである。
「はい! ずっと使える熱があればオーク川から摂った水を蒸留して綺麗にして飲用にすることだってできますし、お湯のお風呂だって沸かせますし、旅先の使い捨てのコンロや携帯用の暖炉としてだって使えます! 常温で保存可能な蓄積できる熱源があって困る事ってありませんよね?」
「「「おお…!」」」
滔々としたミエの説明に一同が感心する。
「本気でとんでもないこと考えるニャこの娘…!」
アーリも確かにこの冷蔵庫には大きな商機があると感じてはいた。
だから先程ミエと同じように興奮し、盛り上がった。
ただミエが意識していたのはアーリが感じていた商機のさらに先にあった。
ミエが述べているのは単なる冷蔵庫とそこから取れる熱源だけの話ではない。
持続的な熱源確保とそれの恒常的な利用…それは即ちこの街の熱エネルギー運用方針自体の改革であり、冷蔵庫をそのためのいわばインフラの確保の前提条件として利用しようとしているのだ。
インフラ整備なのだから公共事業であり、公共事業なのだから街から補助金が出る。
冷蔵庫単体で儲けを出そうとしていないのも当然である。
その後の持続的な収入と熱源確保自体が彼女の真の目的なのだから。
それは商売人としてのアーリのそれとは明らかに異なる、為政者としての視点である。
「ううむ…おのれ」
「ふぇ!? もしかして何か問題が!?」
「もしかしてもなにもあるか! ミエ、お前の持ってくるアイデアはいつも面白そうで困る! つい協力したくなってしまうではないか!」
「なんでそれで怒られてるんですー!?」
がなり立てるシャミルにミエがショックを受ける。
「御家庭にー、安心した火元が作れるならぁー、お料理のパンフレットとかも作れそうですねぇー」
「お料理本ですか! いいですね! せっかく熱源が確保できるんですし活版印刷とかもやってみたいです!」
「熱…蒸発…つまり蒸留酒ももっト楽に作れル?」
「はい旦那様! それはもうばっちりと!」
「イイナ! 採用スル!」
「やたー!」
万歳しながら小躍りするミエの横で沈思に耽るシャミル。
「蒸気…蓄熱池を携帯性のエネルギーとして用いれば蒸気で水車を動かすように車輪を…いやパワーが足りんの。何かこう蒸気で内圧をかけることで筒状の物を内側から押してその押し出された空気圧を動力として…ふむ。馬のいらぬ馬車が作れるかもしれんの」
「蒸気自動車ですか!? シャミルさんあの説明だけでとんでもないこと考えつきますね?!」
「なんじゃそのカッコいい呼び方ー!?」
次々と湧き出るアイデアや着想に盛り上がる一同。
そんな彼らの中で…唯一口数少なくミエを見つめる娘がいた。
イエタである。
彼女は驚きを以てミエを見つめ、小さく唾を飲んだ。
『ミエ様には、何かが見えている』
そう、思わざるを得ない。
イエタがこの街に派遣されてきた理由…神託。
そして己自身が視た啓示。
それらのことからイエタはこの街の最重要人物をクラスクとミエの二人と見立てていた。
これまで彼らを観察していてわかったことは二人とも基本善性であるということ。
特にミエの方は驚くほどに善良であり、神を信仰こそしていないもののその敬虔な様は聖職者にも劣らぬほどに思えた。
遥か遠くにある理想を真っすぐ見据え、信念を持ってそちらへ進んでゆこうとするところもまた神の道を歩む者を感じさせた。
…これまでは。
だが、違う。
彼女をそう評価しながらもどこか感じていた違和感に、イエタは今ようやく思い至った。
聖職者の理想は己が信仰する神の思想の体現であり、それは天上にはあってもこの地上の何処にもありはしない。
ありもしないものを、だが実現すべくその教えを広めるのが彼女たちの信念であり、それを信仰と呼ぶ。
だがミエは違う。
彼女の見ている先はまるで確実に存在しているかのようだ。
この世界が、今という現実がミエの見据えている先に通じていて、それは歩みを止めさえしなければいつかは到達可能で、ただ今はそのピースが揃っていないだけ。
そしてミエにはそのピースが見えている…そんな風に思えてならない。
ミエが…彼女が、
その未来を優れた智謀によって現出せしめているのか、何かの幻視を見ているのか、それとも実際に知っているのか、そこまではわからない。
ただそれはとてもとても希少な資質であり、そして彼女の心が、魂がとても善性であることがこの街に、そしてこの街のオーク達にとても良い影響をもたらしているのは間違いない。
イエタは彼女が大オークたるクラスクの妻女に収まってくれたことを神に感謝した。
そして…この二人に末永く幸せでいてもらいたいと、己の命を投げうってでもそうしてみせると、改めて心に誓ったのだった。




