第327話 前族長との攻防
さてキャス達がシャミルの故郷たる銀時計村で地下帝国の橋頭保たる天窓を爆破した時分より少々遡る。
暗夜、草原の一角にて、地面が薄明るく輝いている場所があった。
かつて圧倒的な力でこの村を支配していたウッケ・ハヴシと、代理決闘によって彼の相手を引き受けたラオクィクとその妻二人の決戦の場である。
一対三という変則的な立ち合いではあるが、多少の増援があっても相手が女であれば侮るだろうと、そして彼女らを手籠めにする目的で拒絶しないであろうというクラスクの目論見が見事的中した形である。
ぶうん、と闇を切り裂く音と共に振るわれる大斧。
ウッケ・ハヴシの怪腕より放たれた必殺の一撃である。
本来両手で振るわなければ十全に扱えぬその大斧を、彼はその恐るべき膂力によって片手でも自在に振るうことができる。
ただでさえリーチの長い大斧を片手で振るうことで、肩を突き出す分さらにリーチが伸び、本来あり得ない距離から必殺の斬撃を放てるのが彼の強味であった。
無論両手で扱うよりも片手の方が威力は若干下がってしまうけれど、その結果として訪れるのがいずれも敵の胴体の両断と逃れ得ぬ死であるのならそこに難の違いもない。
その異様に伸びる一撃は後衛に下がったはずのエモニモに纏わりつくように放たれた。
まるで獲物に襲い掛かる大蛇のような不気味な動きである。
エモニモは大盾を地面に突き刺しその下にしゃがみこむようにしてその一撃を受けた。
…が、ウッケ・ハヴシの猛攻はそれで止まらない。
ずんと大きく踏み込んで、空いたもう片方の腕を伸ばし直接エモニモを捕らえんとする。
その隙をついて背後からラオクィクが斧で斬りかかる…が、振り向いたウッケ・ハヴシのひと睨みでその足をびたりと止めた。
彼の必勝とも言えるスキル≪威伏≫の効果である。
身動きできぬ小生意気な若造目がけ、片腕でエモニモに叩きつけた大斧をひょいと持ち上げたウッケ・ハヴシは己の頭上を通過する軌跡で逆方向のラオクィク目がけてそれを放つ。
さらには途中空いていた片腕で斧の柄を掴み、両手持ちにしてその威力を層倍に高めてのけた。
「ほらよっ!」
だがその斜め後方から走り寄った半食人鬼が、素早く手にした袋からラオクィクに粉を振り撒く。
途端彼の止まっていた足がのろりとだが動き出し、彼はウッケ・ハヴシの一撃をギリギリで受けた。
受けた…はいいが重力と怪力を伴ったウッケ・ハヴシの一撃の強さは激甚であった。
斧刃を己の肉体から逸らし切れず、ラオクィクはそれを肩にまともに喰らう。
がいん、と鈍い音がする。
異様に硬い何かに金属がぶち当たった音だ。
本来であれば掠っただけで肩ごと腕が吹き飛び出血多量によりその場でショック死してもおかしくない絶死の一撃。
だがギリギリ斧で受けられたことで威力が減衰し、さらに異様に硬くなった肌で受けることでその斧撃を弾いてのける。
それでも完全には防ぎ切れなかったのか、ラオクィクの肩口から軽く鮮血が迸った。
ウッケ・ハヴシが必殺の一撃で決めきれなかったその刹那、彼の背後からエモニモが大盾に身を隠しながら全力で突進し、その長剣を彼の足目がけて突き刺さんとする。
直後、鈍い音が響いた。
圧倒的リーチを誇る蹴り脚でエモニモの大盾を蹴とばすことで、ウッケ・ハヴシは彼女を後方の暗闇へと吹き飛ばす。
エモニモはそのまま数ウィーブル(数m)ほど後方へと跳ね飛んで、地面をすれすれで後方転回して草原の上を滑るように着地した。
「マジか。大盾で受けてもこの威力かよ」
「助カッタ」
「おめーがアタシに礼言うとは珍しいじゃん」
ゲルダとラオクィクが軽口を叩きながらそれぞれ鎖斧と戦斧を構える。
「後ろのオーク達は全部くたばったと思うぜ。あとはコイツだけだ」
「ワカッタ」
ウッケ・ハヴシが連れていた取り巻きのオーク達…
クラスクに復讐すべく北のオーク達の部族を回り族長どもの脳天をかち割ってその下の連中を威伏せしめかき集めた彼の新らな手下ども。
その大半は族長クラスクを追っていた際彼を守り運ぶべく現れた魔狼コルキによって駆逐されてしまっていたが、まだ少数は生き残っていた。
ゲルダはそれをウッケ・ハヴシと戦いながら隙を見てリーチの長い鎖斧で少しずつ仕留めていたのである。
無論ウッケ・ハヴシもその間隙を突いて残り二人を片付け勝負を決めようとするも、今回のようにギリギリ踏みとどまられてしまい、結果今に至っている。
…本来こんな手間がかかる連中ではないはずなのだ。
彼のスキル≪威伏≫は対象を自由に分割できる。
一人だろうと数人まとめてだろうと、近距離でかつ視認可能であれば対象に含めることが可能だ。
そして対象が一人であればほぼ確実にその動きを止め、無防備にできる。
真っ二つにするのも嬲り殺すのも自由自在だ。
対象を二人にすると相手は動く事自体は可能となるがその動作はひどく緩慢となり、彼の実力があれば二人まとめてどうとでも料理できる。
三人以上に範囲を広げると相手にある程度自由に動かれてしまうけれど、移動速度と回避にそれぞれペナルティーが入る。
こちらは主に集団戦で相手のテンポを崩したり逃げようとする相手の足に重しをつけて確実に狩るために用いるものだ。
…が、この三人には彼の必勝の戦法が通用しない。
『加速の粉』によるごくごく短時間の高速化。
本来であれば攻撃サポートのためのアイテムを、彼らは全員でそれを所持することでウッケ・ハヴシの≪威伏≫対策に用いた。
粉自体は取り出して振りかけるという手間がかかるため当人が≪威伏≫されてしまっては使えない。
だが一人だけ≪威伏≫されたなら近くにいる別の二人が素早くフォローし、二人纏めてであれば残り一人が粉を受け持って、そして三人まとめて≪威伏≫された際は全員それなりに動けるために己自身に粉が使える。
結果としてウッケ・ハヴシの必勝の戦法は、軽い気持ちで受け入れた女二人によって完全に阻まれた形となった。
「ウロチョロスンジャネエ!」
横薙ぎの一撃がエモニモを襲い、それを盾で受けようとした彼女の頭上を斧がすっ飛んで行った。
手首の返しだけで斧の方向を変え、大きく半回転させた一撃を逆方向から挟み撃ちにせんとしたゲルダに叩きつける。
「うわ…っとぉ!」
その猛撃を鎖斧の斧部分で受け止めるが、防ぎ切れず体をくの字に曲げて吹き飛ばされるゲルダ。
だが軽い出血を放つのみでその身体はウッケ・ハヴシが期待したように真っ二つにはなってくれぬ。
先刻もそうだった。
小生意気なオークの若造に大上段から斬りつけたというのに、肩がちぎれ飛ぶどころか手に残ったのは妙に硬い感触。
そして相手は軽い出血のみ。
まともに刃が通ってくれぬ。
ウッケ・ハヴシは苛立たし気に舌打ちした。
これも彼らの…というかクラスク村の幹部全員の共通の対策である。
現在クラスク村の幹部連中にはすべて強力な防御術〈岩肌〉が付与されているのだ。
金貨数百枚の高価な触媒と引き換えに数時間の間強力なダメージ軽減を得られる魔導術である。
本来冒険者などが主力となる戦士を守るために少なくない出費でかける護りの要のような呪文なのだが、それをクラスク村は幹部十人以上にまとめてかけている。
相当な資金力がなければできぬ芸当である。
実際ラオクィク達三人は、ウッケ・ハヴシの攻撃を完全に防げているわけではない。
三対一であっても個々の力量には大きな開きがあるためだ。
『加速の粉』を使うタイミングが遅れたり、間に合わなかったり、そうした時にカバーに入るエモニモの大盾が間に合わないと、彼らも被弾してしまうことがある。
本来であればそれで決着がついてしまうはずだ。
ウッケ・ハヴシの一撃は頑健なオークでさえ真っ二つにされるほどの圧倒的な破壊力を誇る。
喩え掠っただけでも相手は手足を斬り飛ばされ首が吹き飛びいとも容易く命を散らすす。
それが彼の決闘の結末の常だった。
しかしネッカの防御術によって高いダメージ軽減を受けた彼らは、少しでもその攻撃を斧や盾で受けて被弾を減らすか逸らすことさえできればそうそう大打撃を受けることはない。
まあこの呪文の恩恵を受けている状態ですら血飛沫が上がり裂傷を負わされている時点で脅威の攻撃力ではあるのだが、いずれにせよラオクィク達は未だ戦闘不能には陥っていない。
「クソガ…ッ!」
ウッケ・ハヴシの本来の目的…己から族長の座を奪ったクラスクへの復讐。
けれど…それを阻む邪魔者達の前に、彼の目論見は崩れつつあった。