第384話 逆移送呪文
「魔導術の場合魔術式はきっかりきっちり細かいところまで決め打ちされてるでふ。当人の魔力の多寡や呪文に渡す『引数』で対象の数や効果範囲などを若干変えることはできまふが、基本同じ呪文は同じ効果を発揮しまふ」
「はい」
それはネッカから聞いた魔術の基本であり、説明されるまでもなくミエも知っていた。
「精霊魔術の場合主体となる精霊には『個性』がありまふ。で、決まった頼み方…これが精霊魔術の詠唱なんでふけど…をすることで基本同じことをしてくれるんでふが、これは全く同じ結果になるとは限らないんでふ」
「うん? つまりどういうことです?」
「例えば同じ風の精霊でも住んでいる場所や季節、天候、昼夜などによって性質や性格が変わるんでふ。でふから…」
「あー! わかった! わかりました! 精霊さんの好みの環境かどうかですっごくやる気のある精霊さんとかなんかやる気が出ない精霊さんとかが出てきて、こっちが仮に同じ頼み方をして、精霊さんとしてはそれぞれ同じことをやってくれてるつもりなんですけど、結果に少しブレが出てきちゃう的な…?」
「そうそう。そんな感じでふ。さすがミエ様飲み込みが早いでふね」
「ははあ…しかし面白いですねえ。じゃあ神聖魔術もまた違うんですか?」
ミエの質問に対し、ネッカはこくりと頷いて説明を続けた。
「神聖魔術の詠唱について前回あえて言わなかったことがありまふ」
「え? ホントですか」
「はいでふ。神聖魔術の詠唱については覚えてまふか?」
「ええっと…確か呪文の魔術方程式のほとんどは神様が作ってて、それを聖職者さんが索引みたいな詠唱で引っ張り出してるみたいな…?」
「はいでふ」
ミエが頬に人差し指を当てながら記憶を洗い出す。
神聖魔術はその強力な効果に必要な膨大な詠唱の殆どを神様が組み上げており、聖職者は神様の力をその敬虔な信仰心で感じ取り、詠唱の一部を唱える事で残りの効果を引き出し、己の肉体を通して発現させる。
そういう意味では聖職者の身体を通して神様が呪文を行使している、と言えなくもない。
そんな二人の話の横でイエタが頭上に「?」を浮かべて二人の会話を聞いていた。
己が用いる奇跡の力ではあるけれど、彼女が教わっているのは祈りの言葉と信仰による感覚的なものであって、技術的なものや理論的なものではないからだ。
「ただ…同じ魔術方程式であっても、この世界の『柱』となる神々が作るそれはネッカ達魔導師が必死になって構築するものよりよっぽど高度なんでふ。柔軟って言った方がいいでふかね」
「柔軟…?」
ネッカが視線をイエタの方に向ける。
イエタは少しだけ困ったように眉根を寄せたが、ネッカの言わんとする事はわかったので静かに語り始めた。
「ミエ様。例えば〈小傷癒〉という奇跡があります。傷口を塞ぎ治療する呪文ですね」
「素晴らしいですね!」
ミエの世界では傷口を消毒してガーゼなどで巻いて塞ぎ自然治癒力を高めることくらいしかできなかったのだが、この世界では奇跡により見る間に傷を塞ぎ治癒することができる。
それを彼女は先の戦でまざまざと思い知った。
これに関しては完全にこちらの世界の方が上回っていると言っていいだろう。
「ただ…神が定義なさっているのは『傷を治す力』ではないんです」
「ふぇ?」
だがイエタがその後に続けた予想もしていなかった言葉にミエが思わず変な声を上げてしまう。
「傷を治すのに傷を治す力じゃないんですか?! ええっと…つまりどういうことです?」
「神様が定義なさっているのは『傷に関する力』なんです。私達聖職者はそれを傷を治す方向に引き出しているに過ぎないのですわ」
「あ……ああー!」
唐突に、色々とわかった気が、した。
「ってことはてことは…逆に傷をつける方向に引き出す呪文があるってことです?!」
「はい。〈小傷癒〉の呪文を逆方向に引き出すと〈小障害〉という呪文になります。触れた部分に激痛を与え皮膚を裂き傷口を生み出し、さらに傷口があればそれをさらに広げより酷く出血させる呪文です」
「きゃー! いたたたたた! 痛そうー!」
ミエがまるで己がその術を喰らったかのように大袈裟に痛がり、腕を抑える。
「イエタ様が仰った〈小傷癒〉と〈小障害〉は、魔術物理学的には『同一の呪文』なんでふ。ただ最後にその呪文に与える方向性が真逆なだけなんでふ。まあ神性が生み出した魔術方程式は実際には術者が口にする詠唱には表れないので、ほとんどの人が全然別の呪文だって認識してると思いまふが」
「へええええええええ~~~~!」
もしここにへえボタンがあれば連打しそうな勢いでミエが感心する。
「ええっと…要は99%くらい神様が作った呪文があって、でも実際にはプラスかマイナスかを決める最後の1%部分しか口に出して唱えないから同じものだって気づかれない、みたいな?」
「はいでふ。これで最初の説明の意味がわかってもらえたと思いまふ」
「最初の? あ、あー…」
ネッカは確か邪神に仕える聖職者は『傷を治す呪文は知っている、ただし傷は治さない』と言っていた。
最初はよく意味が解らなかったけれど、こうして理屈がわかってみれば答えは明白である。
つまり彼らはその『傷に関する呪文』を相手を傷つける方向にしか使わない、ということなのだろう。
「魔導師はそうした呪文を指す時、正方向に引き出した時は『移送呪文』。負の方向に引き出した場合『逆移相呪文』と呼んでまふね」」
「へええええええええ~~~~!」
ぱちこんぱちこんと机の上のスイッチを叩く動作をするミエ。
無論の事ながら彼女以外にはミエが何をしているのかさっぱりわからず首を捻っていたけれど。
「ネッカ様の仰る逆移送呪文…ですか、それらの呪文群は基本的に私達天翼族の複音教会では使うことは推奨されておりません。そのあたりのどちらの方向を好むかは神様によるようですね」
「なるほど…?」
「ほほう。なかなか興味深い話じゃの」
シャミルも会話に加わり、わいのわいのと呪文談義を始める一行。
「ええっと…じゃあ〈祝福〉の逆移送呪文ってのもあるんです?」
「〈呪詛〉がそれですね。家畜の乳の出を悪くしたり、辺り一面の畑に凶作をもたらしたり、人々を病に罹りやすくさせたりといった力を持ちます。それほど強い効果ではないですが…」
「うわ確かに呪いって感じですねえ……」
そんなものをポンポン唱えられたら溜まったものではない。
ミエはうへえと心の中でうめき声を上げた。
「じゃあ毒を治せるなら相手を毒にできるし、病気の治療ができるなら相手を病魔に侵すようにもできるってことなんです?」
「全ての呪文がそうなわけではないですが、はい。だいたいはミエ様のご認識の通りかと」
イエタの言葉に首を傾げるミエ。
「ふむふむ…でも逆移相の呪文がダメなやつならそもそも覚えなければいいんじゃ…?」
「いえ。先ほども申し上げた通り移相呪文? と逆移相呪文…? は同じものなんです。なので教わる時は常に一セットでないと意味がありません」
「あー…だからイエタさんでも逆移送呪文は知ってますし、その悪い僧侶さんとかでも治療することはできるんですね?」
「はい。そうなりますね」
「なるほどー…」
ひとしきり感心した後、だがミエは妙な違和感を覚えた。
自分が何かとても大切なことを見落としている気がしたのだ。
「ええっと……つまり信仰魔術には移相呪文が多くって、だけど普段はみんな使いたがらない、と……」
んん~~~? と腕を組みながら上体を横の傾けるミエ。
「どうしたんじゃまた悪い病気か」
「なんかひどいこと言われてる気がしますー!? そうじゃなくって、なんかすっごい大事なヒントを今もらったような…」
「ほう」
シャミルはこうした状態の後ミエがとても希少な意見を述べるのを何度も見て来た。
ゆえに今回もいらぬ口出しは控えミエの様子を窺うことにする。
そして…腕組みをしてうんうんとうなったミエは、遂に『とある呪文』にいきついた。




