第356話 トコストク・キャイトク
「おて…」
「つだ…」
「イ…?」
イエタの発言の真意がさっぱりわからず、ミエとシャミルとクラスクが顔を見合わせ、やっぱり理解できず互いに首を捻る。
「あの…それってどういう…」
「女神様のお告げです」
「めがみさま!?」
ミエのすっとんきょうな叫びにイエタはこくりと頷く。
「天翼族が女神と呼ぶからにはリィウーか」
「はい」
「リィウー?」
ミエが目をぱちくりさせシャミルに無言で問いかける。
シャミルは小さくため息をついて説明した。
「リィウーは天翼族を生み出した女神じゃな。六対十二枚の翼を持ち人の頭を持つとも鳥の頭を持つとも言われておる」
「へー…ホントに鳥モチーフなんですね」
「空を飛ぶ者の守護者、善性の顕現、助力の誓約を持つ女神で、他者を慈しみ苦難を見過ごせず人助けを己が天命とする女神じゃな。そのため彼女の信徒にしてその似姿として生み出された天翼族もまたその一助となるべく皆大なり小なり善良かつ聖なる力への適正を持ち聖職者となる者も多い。ま、なぜか女神の名は鳥や空でなく神聖語で『雪』というニュアンスなのだそうじゃがな」
「……………………………!!」
ぱあああああああと顔を輝かせ、両手を合わせ、煌めく瞳でイエタを見つめ椅子から立ち上がるミエ。
そして彼女の元へとかつかつと歩くとその両手を取りぶんぶんと振った。
「とっても素晴らしいです! 素敵です! いい教義ですね!!」
「ありがとうございます。喜んでいただけたのなら女神様も御会心でしょう」
イエタは腕を振られるがままに嬉し気に微笑む。
「っていうかかっる! 腕かっる! あ、すいません勢い付けて振ったらまずかったですかね!?」
ミエはイエタの腕のあまりの軽さにびっくりして思わず手を離してしまう。
見たところ自分達とさほど変わらぬ見た目なのに、段違いに軽かったからだ。
「いえ問題ありません。天翼族の骨は軽くても丈夫ですから」
「ああ…鳥の骨もそうですもんね」
「はい」
にこにこと微笑むイエタ。
ミエもまたなんとはなしに嬉しそうに微笑み返してしまう。
ミエからしてみれば天翼族の女神リィウーが唱える教義はとても素晴らしく、かつ己の主義と近しいものを感じた。
言い方は悪いがウマが合うと思ったのだ。
「デ、その女神ガ何を告げタ」
「あ、そうでした」
ミエの夫にしてこの街の市長たるクラスクに問われ、イエタは己が本分を思い出す。
天翼族は重なる失敗と挫折の果てにオーク族には決して近寄らぬようになったはず。
その禁を冒してまでなぜ彼女はこの村を訪れたのだろう。
「大僧正が受けた神託によりますれば、女神リィウーはこの街の名を告げ、その長を援けよと仰ったそうです。無論オーク族との軋轢の歴史はわたくし達も承知の上。ですが女神の神託とあらば誰かが引き受けねばなりません。そこで大僧正は希望者を募り、わたくしイエタが手を挙げました」
「ほう…立候補か」
シャミルが片眼を大きく開きイエタを見つめる。
少し意外そうな表情である。
まあ確かにこれまでの歴史的教訓を考えれば自ら望んで凌辱の宴に飛び込むような所業である。
意外に思うのも無理はない。
「なんで立候補なさったんですか?」
「どんな運命が待ち受けているにせよ、誰かが行かねばならぬなら自らが名乗り出るのは神に仕えるものとして当然のことと思いまして」
「…このひと立派すぎません?!」
「こんなマトモな聖職者久々に見たわい」
イエタの模範解答にミエとシャミルがつい似たような感想を抱いてしまう。
「他にも幾つか理由はあります。その、最近人間族の村々でのトコストク・キャイトクが順調で…」
「トコスト…なんです?」
一部の単語が上手く翻訳されず、ミエが思わずいぶかし気な声を上げた。
「天翼語じゃな。もっとも教会教室はこの地方ではどの種族の間でもよく使われておるゆえほぼほぼ共通語となっておるがの。ま、『青空教室』程度の意味と考えればよい」
「ああ寺子屋的な…?」
「テラコヤ? なんじゃそれは」
「あこっちの話です! あはははは…」
シャミルの追及を笑って誤魔化すミエ。
一応今でも記憶喪失ということになっているのである、迂闊な失言は控えなければと改めて肝に銘じる。
まあ割りと幾度もやらかしているので今さらという気もするが。
「そういえばアーリさんが天翼族は辺境の村とかに教会を建ててそこで子供たちに勉強を教えてるとか言ってたような…」
「はい。その教育現場の一部に最近とても良いものが加わりまして…」
「よいもの?」
「はい。『黒板』です」
「あ……っ!」
そういえば言っていた。
アーリが言っていた。
初めて黒板を見せた時、これを天翼族あたりに見せたら喜ぶだろうと言っていた気がする。
「最近獣人族の商人達に進められて導入したその黒板が教育現場で大変好評でして。どこが産地なのかと伺ってみたところ『クラスク村』とのこと。そして大僧正から聞いた名も『クラスク市』でした。わたくしにはそれが偶然の一致とは思えなくて」
「確かに黒板はうちの街のアーリンツ商会社長にして獣人商人会会長のアーリンツ・スフォラボルが広めた商品ですが…」
「アイデアは目の前のそやつからじゃがな」
シャミルのツッコミを聞いたイエタが顔を輝かせる。
「まあ…やはりこちらの街が……! 村々の教会で教える同胞たちも書きやすく消しやすくとても素晴らしい教材だと大喜びでした。お世話になっております」
そして両手を前に深々と頭を下げた。
「いえいえ実際に商品を広めているのは商人の方々ですから、お礼は彼らに言ってやってください。きっと喜ぶと思います」
「はい。ではお許しが頂ければ後ほど…」
頭を上げたイエタは己の胸に手を当て、話を続ける。
「それでもしそのような素晴らしいものの作り手がその街にいるのなら、オーク族の街と言えど互いに理解し合えるのではないかと思いまして」
「それで自分から立候補した、と」
「はい」
一通り話を聞いたミエはシャミルの方に顔を向け、彼女の意見を促す。
「特におかしなことはいっとらんの」
「ですよね」
「イヤ。おかシイ」
「旦那様?」
けれどクラスクだけがやや不満そうな顔で腕を組み反駁した。
「何かおかしいところありました?」
「おかシイ。イエタ、その女神は『この街を援けロ』言っタ」
「はい。仰いました」
「それがなぜ『俺を助けル』にナル」
「ああ…言われてみれば…?」
確かにクラスクはこの街の市長である。
だが厳密に言うならこの街を助けるはイコール彼を助けるとはならないのではないか、とクラスクは指摘しているのだ。
「仰る通りです。確かに女神は直接貴方を助けろとは仰いませんでした。ですが…神託には必ず『寓意』があります」
「グウイ?」
「はい。その神託が下された意味です」
イエタは人差し指を己の下顎に当て小首を傾げる。
「女神が告げられたのは『クラスク市』。それは人の名を冠した街の名です。『街を助ける』とはどういうことか…わたくしはそれをその街の名に含まれている人物を助けることがその街を助けることに繋がるのでは、と解釈しました」
「ああ…!」
「成程。納得シタ」
ミエがぽんと手を叩き、クラスクが腕組みしたまま深く頷いた。
「デ、お前は何がデキル」
「ええと…一応聖職者の資格はもっておりますが…」
「聖職者!!」
クラスクより先にミエが反応し、再びイエタの手を握る。
「イエタさんイエタさん! うちの村の助けになっていただけるなら…是非! うちの教会の修道女になっていただけませんか!?」
その時…はじめてイエタが不思議そうな表情を浮かべた。
ミエの台詞に何か引っかかるものを感じたのである。
そう、オークの街には…決して存在しないはずの施設の名を聞いたから。
「うちの……教会?」