第401話 蓄熱池
「ふぇっ!? でもでも、物を冷やすのはすっごく大変だって…!」
「魔術でも直接物を冷却したり熱したりするのは大変でふ。何もないところにプラスもしくはマイナスの熱量を発生させるわけでふから。でふが熱量を片方からもう一方に移すだけならそんなに難しい事ではないんでふ」
「無から有を作るわけではなく単なる熱の伝達をしとるだけじゃからな。エネルギーとしては等価でその総量は変わっとらん」
「はいでふ。圧縮不要の簡易魔法の範囲内で使用可能なのでだいぶお安くできたでふ」
「あ……っ!!」
ネッカとシャミルの言葉でミエはハッと気づく。
「あれ…じゃあもしかしてシャミルさんが作ったこの黒いネジみたいなのって熱を溜めてるんですか?」
「うむ。この熱伝導式溜熱保存機構の意義としては…」
「あー! なるほど! つまり蓄電池ならぬ蓄熱池ってことですね! すごい!」
「なんじゃそのカッコいい呼び方ー!?」
ミエの快哉に思わず全力でツッコミを入れるシャミル。
とは言ってもミエは特段変な事を言ったつもりはない。
単に己の世界での『熱を蓄える』という名詞をこの世界の言葉で言っただけだ。
「わしも! わしもその呼び方にする! よいな!」
「それは構いませんけど…つまりこれって魔導術による熱の移送…?」
「はいでふ。この石の扉を閉じると魔術が起動され熱の移動が起こりまふ。移送先はその…ええっと蓄熱池に限定されてるのでそれを嵌めない限り中のものは冷えないでふ」
「へー、へー、へええええええええええええええええええ」
「わしにも言わせい。はめ込む蓄熱池が多い程奪う熱力は増える。そして熱の移動は水平方向にしか起こらん。ゆえにこうして内部に板を敷いて三段にしてやるとじゃな…」
「ああ、一番上だけ急速冷凍、なんてのもできるわけですか! すごいですね!?」
「わしに最後まで説明させんかー!」
がなり立てるシャミルを横に顎先に小指を当ててミエが考え込む。
「ねえシャミルさん」
「なんじゃ」
「もしかしてこの蓄熱池って、溜めた熱を利用できたりします?」
ミエの質問に対し、シャミルが不思議そうに眉をひそめ、ネッカと顔を見合わせた。
「当たり前じゃろ。そうでなくばなんのために貯め込むのか」
「………っ!」
目を丸く見開いてミエが驚いた。
「ほほう。お主でもそんな風にぎょっとする事があるんじゃな」
「当たり前ですよう!」
ミエの反応が嬉しいのかニヤニヤと笑ったシャミルは、ネッカに指示して部屋の端にあったテーブルを中央に運んできた。
その上には方形の鉄板が置かれている。
横に何やら棒のようなものが付いていて、何かのレバーのようにも見る。
「ここに蓄熱池がある。そちらのものとは別の、既に熱を十分貯め込んだものじゃ」
「なんですかその三分間クッキングみたいなの…ってゆうか熱くないんです?」
「この状態ではな」
別の机の引き出しから蓄熱池を取り出したシャミルは、それを鉄板の底に取り付ける。
その鉄板の下部にはちょうど蓄熱池をはめ込むための六角形の穴があった。
「この六角形の部分をじゃな、冷蔵庫以外のもので周囲から強く締め付けてやると…ぐぎぎぎ」
そして鉄板を戻したシャミルは、レバーを強く引く…が、途中でだいぶ重くなったようで、横からネッカが慌てて手を貸した。
「むむ。もっと軽く引き切れるよう調整が必要じゃな」
そう呻くシャミルの横で、鉄板からみるみると白煙が立ち昇る。
熱せられている証拠だ。
「こうして鉄板を熱すればその上で肉などが焼けるし、上に鍋などを置けばそのまま調理も可能じゃ」
「「「おおー!」」」
一同から嘆声が上がる。
「まあ…火もつけていないのに…まあ」
「便利! スッゴイ便利! シャミルとネッカ凄イ!」
単純に感心するイエタとクラスクの横で、トニアが興味深そうに眼を凝らした。
「その煙の出方だとぉー、お料理にも使えそうですねぇー」
「うむ! 締め付け具合で火力の調節もできるぞ!」
「それは便利そうですぅー」
「すごいのはいいとして鉄板鉄板! 煙噴いてます!」
得意げなシャミルの背後で白煙を朦々と上げる鉄板を見ながらミエが真っ青になって叫ぶ。
鍋やフライパンの空焼きを連想してしまったのだろうか。
「心配いらん。このレバーを戻して締め付けを緩めてやれば…よっと」
「…確かに見直しが必要でふね」
「うむ、ちょっと硬いの」
鉄板はしばらく煙を噴いたままだったが、徐々にその白煙は収まってゆく。
蓄熱池が放つ熱自体は収まったけれど、鉄板自体は伝導された熱がしばらく残ったままなのだ。
シャミルが太鼓判を押すほどに安全とは言えないけれど、少なくとも放熱を止める機構までは考えていたようである。
あんぐりと口を開けそれを見つめていたミエは…バッ振り返ってアーリの方を見る。
これまた驚愕の表情を浮かべテーブルの上を凝視していたアーリが、慌ててミエの方に向いて互いに目が合った。
「アーリさん!」
「ミエ!」
「「これって割ととんでもない発明なのでは…?」ニャ?」
ミエが以前呟いた冷蔵庫を着想にシャミルとネッカの協力で実現した目の前の魔具。
だがそれはミエが想定していた、彼女の知る冷蔵庫とは似て非なるものだ。
まず第一にコンセントがない。
外部から電力を供給する必要がないからだ。
そしてコンセントがないという事は場所の制約を受けないということだ。
いつでも好きなところに運んで行って即使うことができるし、運搬中であっても冷蔵や冷凍を継続させることができる。
例えば荷馬車などに積みっぱなしにしておけば冷凍トラックのように産地から鮮度のあるものを運んだりもできるだろう。
次に『放熱を溜める』機能である。
物を冷却すると簡単に言うけれど、ミエの知っている科学技術による冷却機構…例えばクーラーや冷蔵庫であっても物を純粋に冷却するだけ、というのは案外難しく、そうした機器には必ず放熱機構が備え付けられている。
クーラーならば室外機がそうだし、冷蔵庫の場合一見するとわかりづらいけれど、背面や側面の内側などに取り付けられていることが多い。
設置の際後ろや横にスペースを空けるよう指示されるのはそのためだ。
言ってみればミエの知るそうした冷却装置は、冷却の副産物として生み出された熱を外に排出するだけで無駄に捨てている事になる。
その放熱をこの冷蔵庫は蓄熱池という形で溜めておくことができる。
さらにそれを再利用できる。
そして空になった蓄熱池は再び冷却に再使用できる。
蓄電池と似たところはあるけれど、これは根本的に別のものだ。
なぜなら電力という外部からのエネルギーを利用せず、単純にこの冷蔵庫と放熱器だけで完結しているからである。
この魔具がどの程度持つのか、また蓄熱池がどの程度再使用できるのかによるけれど、これはある意味疑似的な『永久機関』に等しい。
そして何より驚くべきが蓄熱池の携行性である。
先程机に入っていた蓄熱池をシャミルが手で取り扱っていたところから見ても、適切に補完しておけば火傷や延焼などの心配がないようだ。
それはつまり…いつでも放熱可能な熱エネルギーを好きに持ち歩ける、という事だ。
「…アーリさん」
「なんニャ」
「これ商売になりませんかね」
「めっちゃなると思うニャ」
二人はぶんぶんと大きく頷き合う。
そう、アーリとミエの脳内はあるところまで完全に意味一致していた。
だが…その先。
ミエが見据えているその先には、もう少し別の思惑があった。




