第323話 暁暗、銀時計村の攻防
攻撃が相手のかなり手前で弾かれる。
何かに逸らされたり弾力によって届かない感じではない。
目に見えない異様に硬い何かにぶち当たって跳ね返される感じだ。
キャスは片足で大きく後方に飛びながらスッと目を閉じて精神を一気に集中させた。
その黒騎士の周りの精霊を感じ取ろうとしたのだ。
強敵の前で目を閉じるのは危険極まりない行為だが相手の護りの絡繰りを見破らぬ限り勝ち目がない。
なにせこちらの攻撃が…少なくとも現時点では全方向から完璧に防がれているのだ。
もしこれが深緑の巫女たるサフィナであれば一目で相手の周りの精霊の動きや魔力の流れを見破れたのかもしれないが、そこまでには至らぬキャスはリスクを取ってでも看破する必要があった。
(精霊の力は……感じない!)
そう察すると同時に目を開けるが、既に相手の大剣が両手で突き込むようにしてキャスの眼前に迫っていた。
…が、これを横から飛び込んだギスが曲刀でなんとか受け、斜め上に逸らす。
「ギス! 精霊魔術じゃない!」
「ええ、これは魔導の障へ…きゃん!」
「ギス!」
逸らしたはずの大剣が空中でVの字に角度を変え、さらにそこからもう一段角度を変えて真横からギスを薙ぎ払う。
その横薙ぎを胴体にまともに受けたギスは…そのまま真横に吹き飛んだ。
「ッ!?」
間違いなく胴体を両断したつもりだった黒騎士は驚愕し、その後下からすくい上げるように突きを放たんとしたキャスの剣を返す刃で受け止める。
「〈解き放て〉!」
キャスの愛剣に纏っていた風が一気に収束し、暴風となって黒騎士を襲う。
黒騎士ウィールはそれに押されるように二歩、三歩と下がって剣を構え直した。
その隙にキャスは彼の前から飛び離れ、先ほどの斬撃で横に吹き飛ばされながらも空で素早く後方宙返りを決め着地した…いや正確にはそのまま勢いに負けて数歩後ろによろめいたギスの方へと駆け寄った。
「無事か!」
「なんとかね」
岩すら両断する黒騎士の絶死の一撃…だがギスの身体には傷一つついていない。
それは彼女の肉体にネッカ秘伝の魔導術が付与されているからだ。
〈岩肌〉…
精霊魔術の〈土の鎧〉と並ぶ戦場に於ける防御の要とされる魔導術である。
この術の対象となった者はその皮膚を硬化させ相手の攻撃を弾く。
岩肌と呼ばれているが実際の強度は岩より硬く、〈土の鎧〉と異なり魔法の武器すら弾いてのける強大な防御術だ。
この術の影響下にある者を自由に傷つけるためには真銀や隕鉄、それに金剛鉄といった特殊な魔法金属を鍛えて打ちあげた魔法の武器でなければならない。
ただし万能の防御魔術、というわけでもない。
〈土の鎧〉同様高すぎる攻撃力があればこの術でダメージの大半を軽減した上でなお傷つく恐れがあるし、ダメージの吸収量に限界があるため攻撃を受け続ければ術の効果が切れてしまう。
あくまで致命的な攻撃を幾度か防げる、といった用途の呪文だ。
無論それでもこの術の加護にある者の生存率は格段に向上する。
持続時間中幾度かの致死ダメージを無効化してくれるし、それ以下のダメージであればさらに多くを防いでくれるのだから当たり前であろう、
さらにこれは石系統の呪文であるためネッカの得意分野でもある。
冒険などに用いればパーティーの大きな大きな助けとなるはずだ。
ただし…この術の些細な、それでいて看過できぬ大きな欠陥が一つある。
…高価なのだ。
術の触媒として金貨そのものが必要となる。
それもこの呪文を一回唱えるごとに金貨が数百枚単位で消し飛んでしまうのだ。
この呪文の対象は単体…人型生物であれば一人。
つまり複数人にかけるならその都度触媒が必要、ということだ。
非常に強大な防御力が得られるとはいえ、経済的余裕がないパーティーには全く手が出ない、まさに宝の持ち腐れにもなりかねない呪文なのである。
だが…それをクラスク村は存分に活用した。
今日の日のためにあらかじめ巻物によって数を確保し、ネッカに唱えてもらうことで村の首脳陣『全員』に、この呪文をかけたのだ。
術者の魔力によって最短一時間から長くても半日ほどしかもたぬ呪文を、金貨数千枚をかけて主だった幹部全員に付与したのである。
城から打って出たワッフが毒塗りのナイフを急所に受けながら傷一つつかなかったのも、先刻のギスの胴を真っ二つにされる勢いで叩き切られながら無事でいられたのも、全てこの呪文の加護あってこそだったのだ。
「『反射』や『反発』ではないようだ。風で押し返せた」
「なるほどね…ってことはやっぱり力場障壁かしら」
「おそらくは。見当は?」
「ごめん私知ってる呪文のレパートリー少なくって」
「わかった」
素早く言葉を交わし、すぐに左右に分かれる。
敵が魔導術を操る戦士…いやおそらく魔導騎士であろう事がわかったからだ。
魔導騎士は地底の軍団に存在する上級職の一つと言われている。
字の如く魔導術を操る騎士である。
通常魔導術は動作要素を満たせなくなるため重い鎧を着れないが、彼らは特殊な鎧と特殊な鍛錬を併用し、さらには動作要素を極力必要としない呪文を厳選して修得することで重装の鎧を纏ったまま魔導術を操る事ができるらしい。
そんな敵相手に一か所に固まっていたら範囲攻撃魔術でまとめて薙ぎ払われかねない。
キャスとギスはそれを警戒して二手に分かれたのだ。
(だが…どうする? あれが魔導術だとして、相手の術の正体は一体なんだ…!?)
精霊が動いた気配はなく、相手が用いているのは十中八九魔導術で間違いない。
この中で魔導術について一番詳しいのは使い手たるギスだが、彼女は正規の魔導学院の生徒ではないため広汎な魔術知識を知らぬ。
知っているのは己が唱える術のみで、ネッカのように相手の詠唱を聞き身振り手振りを見て次に唱える呪文を推察できたりはできないのだ。
(相手の今までの行動と術の効果を考えろ…必ず突破口はあるはずだ…!)
激しく黒騎士に打ち込んでは慌てて逃げ出すイェーヴフ。
攻撃が通用しないと見るや隠れたまま一切出て来ないリーパグ。
敵の呪文がどれほど持続するかわからない。
けれど少なくともこちらの防御術…ネッカのかけてくれた〈岩肌〉は有限だ。
避けきれなかった攻撃は自分達の纏っている頑健な護りの魔術を削っていって…いつかそれが切れた時、この身体はあの剛剣によって両断されているだろう。
(そうだ…剣、あの剣だ。あの剣がまずおかしい)
攻撃を反射する概念属性や攻撃の勢いに対して反発力で押し返すような呪文と異なり、かの黒騎士の不可視の護りは明らかに物理的な『硬さ』があった。
つまり魔導術の初歩的な防御術〈魔術師の鎧〉や〈魔楯〉のように、不可視の『力場障壁』によるものと考えられる。
ただし〈魔術師の鎧〉であれば守護されている部位は胴体だけだし、〈魔楯〉であれば主に前方を守る不可視の防御力場を展開する。
先刻のように四方からの攻撃を全て防ぐ力場など聞いたことがない。
しかも力場は目に見えぬだけでそこに物理的に存在し、そしてあらゆる攻撃を弾く。
そう、あらゆる攻撃を、である。
それが純然たる魔導師であれば〈魔楯〉の背後に隠れながら呪文を詠唱し、力場の障壁ごしに顔を出して敵を狙撃…のような戦法も取れようが、戦士はそうはゆかぬ。
戦士は剣を用いて相手と戦わなければならない。
そして…力場障壁は己自身の剣をも弾いてしまうのだ。
ならばなぜ全周囲の攻撃を防げるにもかかわらず彼の大剣はその外側の相手に斬りかかれるのだ?
キャスにはそれがわからず打つ手が見いだせなかった。
黒騎士の大剣が奏でる漆黒の稲妻が如き軌跡が…間合いから逃げ出しかけたイェーヴフの背を穿ち、その魔術の護りを貫いて激しく血飛沫を散らした。