第393話 北原の中継点
「ム、誰カ来ルナ」
「ホントダ。誰ダ」
クラスク村から派遣された技術屋のオーク、ドシーと村の作りについて相談していた東山族長『虎殺し』ヌヴォリは、片耳を蠢かして村の外の気配に目を細める。
隣にいた彼の配下もすぐにそれに気づき、二拍ほど遅れてドシーも気づいた。
彼はリーパグの配下でも作業や工作が得意分野であり、オークとしては戦いや戦闘勘というものに関して些か覚束なかった。
そんな彼ですら他種族との戦いに於いては歴戦の戦士扱いされるのだから、オーク族というのが実に戦闘に特化した種族だというのがわかるだろう。
「どうしたの、アンタ」
「ナンデモナイ。戻ッテイイゾ。コノ村ノ娘達ニ酒造リ教エテヤッテクレ」
「ハイヨ」
最後の一言以外全て共通語で会話し、テグラを村娘達のところへ戻すドシー。
酒造りに関してはあくまでこの村の娘達があらかじめ知っていて、単に束縛されていたからできなかった、という体にするのが望ましい。
ゆえにその部分の会話はヌヴォリ達にわからぬようにしたわけだ。
このあたり、妻も夫も巧みに複数の言語を使い分けていて、クラスク市のオーク達の知的レベルの高さが伺える。
「やあやあやあ。タっタ数日デ見違えルようデすね。もうほトんド村の形になっテルじゃナイデスカ」
「貴様カ族長代理」
村の外から青々とした麦の間を縫って現れたのは…北原のオーク、ゲヴィクルだった。
「イエイエゲヴィクル殿。このタびモワイワブが族長を引退を表明しましタゆえ、わたくしめが正規の族長ト相成りましタ。今後トもよろしくお願イします」
オーク族としてはなんとも礼儀正しい挨拶をして、深々と頭を下げる。
他種族の者が見れば随分と凛々しい、見栄えのする容姿に見えた事だろう。
ただ残念ながら彼…もとい彼女の容貌や立ち居振る舞いは他種族への受けは良くても同族にはあまり通じない。
ヌヴォリもまた彼女の挨拶につまらなそうに鼻を鳴らした。
「フン、ソモソモココ最近ズット貴様ガ族長ノ仕事ヲシテイタデハナイカ。ナニモカワラン」
「イエイエ。それがなかなか…正式な族長デなくば決済デきぬ事も多イのデ」
そう言いながらゲヴィクルは愉快げに呵々と笑う。
「ソレハサテオキ何用ダ」
ややむすっとした表情でヌヴォリが詰問する。
「なにっテ…ルートの確認デすヨ。この村から運び出す荷物のネ」
「ム…? コノ村ノ戦利品ハソコノミナト…? トヤラカラ運ブノデハナイノカ」
「よくご存じデ。流石ヌヴォリ殿」
「茶化スナ」
恭しく頭を下げるゲヴィクルに少し苛立たし気にヌヴォリが返す。
「デ、ドウイウコトダ」
「イエ、日々の出荷ならそれデ問題なイデす。タダ畑の収穫期ナド、ドうシテも小舟デハ運びきれナイ荷物の時ハ、我が北原村が搬入先トなります」
「何故貴様ノ村ナノダ」
「ええト…それハそうデしょう。なにせ『はちみつ森』は我が北原村の周囲に造られテおりますれば」
「ム…?」
クラスクとミエが植林にて生み出した新たな森…それはクラスク市の北方に散らばるように作られた。
あまり近くに植林すると蜂がちが他の巣の蜂と競合してしまい、喧嘩になってしまう恐れがあるためだ。
そのためなるべく個々を独立させたかったのである。
北に集中した理由も簡単だ。
西は既に多島丘陵の裾野まで畑を伸ばし切ってしまったし、南も隣国バクラダ王国との間を繋ぐ中森の手前まで畑が広がっている。
東の草原はまだ若干の余裕があるが、それ以上伸ばすと商業都市ツォモーペの衛星都市群の開拓地とぶつかってしまう。
なんとか小康状態を保っているアルザス王国との関係を悪化させぬためにも、そちら方面にはこれ以上開拓の手は伸ばせない。
となると、どうしたって残った開墾先も植林先も北方にならざるを得ないのだ。
クラスク市の遥か北には対魔族絶対防衛線・要塞都市ドルムまで人間族の村や町は存在せず、獣が蠢く荒野が広がるのみだ。
…が、そこには既に西の多島丘陵を狩場としていたオーク族の集落があった。
それがゲヴィクルの出身地たる北原である。
ゆえに街の北に植林し『はちみつ森』を作れば、自然北原の周囲に点在することとなるわけだ。
とは言ってもこれは北原やその新族長ゲヴィクルにとって都合の悪いことではない。
むしろクラスク市側の援助によって木組みの家ばかりだった集落が一気に石造りの家へと変わり、大きな倉庫まで作られた。
いちいちクラスク市まで出向かなくても様々な品が己の村で管理貯蔵できるようになり、ルミュ、リュット、グロネの三姉妹も大喜びだった。
ちなみに北原の周囲に点在してる森々に入植予定なのはなにもヌヴォリの配下たる東山集落のオークばかりではない。
西谷や西丘のオーク達も来る予定だし、幾つかの小部族のオーク達も手を挙げている。
そんな中で真っ先に手を挙げて入植を希望したのが東山のヌヴォリだったためテストケースとして最初の村の入植者として選ばれたわけだ。
× × ×
「俺ガ、行クノカ」
「ソウダ、不服カ?」
「イヤ……」
クラスク市の居館にて、その街の名の元となっている当人…クラスクの前に立っているオークが、しばし黙り込む。
実際クラスクの命令に不満があるわけではない。
むしろその逆だ。
「俺デイイノカ?」
「アンタならデきルト判断シタ」
クラスクの前で彼に問いかけているオーク…イクフィク。
かつてのクラスクの兄貴分であり、ミエに目を付けて彼女を手籠めにしようとしたオークであり、その後クラスクとの一騎打ちにて彼に完敗したオークでもある。
クラスクに敗北した後、彼はクラスクの消極的協力者となった。
即ち彼の邪魔はせず、敵対せず、対立する立場の者に協力しなかったのだ。
またクラスクが頂上決闘に勝利し族長となった後は彼の命に従うようになり、半年前のあの籠城戦でも城壁の上でオークの一兵卒として決死の戦いをしていた。
クラスクはそうした彼の地道な仕事を評価し、彼に新たな役目を与えたのだ。
即ち北の『はちみつ森』における他部族のオークの指導役である。
指導役は点在する各『はちみつ森』ごとに派遣され、基本的にその妻と共に対象となる村に住みつき、彼らの指導に当たる。
オークである夫はその村のオーク達に共通語を教えると同時に他種族の常識を学ばせ、またオーク式重箱の採蜜方法を伝授する。
その妻は他部族のオーク達が連れて来た娘達に酒造りや蜂蜜関連の商品の作り方を教え、オーク達に女性の力を認めさせ彼らの間で女の地位を向上させつつ、各家庭の娘達の相談役となり心のケアを行う。
いずれも大事な仕事であり、大役である。
実際イクフィク以外に任命された面々も、ラオクィク達村の幹部三人の次にクラスクに協力してくれたオーク達…即ちクィーヴフ・ルコヘイ・クラウイ、それに若手の出世頭たるイェーヴフなど錚々たる面々であり、それを考えればイクフィクは相当な出世と言えるだろう。
なおその中で一番若いイェーヴフは大抜擢に勇躍し、その妻となったギスもまた彼と共に『はちみつ森』の方へと移住することとなっている。
「物好キダナ、オ前」
かつて彼の妻を強姦しようとした己に対する過分な扱いに、イクフィクは呆れるようにそう呟いた。
「人手が足りん。優秀な奴ハ放っテおけんダけダ。デ、引き受けルのか」
クラスクの言葉に…かつての兄貴分は不敵に笑って応えた。
「バカヲ言ウナ。取リ立テラレテ嫌ガルオークガイルカ」
「…ソウダナ」
そしてクラスクもまた、かつての兄貴分にニヤリと笑って応じたのだった。