第361話 義務教育
制度上の女性優遇と職人の優先。
当然ながらその両者を併せ持つ者であれば大歓迎となる。
なにせ当時のクラスク村は村長がクラスクに変わり略奪が禁止されたことで独身のまま据え置かれたオークの若者が多数おり、彼らのためにも他種族の男はなるべく増やしたくなかったからだ。
移住してきた女性達に自由な選択肢を与えた場合、同族の男性といかついオーク族を比べて後者を選ぶ女性は少なかろう(これでもだいぶ穏当な表現だが)という危惧があったのである。
さて、ここでミエが予想もしていなかった事態が発生した。
『女性』と『職人』を求めて始めた制度だったはずなのに、『女性』かつ『職人』の村移住希望者が思った以上に多かったのだ。
この世界、この時代においては未だにどの種族も男性上位の風潮が強い。
戦火が絶えず力や武力が物をいう時代であり、体格や力に勝る男性の方が権威や権力を握りやすいためだ。
よってオーク族でなくとも女性の扱いが悪い種族は少なくなく、特に人間族にはその傾向が強いようだった。
この街に起きた現象は、そうした傾向が『社会』や『仕事』にも大きく表れていたことと起因している。
端的に言うと『職業組合』のことだ。
職業組合というのは商業や工業に於いて同じ職の者が集まって形成する組合の事だ。
職業組合は製品の質や価格などを統制し、全体的な品質の維持管理などを行うと同時に販売方針や雇用、仕事の斡旋なども行っている。
加盟者には仕事が保証されるかわりに組合が求める製品の質や経営方針などが半ば強制され、その分個々の自由な商売は阻害された。
そしてそれら組合の多くは…主に男性的価値観の元に運営されていた。
女性には余り物の仕事や雑多で簡単な仕事が回されがちで、そもそも組合への加入自体が認められぬ事すら少なくなかった。
男性優位の風潮が強くなった結果、それが職能や商売にも影響し、女は家庭で子を産み育てるべきだという価値観が罷り通っていたのである。
無論家庭も守る事だって立派な役目ではある。
だがこんな時代にだって様々な仕事に、職人や商人に憧れる娘はいた。
夢を目指し、必要な技術を身に着けた娘もいた。
けれどそんな女性たちに既存の職業組合は冷たく、彼女たちは仕事の場、己の腕を活かす機会をろくに与えられなかったのだ。
そんな女性の職人達にとって、偶然とはいえこの村はまさに求めていた場所だった。
結果各地からこの村の噂を聞きつけ、己の腕を振るいたくても振るえなかった彼女たちがこの村を目指し集うこととなったわけだ。
その際この村の情報を彼女達に届けるにあたって、アーリのアイデアで各地を飛び回ることとなった吟遊詩人たちが活躍したことは言うまでもない。
ミエとアーリの広告戦略が、思惑の外とはいえ見事功を奏した形である。
「まあ確かに女の職人が多く来てくれたけどよ…それがどう教育ってのに繋がるんんだ? 託児所だけじゃダメなのか?」
ゲルダの疑問に対しミエはまっすぐに答える。
「彼女たちがうちの村の助けになったのは普通の人が選ばないような道を歩いたからです。それはとても大変な事だったと思うんです。私は…そんな人たちがもっと増えてくれればって思うんです」
「そのための教育施設…?」
ベッドの上のエモニモの問いにミエは静かに首を縦に振る。
「はい。女性であれば教育を受け技術を学ぶことで社会進出…ええっと家庭に入る以外にも仕事をするって選択肢が生まれますし、男性だって他に道がないから、どこにも用意されていないから、親の仕事を継ぐしかない、みたいな状況を改善できると思うんです。もちろんその上で親の仕事を手伝って跡を継ぐのもとても大切なことだと思いますけど」
「「「選択肢…」」」
奇しくもゲルダ、エモニモ、ギスの声が被った。
その不運な出生ゆえいじめや誹謗が絶えず、教会の中に於いてさえ周囲の子供の親たちによって追い出され、喧嘩のやり方以外ろくに学ぶことのできなかったゲルダ。
貴族の家に生まれ、貴族として果たすべき事だけを叩き込まれ、キャスに出会うまでそれ以外の道を考える事すらできなかったエモニモ。
生まれた時から瘴気の中で、汚れた空気の中その身を蝕まれ、それ以外の生活をそもそも知ることすらなく日々を生き抜く事だけに必死だったギス。
彼女たちは人生に選択肢を与えるための教育、という発想が、そもそも己の中に最初からなかったことに気づいたのだ。
「教会に頼りすぎるのもよくありません。無償でやっていただけるのはとてもありがたいのですが、無償である以上こちらから無理強いすることもできないってことです。もっと言えば教会は親が連れて来た子を教えることはできますが、親が必要なしと判断して連れていかなければそもそも教育機会が生まれません。それでは駄目なんです」
「…ねえ、ちょっといいかしら」
ミエの言葉を遮るようにして、眉をひそめたギスが問いかける。
「なんでしょう」
「貴女の御高説を伺うと、まるで子供には全員義務として読み書き算術の教育を受けさせたい、と言っているように聞こえるのだけれど」
「ですから、そう言ってます。こちら風の言い方をするなら義務教育って奴でしょうか」
「義務」
「教育」
三人がぽかんと口を開けてミエを見つめる。
「はい。別に教会のお仕事を奪いたいって言ってるわけじゃないですよ? なんだったらイエタさんにも協力を要請しますし、教育施設で宗教の授業を設けても構いません。神様が実在するわけですし神学? を教えていただいてもなんら問題ないと思います。ただやるんだったら街の予算を使って教育機会を住民全員に与えるべきなんです」
「お前……とんでもねえこと考えるな」
頭を掻きながらゲルダが呟く。
「そうですかね。で…皆さんの意見をお聞きしたいところなんですけど…」
ふむ…と三人が腕を組んで考え込む。
「いいんじゃね? 貧乏人にも読み書き覚える機会があるってないいことだと思うぜ」
「街の子供全員に教育機会を与える、というのは非常に有意義な試みだと思います。私から反対意見はありません。予算さえ問題なければ」
「…変わった考えをするのね、貴女。でも反対はしないわ」
三者三様に、だが誰も反対はしなかった。
ミエの言い分にそれぞれの立場から感じ入ったようである。
「ありがとうございます! じゃあ後は街の会議にかけるので皆さんも協力してくださいね!」
こうしてミエの掲げる『義務教育』が議題にかけられることとなったのだが…
「読み書きと計算を街の子供全員に義務として学ばせる…ニャ?」
「え、ええ…なにかまずかったですかね」
後日居館にてそれを議題に上げた時、アーリの反応がやけに過敏であった。
彼女ならむしろ乗り気でOKしてくれると思っていたミエは、予想外の反応に少し驚く。
「不味くもなにもないニャー! それが実現できれば商人になりたがる子も増えるニャ! 大歓迎ニャ! むしろ出資させるニャ!!」
だがそれは拒絶というよりはむしろミエが予想した以上の喰いつきのようだった。
「あ、ああさっきの反応ってそういう…えーっと、でもですね、こういうのは公的にやるから意味があるのであって予算は街の財源から捻出した方が…そのー、ですね」
「イヤニャイヤニャ! 出資させるニャ! 商売人としてそんニャ試み黙って見過ごすニャンてできないニャ! 資金! 資金を出させるのニャ! 一枚噛ませるのニャ! 協力させるニャアアアアアアアアアア~~~~~~~!」
ミエの言葉にアーリがじたじたと床を転がりごねまくる。
「金を出したくなくてゴネる商人はよう知っておるが金を出させろとゴネる商人は見た事がないのう」
「ここにいるじゃねえか」
シャミルがあきれ顔で呟き、ゲルダが床に転がる猫を指差す。
「じゃ、じゃあ教材とか黒板とかの設備はアーリさんにお任せしますから…」
「わかったニャ! 完っ璧な教材を用意するニャ!」
アーリとの折り合いもなんとかついて…
こうしてクラスク市には、条例として義務教育の制度が敷かれることとなった。
そしてそれは…やがてこの街の趨勢に大きな影響を与える事となる。