第310話 族長と村長
ウッケ・ハヴシが放った大斧の一撃。
クラスクはそれを微動だにせず待ち受ける。
がごぎんっ!
鋭く、硬い金属音が響く。
真上から振るわれた必殺必死の斬撃、それをクラスクでない何者かが狙い過たず真横から撃ち抜いて吹き飛ばす。
その横斬もまた戦斧。
背に槍を挿した痩身長躯のオークにしてクラスクの右腕、ラオクィクである。
「ウチノ族長ニ手ヲ出スナ」
「オ…? アア、オ前ノ取リ巻キカ、クラスク。イイモン飼ッテルジャネエカ」
「………………」
皮肉げに肩を揺するウッケ・ハヴシ。
だがクラスクは無言。
「オオイ…ナンカ言エヨ!」
地面に突き刺さった己の大斧を手首の返しだけで斜め上に振り抜き、クラスクの胴を薙ぎ払わんとする。
だがそれもまたラオクィクが素早く振るった唐竹割りの斧撃によって鈍い金属音と共に弾かれた。
…遠くで獣の遠吠えが聞こえる。
戦の喧騒に興奮した森の野獣の咆哮だろうか。
クラスクは、無言のまま静かに己の前に立ちはだかる前族長を見上げている。
「ナンダァ…?」
その目つきが、ウッケ・ハヴシには気に入らなかった。
己に挑みかからんとする激情がない。
かといってこちらを見下げ果てるような侮蔑もない。
そして待ち伏せされ策を潰されたはずなのに焦燥もなければ憤怒もない。
ただただ冷めている。
それはかつて幾多の有力な部族から畏敬と畏怖を集めたウッケ・ハヴシに対し、なんら関心を抱かいていない瞳であった。
「ナンダソノ面ハ」
「……………………………………………」
「コノ俺ヲ前ニナンダソノ面ハト聞イテンダッ!」
怒号、咆哮。
その猛々しさに背後のオークどもが震え上がる。
クラスク村のオークではない。
ウッケ・ハヴシが連れて来た、このあたりの者ではないオークどもだ。
おそらくかつて彼らを治めていたであろう族長はウッケ・ハヴシの手により両断されているのだろう。
強き者に従うオーク族の流儀を考えれば、その後彼の配下に加わってもなんらおかしくはない。
クラスクは…そんな激昂するウッケ・ハヴシを冷めた目で見つめながらようやく重い口を開いた。
「…俺ノ動キヲオ前ハ読ンダ」
「オオ!」
「ダガ、ソレヲ地底ノ連中ニ伝エナカッタナ」
「アン…?」
ウッケ・ハヴシは首を捻る。
なんでそんな当たり前のことを言い出すのだろうか、と。
だってこれは己が見つけたことだ。
己の気づきだ。
ならばそれは当然己の手柄だ。
己が総取りにできるではないか。
全部独り占めにできるではないか。。
なぜそれをわざわざ他人に伝え戦果を、富を分配する必要があるのだろうか。
「それトもう一つ。お前は俺の生首を晒して開城を迫ルト言っタナ」
「オオ。ソウダ。アノ城イイナ! 俺ノモノニスル! ハハハ! ヨク俺ノタメニ見事ナ城ヲ築キ上ゲタ! ソコハ褒メテヤル! 褒美トシテナルベク綺麗ニソノ首ヲ叩キ斬ッテ…」
「お前ハあほうカ」
「アン…ダッテ?」
心底呆れたようなクラスクの口調に思わずムッとするウッケ・ハヴシ。
そのままぶうんと斧を彼の真横から叩きつけその身体を上下に両断しようとしたが、これまた寸前でラオクィクの斧に弾き返される。
クラスクは相変わらず避けも受けもしない。
それどころか身動き一つしない。
それがウッケ・ハヴシをますます憤らせた。
「なんデ俺の生首如きデあの城が落ちルト思っテルンダ、お前ハ」
「ウン…ウン?」
ウッケ・ハヴシにはクラスクの入っていることがさっぱり理解できなかった。
だってこの男はあの村の族長ではないか。
腹立たしいことだが(心底腹立たしいことだが!)自分を一度打ち負かし、族長の座に就いたのだ。
己以外の相手に後れを取るとは思えない。
今もこの男が族長だというのなら、それを打ち負かせば己が族長ではないか。
そうすれば全部己のものではないか。
全て手に入れられるではないか。
前族長となったこの男の生首を掲げれば城のオークどもはこぞって門を開けるはずだ。
そうでなくばおかしい。
ウッケ・ハヴシは本気でそう思っていた。
本気でそう信じて疑わないのだ。
ゆえにクラスクとの会話が噛み合わない。
言葉は通じるのに相手の言っていることが理解できないのだ。
より正確に言えばクラスクの方だけはウッケ・ハヴシの理屈が理解できている。
かつては同じ価値観を持っていたからだ。
けれど今は違う。
ウッケ・ハヴシの、従来のオーク族の価値観と、クラスクは既に決別していたのである。
「少しハ…楽しみにしテタんダ」
敗北を知った前族長が、それを糧に何を学ぶのか、どう変わるのか、どう成長しているのか。
戦場で王国騎士達と戦っている彼を見たときに、おそらく地底の連中と手を組んだであろう彼が一体どのように変貌したのかを、直接会って確かめたいと思ったのだ。
だがその期待は無駄に終わった。
彼は変わっていない。
徹頭徹尾変わっていない。
全てが己中心。
全ての物は己の所有物。
全ての支配者は己一人のみ。
暴力、支配、蹂躙、略奪…そして溢れんほどの我欲。
自己中心の権化である彼は、この世の全てが己の価値観で回っていると信じて疑っていない。
クラスクは確かにあの村の長だ。
彼らを守り導く義務と責任がある。
けれどクラスクを殺せばあの村が素直に恭順するかと言えば、答えは否だ。
ミエはきっと嘆き悲しむだろうけれど(そしてそのことを考えた途端クラスクの胸は掻きむしらんばかりに痛んだけれど)、だからといってそれで彼女が判断を誤るとは思えない。
きっとミエは村を守る。
あらゆる手段を使ってウッケ・ハヴシを追い返す。追い散らす。
あの村はそういう村だ。
けれどウッケ・ハヴシにはその理屈が理解できない。
それはオーク族の価値観ではないからだ。
「お前はお前なりに鍛えタのかもしれなイ。前より強くなっテルかもしれナイ」
クラスクは小さくため息をついて、じろりと前族長を見上げた。
「ダガ根っこがソノママならもう興味ナイ。お前ハ確かニ強イ。デモソノママのお前もう怖くナイ。俺ハあの村ノ脅威始末スルタメニココにキタ。デモそれはお前ジャナイ。もうお前ジャナイ」
「テメェ…ッ!」
ウッケ・ハヴシはようやく己の内の怒り…先刻からクラスクに対して感じている憤怒の正体を理解した。
無関心、である。
己に畏怖しない、恐怖もない。
怒りも、憤怒も、憎悪も、敵愾心の一つもない。
まるでこちらが路傍の石頃であるかのように、ただただ己に興味を持っていないのだ。
ウッケ・ハヴシはこれまでこんな反応を示す相手に会った事はなかった。
信奉にせよ畏怖にせよ、恭順にせよ敵意にせよ、彼と会ったものは必ず彼を取り込もうとするか、敵対しようとした。
必ず何か反応したのだ。
だというのに彼には、今のクラスクにだけはそれがない。
それがあまりにも腹立たしくて、ウッケ・ハヴシのはらわたは煮えくり返った。
「テメェハ…頂上決闘デ潰ス! 必ズ潰ス!」
「イヤ。だから俺ハ用ガアル。後にシテクレ」
「フ…ッザケルナァッ!!」
凄まじい斬撃を斜め上から振り下ろす。
巨人とて真っ二つになりかねない一撃だ。
「ハァァッ!」
だがそれを裂帛の気合と共に大振りに振り回したラオクィクの斧が弾く。
その隙にウッケ・ハヴシに背を向けクラスクがすたこらさっさと走り出した。
「待テ! テメエ! コノ臆病野郎! 神聖な頂上決闘カラ逃ゲルツモリカァ!! 族長ダロウガァ!!」
「違ウ!」
闇の中からクラスクの声が響く。
朗々として、それでいて堂々とした響きだった。
それは逃亡者の声でも、ましてや臆病者の声でもなかった。
「俺ハ族長じゃナイ…『村長』ダ!!」
「ソン…チョウ?」
聞いたことのない言葉にウッケ・ハヴシが首を捻る。
「ソレニ…俺ハオーク族の流儀無視シタ覚えナイ!!」
「ナニィ…!?」
急速に遠くなる声が、けれど捨て置けぬ捨て台詞を放つ。
わからない。
わからない。
決闘を挑んだ相手に背を向けて逃げ出して、それの一体どこに決闘の流儀があるというのだろうか。
「マダワカンネエカ…?」
そこに…ウッケ・ハヴシがずっと目に留めていなかったオークが口を挟んだ。
クラスクへの攻撃を再三邪魔してのけた彼の取り巻き……彼からすれば『三下』である。
「ウチノ村長ガオ前如キ相手ニスルカ。サッキカラオ前ノ攻撃ヲ受ケタノハ…全部俺ダロウガ」
「アアン…ソレガドウシ…」
そこまで言い差して、ウッケ・ハヴシの動きが止まった。
ある。
確かにある。
頂上決闘の挑戦を受けた者が、その挑戦者に背中を見せて逃げ出しても許される状況が一つだけある。
ただ…それは。
それを認めると言う事は、ウッケ・ハヴシにとって甚だしいまでの屈辱であった。
あまりにも無礼すぎて過ぎてこれまで脳裏に浮かばなかったほどに。
「オ前ノ挑戦…『代理決闘』トシテ俺ガ受ケル。オ前ノ大好キナ『オークノシキタリ』ダ。マサカ文句ハ言ワネエダロウナ?」
ラオクィクの言葉…その前族長に対する最大級の侮蔑を前に…ウッケ・ハヴシのこめかみにぶちりと青筋が浮かんだ。