第372話 奇妙な軽い鉄の棒
今やすっかり街の守護神扱いされ、大手を振って森の外を出歩けるようになったコルキ。
一切人を襲わず、また人馴れしている彼に街の者は皆気を許し、旅人たちもこぞって会いたがるようになる始末である。
そのお陰でミエは安心して彼に散歩の自由を与えるようになり、コルキもまた好きに己で杭を引き抜いてお出かけするようになった。
そう、彼は未だに長い鎖を付けている。
その先端の杭もそのままだ。
人を襲わぬ、怖がられぬとなれば彼を繋ぎ止めておく必要はないはずだ。
だがミエがその鎖と首輪をもう不要だろうからと外そうとしたら、彼は尻尾を丸めて嫌がったのだ。
自由にはなった。
けれどどうやら彼は未だクラスク家の、そしてミエの飼い狼のままではいたいらしいのである。
「それじゃあちょっと乗せてもらうわね」
「ばう!」
「一番近くでニワトリさんの臭いのするところ、わかる?」
「ばうっ!」
「食べませんよ?」
「ばう~?」
「だ・め・で・す・よ?」
「きゃいん!」
背に乗せたミエににこやかに窘められ、コルキは縮み上がる。
体格的にはもはや爪のひと薙ぎでミエを容易くバラバラにできるはずなのだけれど、どうやら幼い頃からの経験でコルキは彼女にはどう足掻いても勝てっこないと擦り込まれているらしい。
「おお、ミエ様だ…」
「ミエ様ー!」
街道を疾駆する黒い影。
その上に乗ったミエ。
畑仕事をする者達は口々にミエの名を呼び…
…そして、祈り始めた。
「んも~…これだけはまだ慣れませんねえ…」
森村の出身者やこの村の設立初期から農作業に従事していた者達…かつての棄民達などは、散々世話になったミエのことを敬愛はしているけれどここまでではない。
ミエの気さくで庶民的でそして時々抜けていておっちょこちょいな、そんな人間らしさを良く知っているからだ。
けれど後からこの村に来た者にとってミエとクラスクは少々特別な存在過ぎた。
何もない荒野とそこに転がっていた朽ちた廃村からオークの村を作り上げ、その小さな村にほんのわずかな間に魔法のように城塞を築き上げ(実際魔法なのだが)、近隣のオーク部族たちをすべて平らげて、地底の侵攻も王国の粛清も全て跳ねのけたクラスク。
そして神の獣とも噂されるコルキをまるで己の手足のように操る彼の妻、ミエ。
そう、そもそもコルキが賢狼なり神の使いだったりするのなら、彼と心を通じ合わせ従えるミエはさらにとんでもない何かなのではと勝手に思われてしまっているわけだ。
「コルキ、こっちでいいの?」
「ばう!」
ミエに聞かれてコルキが鼻先で前方を指し示す。
そちらに目を向けると畑の間にある草原で羊たちがのんびりと草を食んでいた。
そしてその脇に小さな鶏舎が置かれており、隣で数人のオークたちがなにやら作業している。
「あ、いたいた。いました! あそこです!」
「ばうっ!」
ミエに首筋を軽く叩かれたコルキは、嬉しそうに一声吼えると大きく大きく跳躍し、畑一つを丸々飛び越えるとどすんと牧草地へ降り立つ。
一瞬羊たちがびくりと脅えるが、ミエが背から降りるとコルキは素早く柵の外に飛び退って彼らを安心させた。
コルキはそのまま道端で小さ…もとい大きく丸くなって尻尾をゆっくり揺らし始める。
「というわけでリーパグさん!」
「ウオッ!? ミエアネゴ!? ドウシタイキナリ!」
牧草地の周囲には柵があり、羊が外に出るのを防いでいる。
鶏はいつもなら移動用鶏舎の中で餌をついばんでいるが、今日は牧草地の中を放し飼いだ。
というか、そもそも彼らの鶏舎の材料たる木材が牧草地の隅に並べられており、リーパグとその配下のオーク共が今まさに組み上げようというといったところなのだ。
「その鶏舎なんですが! せっかく目当ての材料が届いたので今日はこっちで作りましょう!」
「アン? 木材ジャナクテ鉄デツクルノカ?」
ミエが肩にかけた麻袋から鉄の棒を取り出し並べてゆく。
よく見ると袋の中にはもう一つ、細い縄の束のようなものがあった。
「前ニワトリ小屋ハナルベク軽クシタイッテ言ッテタジャネーカ」
「はい! それは今でも変わってないですけど」
「ケドヨー、木製ヲ鉄製ニ変エタラカエッテ重クナラネーカ?」
「ふっふっふ…それじゃあ試しにこれを持ってみてください」
「アン? タダノヒン曲ガッタ鉄ノ棒ジャ…軽ッ!? ナンダコレ軽ッ!?」
手にしたリーパグが驚きの軽さに思わずぶんぶんと振り回す。
「リーパグノ兄貴ー! 俺モ俺モ!」
「ア! ドシー! コッチ向ケテ振ンナ!」
「ドレドレ軽ッ!? ホントダ軽イ!!」
「ナンダコレー!?」
リーパグに配下のオーク達がそれぞれそのひん曲がった鉄の棒を驚嘆しながら振り回す。
はたから見ていると奇怪な踊りを踊る奇妙な一団にしか見えず、横を通り過ぎる農民…もとい農作業従事者達が目を丸くして軽く噴き出していた。
「ナンデコンナニ軽インダコレ!? オカシイダロ!?」
「そこはあれです。断面を見てください断面を」
「ダンメン…?」
ミエに言われてその鉄の棒の持ち替え断面を見たリーパグがさらに目を丸くする。
「ナンダコレ真ン中ガネエ! 空洞ダ!?」
「ホントダー!?」
「スゲー!!」
それぞれが己が手にした鉄の棒の断面を覗き込むようにして驚きの声を上げる。
「ふっふっふ、これが『鉄パイプ』ってやつです」
「鉄パイプ!」
「鉄パイプ!」
「鉄パイプスゲー! ミエアネゴスゲー!」
「いえ凄いのは別に私じゃないですけどね…?」
「「「ミエアネゴスゲー!」」」
「だーかーらー!」
そう、ミエが金属細工師ユーロに頼んで特注で作らせていたもの…それがこの『鉄パイプ』だったのだ。
「ドウヤッテ作ルンダ!?」
「ドウヤッテ中身クリ抜イタ?」
リーパグの配下のオーク達は建物を建てたり色々道具を作ったりしているせいで他のオークに比べて手先が器用で比較的頭もいい。
だが彼らそんな彼らでも一体どうやって鉄の棒から中身をくりぬいたのかさっぱり見当がつかず、首を捻ってしきりに考えていた。
「あー…それ別に中身をくり抜いてるわけじゃなくてですねー…」
鉄パイプの作り方は至極単純である。
まず薄い鉄の板を作る。
棒ではない。
板である。
次にそれを真ん中が凹んだ台座に乗せる。
そして上からその台座のへこみに添った重しで強く圧力をかけると、凹みに沿って鋼板が曲がり、真ん中が沈んで板の左右が上を向く。
ちょうど鋼板がUの字になるわけだ。
その状態で今度は上から下の台座と同じ、ただし上下がひっくり返った逆Uの字のの板をゆっくりと降ろし、強い圧力で下の台座を連結させる。
そうすると鋼板の左右の上を向いていた部分が、降りて来た板の丸身に沿ってゆっくりと閉じてゆく。
こうして元は平らな鋼板が、正面から見ればちょうど真ん丸の状態になるわけだ。
いわゆるプレス機によるプレス加工という奴である。
「アーソウカ! 丸メテツナゲテルノカコレ!」
「ウオオオオオオオオオオオオオオ! スゲエエエエエエエエエ!!」
「サスガミエアネゴ!」
「だからそれは先人の知恵であって別に私の着想というわけじゃなくてですね…あと作ったのも私じゃなくて金属細工師のユーロさんです!」
「「「ミエアネゴスゲエエエエエエエエエエエエエエ!!!」」」
「だからちがくてですねー! ちょっと聞いてますー!?」
金属細工師ユーロの工房の奥にあった妙な機械…それがこの鉄パイプを作るためのプレス装置である。
ちなみにこうして造り上げた鉄パイプを今ミエが持ってきたもののように途中で曲げた状態にするにはそれはそれまた曲げ加工という別の技術が必要なのだが、これは一旦置いておくことにする。
「というわけでですねー、心棒としてこの長い鉄パイプを使ってー、ここ下ににこの曲がった鉄パイプを並べてー、そして次に取り出したりますはこちら!」
「ホッソ! ナンダコレ!? 紐!? 紐…ジャネエ!? 硬イ?! 硬イノニ曲ガル!? ナンダコレ!?」
ミエが突然取り出した細い紐の束のようなものに触れてリーパグが目を丸くする。
それは単なる紐に見えるが光沢があり、そして非常に丈夫であった。
リーパグが引っ張ってもびくともしない。
「ン…コレ金属カ?! 鉄? …鉄ノ糸カ!?」
「鉄ノ糸!? ナンダソレ!?」
「鉄の糸とは言い得て妙ですねえ…」
ミエは驚くリーパグとその周囲で仰天しているオーク達を見つめながら嬉しそうに微笑み、それの名を告げた。
「こちら…針金と言います!」