第302話 モノとモノ
「何をしてもダメ。なにをやっても駄目。そんな役立たずはいない方がいいんでふ…」
「俺駄目なんテ言っテナイ!」
「責任も取らず逃げ出して、食事も取れず彷徨って…それで気づいたら行き倒れ…もうあのまま土に還ってしまえばよかったんでふ…」
この村で築き上げてきた実績も、取り戻しつつあった自信も、何もかも失った。
消え失せた。
かつて彼女の自尊を粉々に粉砕した相手…そして己が迷惑をかけ続けた上に遂に耐え切れず逃げ出した相手と再会したのである。
ネッカの消沈は深く、深く、到底浮上する見込みがあるようには見えなかった。
だが…『それは困る』とクラスクは思った。
ネッカがどんな理由で落ち込んでいるのかを彼は知らない。
ただ彼女が…少なくとも彼にとって、そしてこの村にとってとても優秀で、有用で、そして重要なまじない師であることは疑いなかった。
過去に何があったのかは知らないけれど、そんな過去程度で落ち込まれていては困るのである。
特に今は有事なので猶更だ。
「オイ…ネッカ! 俺ヲ見ロ!」
クラスクは業を煮やして彼女の顎を引っ掴み、無理矢理顔を上げさせ己の方へ向き直らせる。
ミエの≪応援≫によって人型生物にまで範囲が拡大している≪カリスマ≫と、元から修得している≪威圧≫の組み合わせによって、恫喝めいた言葉で彼女の気を無理矢理引いた。
「あ…クラ、さま…」
ネッカの瞳に僅かに光が戻る。
「そうダ。俺様ダ」
クラスクはネッカの顔を覗き込むようにずいとその身を乗り出す。
「ネッカ! お前俺ノ事スゴイ言っテタ。今デもそう思ウカ!」
「~~~~~~~~~~~~~!! はい、はいでふ! クラ様はすごいでふ。ほんとにすごいでふ!」
彼女の原点。
英雄や偉人に憧れ夢見る本の虫。
どんな挫折をしても、どんなに消沈していても、そこだけは変わらない。
クラさま。
クラスク。
村長クラスク。
危険で獰猛な種族であるはずのオークに略奪や略取を禁じさせ、他種族と共存できる村を作り上げた。
黒エルフに狙われ、人間族の王国と相対しながら一歩も引かず民草を守るため城塞を築き上げた。
これを英雄と呼ばずしてなんと呼べばいいのだろう。
クラスクを物語の登場人物たちと重ねていたネッカは、面を上げて強くそう主張した。
彼女の瞳に、さらに色が戻る。
それを好機とばかりにクラスクは畳みかけるように彼女に捲し立てた。
「ソウダ! 俺スゴイ! 力スゴイ! 打タレ強イ! それに速イ! スゴイ!」
「はい! はい! はい! はいでふ!」
釣られるようにテンポが上がってゆくネッカ。
「ソレニ運モイイ! オークの騎馬隊作ろうトした時鞍足りなかっタ! 鞍欲しい思っテタラ襲われテタ鞍師の娘助けタ! うちのオーク気に入っテ村に来テくれタ!」
「すごい…すごいでふ!!」
勇者には苦難が次々と降りかかる。
艱難辛苦という奴だ。
だがそんな時は必ず誰かの、もしくは何かの助けの手が差し伸べられ、勇者はその力を借りて困難を打破してゆく。
そんな物語が……彼女は大好きだった。
頑張ってる人は、立ち向かってる人は救われるべきだと、報われるべきだとずっとそう信じていた。願っていた。
だから彼女はクラスクの語った武勇伝に大仰に頷いた。
「そんな俺ガ! お前拾っタ!」
「ッ!?」
「襲撃来るかもしれナイ! 城壁間に合うかわからナイ! 相手強いまじない使う! 対抗する手段欲シイ! そんな事考えテタ時お前拾っタ!!」
「~~~~~~~ッ!?」
びくん、とネッカの背筋に電流が走った。
クラスクの言葉が、確かに彼女の魂の深いところにある何かに響いたのだ。
「お前は俺が拾っタ! 運のイイ俺が拾っタ! 凄イ俺が拾っタ! ダカラ!」
がっしとネッカの両肩を掴み、食ってかかるようにクラスクが畳みかける。
「お前がお前信じられナイナラ俺を信ジロ! お前拾っタ俺を信ジロ!!」
轟音が築き上げたばかりの周囲の石壁に反響し…その後静寂が辺りを覆った。
戦場の只中だというのに、確かにその瞬間、そこには静寂があったのだ。
己の告げるべきすべてを叫び、荒い息を吐きかけながらネッカの反応を待つ。
ネッカは…そのドワーフの娘は、頬を紅潮させ、ぱちくりと目をしばたたかせて彼を見つめた。
「ネッカは…私は貴方のモノでふか?」
共通語で、妙に浮ついた表情で、彼女が尋ねる。
「…ソウダ。俺のモノダ」
ネッカの言葉遣いに多少違和感を感じたものの、ここは否定すべきではないとの己の直観に従い、クラスクは大きく頷いた。
瞬間、ネッカに電流が走る。
クラスクが違和感を感じたのは彼女が自分自身を指した『モノ』という言い回しについてである。
通常であれば、先程の質問には『モノ』という単語を用いる。
『モノ』は人相手でも物品に対してでも使える単語であり、日本語で言えば『者』であり『物』でもあると言える。
先程のネッカの発言に当てはめるならば、もしそれが日常会話であれば「私は貴方のところにいてもいいの?」といった意味になるし、もし軍隊などであれば「私は貴方の旗下ですか?」といったニュアンスにもなる。
だからクラスクは彼女の問いを肯定したのだ。
自分の下で働いているということが彼女のモチベーションになるのならと、それを受け入れたのだ。
だが…厳密にはネッカの問いかけは少し違っていた。
彼女が用いた『モノ』という単語は、単なるモノではなく『誰かが領有権、或いは所有権を主張するモノ』を指す。
それは対象の所持する物品や備品であり、また用の立つ道具である。
言ってみればネッカは「私は貴方の所有物ですか?」と聞いたわけだ。
「そうでふか…私はクラ様のモノでふか」
「そうダ。だから俺ノ…」
「わかりましたでふ。もう大丈夫でふ」
むくり、と起き上がり、尻の埃をはたく。
その瞳には完全に色が戻り、顔には生気が漲っていた。
「ウン…ウン?」
クラスクは目当ての反応が得られたというのにいまいち得心がいかぬ風で首を捻った。
なぜ彼女が唐突にそんな態度を豹変させたのかいまいち理解できなかったのだ。
(私は…ネッカはクラ様の所有物……!)
彼女にとってクラスクは物語の英雄だった。
彼ら英雄は大いなる存在から様々な援けを受けて、たくさんの品々を贈られる。
それは姿を消す指輪。
それは掘り上げた石像を動かす鑿。
それはいくらでも麦が湧き出す大臼。
だから自分がもし彼の、クラスクの所有物だというのなら…
自分はそうした品なのだ。
それなら泣いている暇はない。
落ち込んでいる遑なんてない。
己の失態は、失敗は、この英雄の名に傷をつけてしまうのだから。
「…行きましょうクラ様。居館でふよね?」
「ワカッタ」
「途中外の状況を教えてくださいでふ」
「ワカッタ」
そう言いながらも一瞬、僅かに躊躇する。
この暗がりから一歩踏み出すのを。
前に進むことを。
怖い。
怖い。
待ち受けているものが怖くて仕方ない。
だが、それでも右足を一歩前に出す。
その身を陽の当たる場所へとにじり出す。
引き摺るように左足をその後に続ける。
踏み出す。
踏み出す。
前へ。
前へ。
自分自身を鼓舞するかのように、ネッカは居館へとその足を向けた。
この村を……そして自らが英雄と、己の所有者と任じたそのオークを助けるために。