第328話 戦いの誠意
歴然とした実力差がありながら、けれど魔具の助けとネッカの魔導術、そして息の合ったコンビネーションによりなんとか渡り合っているラオクィク、ゲルダ、エモニモの三人。
そんな彼らを見ながら、ウッケ・ハヴシはどうしようもなく苛立ってきた。
なぜこいつらはいつまでも自分の前に立っているのだろう。
なぜこんなにも邪魔立てするのだろう。
どうして俺は…こんな連中にいつまでも付き合わされているのだろう、と。
ウッケ・ハヴシはこれまで多くの戦いを支配してきた。
相手をあっさり真っ二つにするのも、時間をかけて嬲るのも、地面に這いつくばらせて命乞いさせるのも、全て彼の思うがままだった。
かつてそれができなかった相手は…ただ一人だけだ。
そんな彼からしてみれば自分より遥かに…とまでは言わぬがだいぶ劣る相手にこれほど長い時間を無駄に費やされているのは腹立たしい事この上ない。
さらに彼の腹に据えかねていることがもう一つあった。
『女』である。
生意気なオークの若造に付き従い己に刃向かう女が二人。
巨人族の血を引くらしき巨漢の娘と、逆に随分と小柄な人間族の娘。
生意気なことに…この二人女の分際でなかなかに腕が立つ。
自分の手下のオークなど相手にならない程度には強いのだ。
それが彼には我慢ならない。
他種族の女はオークの雄の前に頭を垂れるべきなのだ。
打ちひしがれるべきなのだ
屈服すべきなのだ。
自分達オーク族に全てを奪われ、抵抗する気力を失い、オーク達の腕の下で組み伏せられながら泣き叫び淫らに喘いでいればいいのだ。
なぜそれが鎖付きの斧や剣と盾を構え屈強たるオーク族の頂点に君臨すべき己に刃向かってくるのだろう。
素早く斧を繰り出し、片手で振り回し、両手で本気の大薙ぎを放って三人まとめて後ろに下がらせ、どんと大きく踏み込むと≪威伏≫を用いながら巨人の娘…ゲルダを両断せんとする。
だがそれを素早くカバーしたエモニモが大盾でその一撃を受け止めて、それと同時に盾の向こうでゲルダに素早く『加速の粉』を振り撒く。
身体の自由を取り戻したゲルダがエモニモのカバーを受けながら盾の遮蔽越しに鎖の先端の斧をぶわんと投擲した。
それを片手掴みの大斧で弾くウッケ・ハヴシ。
そして同時に真横から撃ちかかって来たラオクィクの斧を体を斜めにしてかわしながら、その柄をがっしと掴む。
「イイ加減ニシロ……!!」
ぎり、とその強靭な握力でラオクィクの斧をへし折ろうとするウッケ・ハヴシ。
だがそれより早く己の斧を片手に持ち替えたラオクィクが背から槍を引き抜いてウッケ・ハヴシの手の甲を狙い突きを放つ。
一瞬早く手が離されて槍の穂先は空を切った。
その隙に大きく飛び退いたラオクィクは槍と斧を両手に構える。
「生意気ナ真似ヲ…スルナァ!」
猛撃を繰り出すウッケ・ハヴシだが、その攻撃は素早く回り込んだエモニモの大盾によって再度防がれた。
接近戦と守りをエモニモが、隙を見ての遊撃をラオクィクが、そして中距離からの鎖斧と鉄球の投擲による援護をゲルダがそれぞれこなし、ウッケ・ハヴシがどの距離を潰そうとしても残りの二人がそれを食い止めてくる。
彼自身が討ち取られるほどには危機には未だ陥っていないけれど、この三人を突き崩さんとする手は全て防がれ続けていた。
隊商の襲撃や村での略奪…いや人間族との戦争に於いてすらこれほど同じ相手に手こずった経験はない。
その長い膠着状態に…ウッケ・ハヴシは徐々に焦れていった。
(ソウダ…)
と、そこで彼はとあることを思いつきニタリとほくそ笑む。
そうだ、別にこいつらに長々と付き合う必要などないではないか。
とっととこの下らない戦いを終わらせてあの生意気なクラスクを追い駆けその素っ首を刎ね飛ばさなければならないのだから。
そうと決めると彼の動きは素速かった。
大きく大きく横に構え、ぶうんと振り回した横薙ぎの一撃をエモニモに喰らわせ、その盾ごと吹き飛ばす。
そして彼女をカバーして抱きとめるラオクィクを確認すると同時に大きく後ろに飛び跳ねて一気に間合いを開けると…
己の指輪を嵌め直した。
スゥ…とウッケ・ハヴシの姿が消え失せる。
彼が地底の連中と手を組む見返りとして手に入れた『姿消しの指輪』の効果である。
決闘の流儀?
正々堂々?
知ったことか!
彼は内心で毒づいた。
そもそも連中が三人で代理決闘を受けるというのが流儀に反しているのだ。
こちらが姿を消すくらい大した問題ではないだろう。
そんな風に己に言い訳をすると、抜き足差し足で彼らの元へと向かう。
まあそれを言い出すと最初に取り巻きを引き連れて頂上決闘を挑もうとしたのは彼の方なのだし、三人まとめての決闘も女たち二人を蹂躙し凌辱し慰み者とするために彼の方から許諾したはずなのだが、そうした己に都合の悪いことはすぐに忘れてしまうのが彼の性質であった。
なにせ己は最強種たるオーク族の頂点に君臨すべき存在なのだ。
あの若造の邪魔さえなければ何をしても許される存在だったはずなのである。
(サテ…マズハドイツニ喰ラワセテヤルカナ…)
『姿消しの指輪』は指にはめることで姿を消すことのできる強力な魔具である一方、一度攻撃するとその姿が顕わになってしまう。
ゆえによほどの隙でも突かぬ限り姿を消したまま三人まとめて切り伏せることはできぬ。
ただし一度姿を現しても指輪を抜いて嵌め直せば再び姿を消すことが可能である。
さすがに敵の目の前でそんな大きな隙を晒すことはできないけれど、少し間合いを開ければ問題ない。
なにより一人でも倒せば向こうのあの厄介で忌々しいコンビネーション(本来蹂躙されるべきはずの女が男と協力するなどと!彼は内心舌打ちをした)は崩壊するのだ。
とりあえず真っ先に一人消せばあとはどうとでも料理できるはずである。
。
ウッケ・ハヴシは姿を消したままぬたりと勝利の笑みを浮かべ、抜き足差し足で標的と定めたエモニモへとゆっくり近づいていった。
なにせ今日はこの小娘の大盾に幾度も攻撃を防がれた。
他の二人への攻撃も幾度も幾度も防がれた。
人間のくせに生意気だ。
女のくせに生意気だ。
後で己の剛直にてこの娘にじっくりたっぷり己がか弱い女であることをわからせてやるとしても、その前に一度痛い目に合わせてやらねば。
三人はこちらを探しているのかきょろきょろとあたりを見回しながら少しずつ距離を開け、散開してゆく。
そしてその人間族の小娘が…ゆっくりとこちらに近づいて来た。
まさに理想的な展開ではないか!
…が、次の瞬間ウッケ・ハヴシの足に激痛が走った。
横を向いていたはずの彼女の瞳がまっすぐこちらを射抜き、脇に構えていたはずの彼女の剣がまっすぐに、そして深々と彼の足の甲に突き刺さっていたのだ。
これまでの彼女の攻撃は、ここまで深く彼の身体を刺し貫くことはなかった。
常に大盾を構えているがゆえに片手で長剣を扱っていた彼女は、その見た目通りの非力さゆえに頑健なウッケ・ハヴシの身体に深手を与えるには至らなかったのである。
だがその時の彼女は…なぜか大盾を脇に放り両手でその長剣を構えウッケ・ハヴシの脚に突き立てていたのである。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!?」
激痛にその身をよじり、急ぎその小娘を打ち払い地面に縫い留められた己の脚を引き抜こうとする…が、次の瞬間長剣に向け伸ばさんとした彼の腕の動きが止まる。
腕には鎖が絡みついていて、その先端には棘付きの鉄球があった。
そしてその鎖の先には…半食人鬼たるゲルダ。
彼女が投擲した鉄球が、ウッケ・ハヴシの腕を絡め取り、その動きを止めたのだ。
そう、あたかも彼が今まで散々対戦相手の動きを封じて来たかのように。
どぶん、という鈍い音がする。
同時に脇腹に形容できぬ鈍痛と…そして直後に激痛が走った。
脚の甲に突き刺さった剣の痛み、そして腕を絡め取られた事に気を取られた彼は…斜め横から回り込むように駆け寄ったラオクィクの戦斧の斬撃をまともにその横っ腹に喰らったのである。
空気が抜けるような音。
飛び散る血飛沫。
はみ出る内臓。
それは…クラスクからすら受けた事のない、彼の生涯で初めて被った激しい裂傷であった。
痛みに悶え顔を歪める前族長を前に、ラオクィクは無慈悲に戦斧を二度振るい、鎖に絡みつかれていない側の腕を肩から叩き斬り、片足を膝下から切り落とす。
地面にどうと倒れたウッケ・ハヴシの口から、激痛の絶叫が響いた。
わからない。
わからない。
なぜこちらの位置がバレた。
なぜこんなにも姿を消した俺を正確に攻撃できるのだ。
なぜ。
なぜこの俺の姿、を……
内臓をはみ出させながら、腕を斬り落とされ、呻き叫びながら地べたにはいずり藻掻いていたも前族長ウッケ・ハヴシは…そこで己の横の地面を見て、ずっと失念していたあることに気づいた。
…地面が、光っている。
己と戦う際、一番最初にこの人間族の小娘が投擲した粉。
それが地面に落ちて淡く光っている。
光り続けている。
ただ≪暗視≫が使える彼はそれを単なる人間族のための光源だと思い込み、これまで注意を払わなかった。
その粉が、自分の身体にもかかっている。
淡く光る粉…もしそれが、姿を消していても発光を続けていたとしたら?
己と共に不可視となる衣服や武器と異なり、光り続けていたとしたら?
そう、それが魔石を砕いて造られたシャミルの錬金術道具…『輝きの粉末』である。
ウッケ・ハヴシの対策会議をしている時シャミルが依頼されていたアイテムがこれだ。
周囲を薄明るく照らし出し、同時に範囲内にいる者に消えぬ光る粉を浴びせることで隠密したり透明化したりした時にその輪郭を浮き立たせ露見させることができる。
魔導術には似たような効果に加えて発動時に対象の目を眩ませる〈煌塵〉という呪文があるが、さしずめそれの錬金術による劣化再現版といったところだろうか。
魔石を素材として用いることでやや魔術寄りの効果を発現させている、本来錬金術としてはだいぶ高度で値の張るアイテムである。
そう…最初から全て仕込みだったのだ。
『加速の粉』を用いた、決定打こそないもののウッケ・ハヴシ必勝の策を防ぎ耐える戦術。
〈岩肌〉の呪文を用いた持久戦寄りの戦い…
それらはすべて長期戦に慣れておらず己の思い通りにならぬことに我慢ができぬウッケ・ハヴシを焦らし、苛立たせるための方策。
そして勝負を急いだ彼が『姿消しの指輪』に頼ることで普段纏っている闘気や殺気を抑え、忍び足で近寄るという、いわば『戦士として油断した状態』を作り出す。
全ては…彼を討つ最大の好機を作り出さんがための策略だったのである。
「オ前ガ…最後マデ戦士トシテ誇リ高ク戦ッタラ、モシカシタラ俺達ノガ先ニ疲レテ、まじないモ切レテ、アノ粉モ使イ切ッテ負ケテタカモシレネエ」
戦斧を地面にどすんと突き立て、背中の槍を引き抜きながらラオクィクが告げる。
「ダガオ前ハ『楽』ヲ取ッタ。楽シテ勝チヲ拾オウトシタ。戦イノ誠意ヲ失ッタ。ソレハ戦士デアルコトヲヤメタッテコトダ」
ゲルダの鎖に絡みつけられながら地面に転がり呻く、かつて自分達の族長だったオークを睥睨しながら…ラオクィクは淡々と告げる。
「女ノ…イヤ『家族』ノ助ケヲ借リタ俺ガオーク族ノ戦士トシテ正シイトハ言ワネエ」
ゲルダと、そしてエモニモと視線をかわし、互いに深く頷く。
「ダガソレデモ決着ハ決着ダ。代理決闘ノ評決ハ出タ。オ前ニハヤッパリ…ウチノ族長ニ挑ム『貫目』ガ足リネエ。俺達ニ負ケルヨウジャナ」
そして構えた槍を、その巨大なオークの喉笛に深く突き刺して……その戦場の終焉と為したのである。