第315話 地底軍総司令クリューカ
背後の軍隊でどよめきが起こる。
おそらくコルキが戦場で大立ち回りをしているのだろう。
丈の高い草原を駆け抜けながら、クラスクは背負っていた斧を抜き放った。
先刻のコルキの地底軍どもへの襲撃…その最初の一撃のインパクトに皆が目を奪われる中、コルキは後脚を大きく立て伸びをして、その背に乗っていたクラスクを宙へと放り出した。
クラスクはそのまま近くの草むらへと投げ出され、受け身を取ってごろんと転がりそのまま戦場を後にしたのだ。
コルキがあえて彼らと交戦していたのは己に注目を集めクラスクから目を逸らさせるため。
つまり陽動である。
その狼はその圧倒的体躯と俊敏性、そして獣を逸脱した狡知によって、その役目を見事果たしてのけたのだ。
さてこのアルザス王国の大半は平野であり、そして人が入植していない地の殆どは荒野である。
とはいえこのあたりはクラスク村に活気が増して浄化の力が強まったせいか、前述の通り草原が伸びてきているが。
だがそれでも徐々に丈の高い草は減ってゆき、やがて荒れ果てた土や岩が顔を出す。
足元はでこぼことしているが、大きな起伏は少ない。
ゆえに目的地の丘と言ってもたかが知れている高さである。
せいぜい60フース(約18m)かそこら、といったところだろうか。
その丘の頂に…その男は立っていた。
褐色の肌、銀の髪、尖った耳、燃えるような紅い瞳、険しそうに寄せられた眉、不機嫌そうな口元。
若者と言うほどには若々しくはなく、かといって老成という程老いてもいない。
見たところ年の頃は三十代手前くらいだろうか。
ただ黒エルフゆえに正確な年齢は不明である。
その男は腕組みをしながら己の上腕をとんとんと指で叩きつつ苛立たし気に足を鳴らしていた。
想定外。
何もかも想定外なのだ。
村を蹂躙せんと時間をかけて大軍を集めてみれば、村がいつの間にかに城塞に変貌している。
前回斥候を出した時…ほんの二カ月前までは確かにただの小村に過ぎなかった。
そう、ただの村だったはずなのだ。
たとえ魔術だろうと一朝一夕であの城を造ることは難しい。
無論不可能ではないはずだ。
人類最高峰の大賢者であらば万物創造の理を解きほぐし、城のひとつくらい生み出せるかもしれない。
ただそんなレベルの魔導師は地底世界にすら殆どいない。
ましてや辺境の片田舎の一小村に存在するはずがない。
それ以外で短時間で魔術で急造できるとしたら幻影系統の魔術である〈まやかしの城〉やその類似呪文くらいしかないが、目の前の城には明らかな物理的実体がある。
実体があるということはつまり石を切り出して削り出し石材として加工した上でこの平地のど真ん中まで運搬して積み上げたと言う事になる。
だがそんなことをあの人員でこなすことなど不可能なはずだ。
一体全体何をどうしたらこの短期間にあれほどの城が作れるというのだろう。
…まさかに彼も魔術によって整えられたのが大量の石材のみで、あとは近隣の人員をかき集めてその城を物理的に、そして力任せにオークどもが積み上げたとは思ってもみなかった。
魔術に傾倒している彼は、だがそれゆえにたかが低能な人型生物《フェインミュ-ブ》のオークどもにそんな事ができてたまるかという思い込みがあったのだ。
このあたり、他種族を過少に評価する黒エルフの悪癖が顔を出してしまっている。
さらに今回は別の難関が彼の前に立ちはだかっていた。
敵の術師である。
ともあれどうやら向こうに雇われたらしき術師がいるらしい。
これがなかなかの使い手で、こちらが仕掛ける呪文を悉く防いでくる。
いや完全に止められているわけではない。
単純な実力ならこちらの方がずっと上のはずだ。
ただ防げる魔術は死に物狂いで防ぎ、防ぎ切れないものは最小限の被害で『逸らす』。
そうやって魔術戦における戦術的致命傷を避け続けている。
こちらは距離が離れているためそもそも向こうに届く呪文自体が少ない。
相手が魔導師だとすればばこちらの限られた手数と選択肢が読まれやすくなっているのもあるだろう。
だがこの距離でこちらの詠唱が聞こえるはずもなく、当然詠唱時の手足の動きを目にすることもできないはずだ。
詠唱要素や動作要素を目視で確認せず相手の呪文を正確に予測することは難しい。
そんなことができるとすれば卓越した巫覡の類くらいだが、だとすれば向こうが用いるのは精霊魔術のはずで、あの城壁の上で唱えられているような豊富な防御術は持ち得ないはずだ。
一体向こうの護り手は何者なのだろうか。
「…まあいい」
小さく嘆息して心を切り替える。
どんなに優れた術師でも戦士と違い魔術師には限界がある。
…『魔力切れ』である。
力任せに武器を振るう戦士たちと異なり、魔術師たちは呪文を唱えるたびに替えの利かないリソースを消耗する。
それが『魔力』である。
あれほど矢継ぎ早に魔術を唱え続けていいれば、遠からず向こうがガス欠となることは目に見えていた。
こちらと違って。
ならばその前にもう一つの用事を片付けて、改めて魔術戦で叩き潰せばよい。
「なに、この期間で城を建てたことには驚いたがどうせすぐに陥落するとも。夜明けまでには決着がつくだろう」
そしてそう呟くと…背後の草むらの方を向いた。
「来ているのだろう? わざわざ長自ら乗り込んでくるとは。流石にオーク族と言ったところか。呆れた蛮族だな」
最後の言葉だけ、彼は『言語』を変えた。
それまでは地底語だったものを地上の共通語に変えたのだ。
「……やはり気づイテイタか」
丘の中腹の岩陰から、斧を構えたオークがゆっくりと立ち上がった。
クラスクである。
「当然だ。貴様が来る事は最初からわかっていた。わかった上で待ち受けていたのだとも。長を潰せば城の士気も落ちようというものだ」
「…………………」
クラスクはその黒エルフの言葉を聞いてこいつもウッケ・ハヴシと同レベルか…と思ったが口には出さなかった。
挑発して怒らせるのは容易い。
けれど今は怒らせない方がいい。
なぜなら目の前の男の機嫌がいいからだ。
わざわざこちらが問わない事を口にした。
おそらく予想した通りの事が起きて調子に乗っているのだ。
ならば口の軽いままで色々と喋ってもらうとしよう。
クラスクはそう判断して彼の軽口に耳を傾けた。
「前回は随分と運が良かったな。だが実力も認めよう。私の魔術の弟子を二人も倒してのけたのだ。そこは誇っていいとも」
無言のクラスクをちょうどいい聞き手と思ったのか、クリューカの口はよく回った。
「この短期間であれほどの城壁を築き上げたことも誉めてやろう。無論落とす手段はあるとも。だがまずお前を倒片付けてからじっくり嬲ってやろうと思ってなあ」
成程。
つまり今こいつを片付ければ本格的に城攻めされずに済むという事か。
クラスクはうんうんと納得し一人肯く。
「随分と待たせてくれた。だがそれも今日までだ。今日…全部終わらせて、私は全てを手に入れる!」
ぐるん、とクラスクの方へ振り向いて、その黒エルフは不気味に上唇を歪ませた。
不気味で、高圧的で、威圧的で。
それは圧倒的な自信と、それを持つに足るだけの実力のある者が見せる笑みだとクラスクは肌で感じた。
だが…同時に彼はこうも思った。
今日こいつは帰らない。
逃げ出さない。
自分を殺し、あの城を落とし、中にいるであろうギスを引き摺り出してそのはらわたを引き裂きあの宝石を取り戻すまで、こいつは戦う覚悟なのだ。
……ありがたい、と。
俺は運がいい、と。
そう思ったのだ。
「さあ見せてくれ! 私の野望の邪魔をした愚か者が断末魔の叫びを上げる様を!」
「…それは俺の台詞ダ」
その言葉が始まりだった。
クラスク村と、地底の軍団と。
互いを総べる司令同士の決戦の幕が、今、切って落とされたのだ。