第31話 オーク族の暮らし
ミエは数日の間村の様子を観察し、彼らオーク族の生活について考えてみた。
オーク族の男性は平均して身長180-190cmほどと人間に比べてかなり大柄であり、力も強く、体格もかなりがっしりしている。
肉体的にかなり優れた種族のようだ。
一方で知性や知恵については些か素朴というか、大人でも少し考えなしなところがあるように見える。
単純に知識が足りていないのと、考えること自体を面倒がる傾向があるようだ。
肉体的に優れているのが種族性なら、おそらくこの精神面の脆弱さも種族性なのだろう。
性格は粗野で粗暴。
ただ残酷や残忍といった風ではない。
無論そのように振る舞ってしまうこともあるけれど、それは彼らが他人の気持ちを理解する共感性に欠けている結果そう見えてしまうだけで彼らの本性ではない…と思う。
村のオーク達を見ていると、普段はむっつりとぶっきらぼうで、会話するより体を動かすことが、交渉するより腕力や暴力で解決することの方が好きなようだ。
「…旦那様は別だけど♪」
ここまで言い差してぽっと頬を染めてきゃっと黄色い声を上げる。
ただミエが夫と信じているクラスクからして、彼女に出会う以前は他のオーク達と大差なかったことを彼女は知らぬ。
オークの子供たちが向こうで戦ごっこをしながら遊んでいる。
ミエはそれを眺めながら再び思索に戻った。
オーク達の食事は主に生肉で、あとは行商などを襲撃して得た食料や、森で摂れた果物などを食べる。
一方で野菜はまず食べない。
果物および生肉で植物由来のビタミンを取り込んでいるようだ。
ただこの辺りは冷涼ではあるが極寒というほどではなく、肉は放っておけば腐敗してしまう。
彼らは多少臭っていても平気で口にするが、流石に腐りかけになると焼いて食べたりもする。
また生肉を塩水に漬けて干しているのを見かけたので、どうやら干し肉も作る技術もあるらしい。
肉は基本的に森の中で狩りをして手に入れる。
襲撃を行わない場合、彼らはもっぱら森に入って獣を獲ってくるのだ。
狩猟生活というのはだいぶ不安定なもので、だからこそ農耕文化が発達したのだとミエは認識していたのだが、その割に森に狩りに出かけたオーク達が手ぶらで帰ってくることはほとんどない。
よほど彼らの狩りが上手いのか、この森の獲物が豊富なのか、それともこの世界由来のなにか別の理由があるのか、現時点では不明である。
獲物は確認した限りだと猪や鹿などが主だ。
もっとも彼らが狩ってくる猪は妙に巨躯だったりするし、また稀に荒々しい牙と黒い隈取りのような模様を浮き出たせ、なんとも狂暴そうな見た目をしていることもあったけれど、まあおおむね彼女の知る猪と形容して問題ないと思われた。
逆にオーク達が漁撈するのを目にしたことはない。
近くに流れているのが小川で、あまり大きな魚が取れないからだろうか。
襲撃してきた戦利品の中に魚の干物があったのでこの世界にも魚がいることは間違いないのだけれど、どうも分け前の言い争いに耳を傾けている限りオーク達に魚は不評なようだ。
パサパサしているからだろうか。それとも鮮度の問題だろうか。
ただ野菜と違って食べなくはない。
一方お酒の方は大好物で、襲撃の戦利品でもだいたい一番人気となる。
彼らは肉を喰らい、酒を飲み、陽気に騒ぐのが好きなようだ。
お酒に関しては自分たちで作ってすらいる。
とはいってもその製法は森で摂れた果物を潰して壺などに入れて放置する、といったもので、いわゆる原始的な果実酒のようだ。
ただこれだと上手くいくかどうかは大気中に漂う酵母菌任せで完全に運頼みだし、おそらく味の保証もない。
だからこそ襲撃の分け前としてのまともな酒が好まれているのだろう。
逆に言えばオーク族以外の種族…最初に襲撃されていたのが人間族(?)だとして…の社会ではちゃんと酒が造られているようだ。
酒造の技術や文化がある、ということである。
問題はここからだ。
まずオーク族の女性は…わからない。
というかそもそもこの村でオーク族の女性自体をまだ見たことがない。
男女で出生率に差があるのだろうか。
とすればその結果求められたのが異種族の女性との婚姻と出産なのだろう。
ただそのせいか彼らの社会制度は徹底した男系社会で、さらに強い者、力ある者がより評価される仕組みになっているようだ。
その結果相対的に彼らの中で女性の地位は著しく低い。
それがこの数日ではっきりと理解できた。
最初はこの村に女性自体がいないのだと思っていた。
だが違った。
村の家々に、様々な…オーク族以外の種族の女性たちがいた。
家事と育児に従事しているならまだマシな方で、ほとんどの場合家の奥で鎖に繋がれていた。
いや、家事をしている娘たちですら鎖では繋がれていたのだ。
ミエの視界の端で、一件の家の扉から一人の少女が顔を出した。
手入れされていない…というかしたくてもできないのだろう…ぼさぼさの金髪の隙間から珍しい翡翠のような色合いの瞳が覗き見えた。
一瞬人間かも…と思ったが耳が横に伸びその先端が尖っている。
どうやらオーク族でなく、かといって人間族でもない別の種族の娘のようだ。
年のころははっきりとはわからないが、見たところ12~3歳くらいだろうか。
首にはその家のオークが付けたらしき首輪が嵌められており、そこに結びつけられた縄が彼女の背を伝い家の中へと伸びている。
少女はきょろきょろと家の外を見まわした後、無防備にとてとてと村の中心の方へと歩き出した。
…が、家から離れるにつれ首輪から伸びた縄が徐々に伸びてゆき、やがて宙に浮いて、遂にはピンと張って少女を制動する。
首を支点に急停止した少女は足だけ前へ進んでいたためそのまますってんとその場に尻餅をついた。
がた、と思わず立ち上がり、駆け寄ろうとするミエ。
だが少女はその場で少し咽たあと無言のまま立ち上がり、身体に付いた埃を落とすと、己の首輪とそれに繋がれている紐を幾度か指先で確認し…なにか納得するように幾度か頷いてそのままとてとての元の家の中に戻っていった。
小さくため息をついたミエは再び家の近くで腰を下ろす。
そう…オーク達は異種族の女性を旅商や村の襲撃の戦利品として持ち帰り、無理矢理妻にしているのだ。
彼女たちは望んで連れてこられたわけではないから当然非協力的だし、そもそもミエと違って言葉が通じないからオーク達の言っていることもわからない。
そして彼らの性質上、そんな相手に言うことを聞かせるために暴力を振るう。
先刻の少女のように縄や鎖で繋がれた娘達は、精神的に疲弊し、食事が口に合わず、殴られて体を痛め、そこにオーク族の(これに関してはこの世界そのものの問題かもしれないけれど)不衛生が追い打ちをかける。
だから…たぶん彼女たちの命は長くない。
早死にするから次の嫁が必要になる。
襲撃して攫う女性の数が増える。
結果として他種族との仲が険悪になって、ますますオーク達は周囲から孤立する。
まさに負の連鎖である。
「旦那様…」
思索の途中で漏らした己の呟きで、ミエは少しだけ身じろぎをした。
クラスク…彼女が夫と認識しているオーク。
彼は、彼だけはそんなオーク達の中でとても紳士的で、誠意をもって彼女に接してくれた。
出会いこそあんな成り行きだったけれど、その後はとても優しく、男らしく己をエスコートしてくれた。
もしこの村のオーク達の習性がオーク族全体に当てはまるのだとしたら、自分はきっと限りなく僥倖に恵まれて彼に巡り合えたのだ。
…と、ミエは信じ込んでいる。
実際には他のオーク達と大差なかった彼を変えたのはミエ自身の献身と誠意であり、それを呼び込んだのは彼女のスキル≪応援≫の力なのだが、彼女自身は一切それに気づいていない。
まあ気づいていない方が彼女にとって幸せなのかもしれないけれど。
「さて、気を取り直して…と」
最後に彼らの娯楽である。
彼らの娯楽は食べる、酒を飲む、自分の武勇伝を語る、力比べをする、取っ組み合いの喧嘩をする、歌を歌う、踊りを踊る、それに楽器を鳴らすといった素朴なものが多い。
楽器といっても獣の皮を張った太鼓を叩く程度だけれど。
そうした時、普段むっつりしている彼らはよく笑い、陽気に、そして楽しげに騒ぐ。
そんな彼らと、そして自らの夫を見ていると、オーク族の根っこ自体はそんなに悪くないというか、村にいる女性たちを助け、他の種族とも上手くやっていけるのではないか…などと希望的観測を抱いてしまう。
勿論そこに至るためのハードルは限りなく高いのだろうけれど。
「そのためにまず自分ができること…」
それはなんだろう。
彼らは男の、それも強い男性を評価する。
自分のような女性の、それも非力な娘の言うことなど聞く耳持たぬだろう。
少なくとも今の価値観のままでは。
「昔の自分に比べたら全然そんなことはないんだけどなー…」
などとミエは己の腕を曲げ小さな力こぶと作りつつ考える。
非力な女性が評価されないなら、強い男性の言葉なら耳を傾けるのだろうか。
とその時、ミエの脳裏に浮かんだ姿があった。
彼女が夫と認識しているオーク、クラスクである。
彼は村のオークの中では若い方だが、実力はあるようだ。
オークの価値観からすればミエのここ数日の行動は殴ってやめさせてもおかしくないのに、彼は静観するどころか手伝ってくれた。
「もしかして…旦那様の発言力が上がればこの村をよくすることができる…?」
ミエはすぐに理解する。
だとするなら自分のすべきことは簡単だ。
今まで以上に夫に尽くし、この集落内の立場が向上するよう色々フォローすればいいのだ。
「よぉーしそれなら気合い入れて…! まずは旦那様のために晩御飯の用意かな!」
目の前の小さなことからコツコツと。
それがやがて大きな成果につながることを、彼女は知っている。
ミエはここ数日でだいぶ手慣れたナイフ使いで小屋に吊るした猪の肉を取り、家に戻って…
「あれ、お塩が切れそう…?」
塩キノコ狩りの必要性に気が付いた。