第378話 趣味の人
「イエタここデ教えル」
クラスクは目下建造中のその石造りの建物…『学校』の建設現場を指差しながら彼女にそう告げる。
「はい。今から待ち遠しいです」
「タダ教会からここまデ少し遠イ。お前空飛べタな?」
「空ですか? はい。それは天翼族ですから」
「なら教会からここまデ自由に飛んデ構わンぞ」
「まあ…構わないのですか?」
「構わン。衛兵達には俺から言っテおく」
意外な言葉を聞いてイエタが少し驚く。
通常街の上空を天翼族が飛ぶことや、街の上を通過することは禁じられている。
街の防衛状況やその穴などを簡単に上から看破する事ができてしまうからだ。
ただ本来であれば戦時などにもっとずっと悪用されているはずの天翼族だが、実際にはそうしたケースは稀である。
天翼族山の中腹以上に集落を築く事が多く他種族と住環境で競合することが少ないし、そもそもの人口があまり多くない。
さらに種族全体が己を生み出した女神の敬虔な信徒であり、大人の多くが善なる聖職者になるという特異な種族性を持つ彼らは、国家や彼らが率いる軍隊のそうした圧力や無理強いには決して屈してこなかったからだ。
各国も彼らを力で蹂躙する事を躊躇う要素がある。
彼らの支配する街に在籍している聖職者には天翼族も少なくないため、治療の奇跡を拒否される恐れがあるからだ。
この世界の国家間の戦争に於いて治癒魔術の有無は字の如く生死を分かつものであるため、為政者としても天翼族を種族ごと敵に回すのはできれば避けたいのである。
さらには糧食の十年単位での保管を可能とする〈保存〉、作物の収穫を格段に向上させる〈祝福〉など、聖職者が唱える信仰魔術には生活と国家の運営に密着しているものが数多く、彼らと敵対するということはそうした恩恵の大部分を失うことに等しい。
天翼族以外の種族における奇跡を起こせる聖職者の数は決して多くはなく、科学技術が未発達なこの世界に於いて彼らの奇跡を当てにできぬデメリットは非常に大きいのだ。
結果として彼女たちの飛行能力は軍事的に転用されることこそなかったけれど、かわりに街中での生活では厳重な縛りを受けていた。
勝手に空を飛ぶな。
勝手に羽を広げるな。
勝手に羽ばたくな。
街によって規制の内容は様々だが、彼女たちを飛ばせぬようにしている一点では共通している。
そして無為な争いを好まぬ天翼族達もまた、定められた掟に逆らおうとはしなかった。
「…………………」
「ドウシタ」
「いえ、街の中での飛行が許可されるとは思っていなかったもので」
「なんデダ。その羽空飛ぶタめのものじゃナイのカ」
イエタの述懐に首を捻りながらクラスクが聞き返す。
「いえ、多くの街では禁止されておりますので。ここでもそうなのかと」
「他の街ハ知らン」
イエタの言葉に即座に応えるクラスク。
「ここは俺の街ダ。俺ガ決めル」
「ですがよろしいのですか? 私達は空を飛べます。空の上から見下ろすと言う事は城壁などで隠しているその…軍とかの…ええと、なんと言うのでしょうか」
「アー、軍事機密カ」
「そうそう、それです」
軍務関係の言葉は詳しくないのだろう。
イエタが言葉に詰まったのでクラスクが助け舟を出す。
「その、そうした軍事機密…? というものを、覗いてしまうかもしれません」
「別にお前達羽つき…アー天翼族ガ飛ぶのを許可しタわけじゃナイ」
「………………?」
つい直前と逆のことを言われ、イエタは一瞬混乱する。
だがクラスクは別に矛盾したことを言ったつもりはなかった。
「俺が羽を出シテ飛んデイイ言っタのハお前ダ、イエタ。お前が飛ぶ分ニハ問題ナイ。全部信用スル」
「………………!」
クラスクの言葉に目を真ん丸に見開くイエタ。
確かにそれなら先程の言葉は矛盾しない。
つまり天翼族が街中で飛ぶこと自体は許可しないけれど、イエタに関しては問題ない、と言っているのだ。
まだ街に訪れて半月と経っていないというのに、随分と信用されたものである。
イエタは我知らず己の胸に手を当てて、指先で鼓動を抑えていた。
「サ、学校見タ。居館行く」
「はい」
「もう人ごみ抜けタ。このまま解散しテもイイガ。ドうスル。一緒に来ルカ」
「はい。クラスク様がよろしいのであればお供させていただきます」
「ヨロシイのデあルからお供しテ問題ナイ」
「感謝致します」
クラスクの珍妙な物言いに丁寧に礼を言うイエタ。
そもそも彼女の今日の目的はそこにこそあるからだ。
第一にクラスクと会う事、第二彼の真意を知る事。
それが今日彼女が己に課した役割である。
そのためには二人で話せる場所に行くことが望ましい。
だから今日は彼が向かう場所がたとえどこでも可能な限りついて行くと心に決めていたイエタであった。
「こっちダ」
「はい」
石材を運び、図面に沿って並べてゆくオーク達を背に、イエタはクラスクが指差す方向へと歩を進める。
先程まで彼女たちが歩いて来た方向だ。
最後にもう一度学校建築現場を振り返るイエタ。
そこには己の身長の半分ほどの長さの綺麗な石材を運搬しているオーク達がいた。
彼らの姿に、ふと僅かな違和感を覚える。
こうなんというか、垢抜けていないのだ。
この街でよく見かけるオーク達に比べてだいぶ素朴というか…ちょうど先程街中で会った共通語の練習中だと言っていたオーク、彼に似たものを感じる。
「………………」
はっと振り返り、ぱたぱたとクラスクの背を追い駆ける。
そして追いついたところで歩幅を緩め、彼と並んで歩き始めた。
と、そこでまた彼女は不思議なことに気づいた。
違和感を覚えないのだ。
先程から一緒に歩いていて、彼の歩幅に合わせていない。
ずっと自分のペースで歩けている。
本来ならばそれはおかしいはずだ。
なぜならイエタは人間族に比べやや背が低い天翼族の、それもさらに小柄な女性である。
一方でクラスクは人間族より大柄なオーク族の、さらに輪をかけて巨体なクラスク市長である。
だから普通に歩いているだけで彼の方が遥か先に行ってしまうはずで、イエタはそれを小走りで追いかけねばならないはずだ。
だというのに先程から彼女はまったく急かされた感じがしない。
先ほどまでも、今も、まるで故郷で友人と並んで歩いているかのような感覚で歩けていた。
その理由は明確だった。
街中では雑踏に紛れて気づけなかったけれど、今ならはっきりとわかる。
クラスク市長が彼女の歩幅に合わせて歩いてくれているのである。
つい先刻後ろが気になって振り返っていた時もそうだった。
本来ならばオーク族の歩幅に遥か置いてゆかれて、慌てて駆けていかなければならなかったはずだ。
だが実際にはほんの少しの小走りで追いつけた。
ずっと、気を使ってくれていたのである。
それも彼女が気づかぬほどにさりげなく。
その細やかな気遣いに、イエタは衝撃を受けた。
オーク族ががさつな種族だとは耳にクラーケンが這いずるほどよく聞かされた。
自らこの街の聖職者に立候補した時にもさんざん言われたことだ。
けれど、ならば一体どうしたらその中から彼のような優しさと気遣いを備えた傑物が生まれてくるのだろうか。
クラスクとイエタは再び北門をくぐり中町へと戻る。
そしてこれまた建造中の魔導学院の横を抜け、街の中央部やや北東寄りにある居館へと入っていった。
番兵が畏まってクラスクを通し、その後に続くイエタに深く頭を下げる。
聖職者である彼女に敬意を表しているようだ。
クラスクはそのまま階段を登ると二階の奥まった一室へと入り、イエタを手招きする。
イエタはしずしずとその部屋に入って…そして目を丸くして驚いた。
「これは…?」
「『模型』を使っタ『じおらま』、ダそうダ。ミエが言っテタ」
そこにあったのは…部屋いっぱいに広がる大きな大きな都市の模型であった。
「俺が作っタト思っタラもうあっタらシイ」
そして少しだけ不満げに呟く。
「まあ、よくできておりますね。実在する街なのですか?」
「アア。今はこの街のずっト東にあるツォモーペを造っテル」
そう呟きながらクラスクはジオラマの脇の椅子に座り、大きな指先で器用になにかを作り始めた。
イエタが目を凝らしてよく見ると、それはどうやら小さな家の屋根のようだ
細かなところまでよく作り込み、使い古された風味を出すためにわざと汚しまで入れている。
なんとも繊細な造りだ。
丁寧さもそうだがその早さもまた瞠目すべきものである。
屋根、家屋、隣の倉庫…と次々に仕上げてゆく様はまるで熟練の職人さながらだ。
巨体に相応しい大きな指先だというのに、なんとも巧みに動かすものだとイエタは感心する。
「それにしても…よくこのように見事に造り込めるものですね」
「模型の事カ。街作りの事カ」
「ええと、どちらもです」
クラスクはそれを聞いて少し作業の手を休め、肩をぐるりと回す。
そして妙に気になることを口にした。
「この街の作り方には…コツがあルンダ」