第297話 合致せぬ
「面白イナ!」
ぎろり、と目の前の騎士を睨みつけ、≪威伏≫の対象に据える。
そして間髪入れず大斧を真横から振り抜き、その胴を薙がんとした。
だが…一瞬その身を震わせた紫焔騎士団団長ナラトフは、次の瞬間ウッケ・ハヴシの大斧を真下から己の大剣で弾き上げ、間髪入れずその巨体のオークへと必殺の刃を突き入れた。
「?!」
「誰もが貴様の妖術の虜囚となると思うな!」
「面白イ! ハハハ!」
瞬足の靴という魔具がある。
≪魔具作成(手袋・手甲・靴)≫のスキルによって作成可能な靴の一種で、靴の踵同士を打ち合わせることで凄まじい速度での移動や行動を可能とする移動と戦闘補助の魔具だ。
ナラトフはウッケ・ハヴシにその必殺たる≪威伏≫を受ける直前その魔具を起動し、己の動きと敏捷度を一気に高めることで、彼から受ける敏捷への甚大なペナルティーを受けてなお普段とほぼ変わらぬ動きを保つことができたのだ。
「ドゥーヴ様! 今のうちに! 撤退を!」
「撤退!? た、たかが一匹相手に撤退だと!? 私が!? 私の騎士団が!?」
「お早く!!」
ウッケ・ハヴシの大斧を引き受けながら己の将を叱咤するようにそう叫ぶ。
たかが一匹…ではない。
目の前の巨大なオークがそんな甘い存在でないことを、ナラトフ自身痛いほどその肌で感じていた。
残忍。
高慢。
そして狡猾。
これ程の化物が、なんの勝算もなく単身で自分達に挑んでくるはずがない…!
「蹴散らせ」
オーク語で、そう告げる。
巨大で強大なオークがそう告げる。
次の瞬間、荒地のくぼみから怒号が響き、そこから異種の兵どもがどっと湧いて出た。
オーク、ゴブリン、コボルト、さらに蜥蜴族など…
普段辺境などで隊商を襲っているような雑多な異種族どもが群れを為して彼の背後から騎士達に襲い掛かった。
ウッケ・ハヴシは自らが最前線に立ち注目を集めることで彼ら配下どもから注意を逸らし、彼らを密かに草叢の中を移動、接近させ、間近で身を隠しながら襲撃の機を窺わせていたのである。
…正直平時であればものの数ではなかったかもしれない。
その有象無象の異種族の群れは大軍とはいえ百匹ほど。
騎士と兵士合わせて四百人を要する重武装の騎士達であれば野戦で容易に蹴散らすことのできる規模のはずである。
だが今は事情が違う。
騎士達の戦力の要であり統率者である五人の騎士隊長の内二人が早くも討たれ、しかも騎士団長自らが相手をしてなお仕留め切れぬ相手。
その上己の隊長をあんな絶望的な形で失っての動揺。
さらに彼らの上に立つべき秘書官トゥーヴの挙動不審から来る不安感。
そうしたタイミングを見計らって襲い掛かった異種の兵どもは、その陣容と規模以上の脅威として騎士達を追い込んだ。
わあ、という叫びが上がった。
ただそれは統制の取れた叫びではなかった。
騎士達の雄叫びと、悲鳴と、怒号と、呻きと…
そんな雑多でバラバラに漏れ出た声が、総体としてわあ、という叫びのように聞こえたのだ。
団長を助けようとする者。
新たに湧いた雑兵どもを迎え撃たんとする者。
ナラトフの声に従い撤退しようとする者。
将たる秘書官トゥーヴを探し護衛しようとする者。
各々が各々の最善を尽くさんとし、だがそれゆえに混乱が広がる。
そしてその混迷をもっけの幸いとばかりに、戦場の端にいる兵士どもや騎士達の馬を標的に有象無象の人型生物どもが群がり、襲い掛かる。
「く…貴様らのような雑兵風情が……!」
彼らを迎撃しようと騎士の一人が馬上から剣を振るい、たちまちゴブリンを一匹斬り殺す。
そしてそのゴブリンを無慈悲にも踏み潰すようにして彼に向って来たオークをゴブリンの二の舞にせんと剣を振るったとき、そのオークの姿に違和感を感じた。
鎧を、着ている。
黒い鎧だ。
材質はわからないが鈍い光沢があり、なんらかの金属製のように見える。
そして…装備だ。
オークと言えばそのほとんどが両手斧を操る。
大槌や戦槌を使うこともあるが、いずれにせよ両手持ちの武器を使うことが殆どである。
片手で扱うより両手で握った方が己のより相手に大きなダメージを与えられる。
オーク族にとってより高い威力と言うのはそれだけで大正義なのだ。
だが目の前のオークは、左手に盾を持っていた。
盾の正面に棘が付いている。
いわゆる棘盾の一種だろうか。
オークは戦闘種族であり、大概の武器は上手に扱うことができる。
それくらいなら彼でも知っていた。
だが盾は別だ。
盾を使い己を守りながら戦う戦術は、武器で相手を打ち倒すのとは全く別の技術であり、おいそれと修得できるものではない。
それはとりもなおさず…そのオークが、彼の既知たる怪力無知なオークどもとはまったく異なる戦闘様式を擁している、ということに他ならない。
がぎん、という音と共に騎士の斬撃をそのオークが棘盾で受け止める。
そしてその強大な膂力を以て、盾を騎士目がけて押し付けてきた。
手にした剣に力を込めてそれを防がんとする騎士。
だが…次の瞬間、脇腹に激痛が走った。
いつの間にかに彼の周囲に群がったゴブリンやコボルトどもが、鎧の隙間から手にした刃を突きこんでいたのだ。
「き、さ、んまぼぁ」
彼らを追い払わんと剣を構えようとして、今度は先のオークが突き上げた棘盾を頬に喰らい、落馬する。
たちまち周囲の雑多な異種兵どもが群がって、鎧の隙間や継ぎ目を探してはざくりざくりと長剣や小剣を突き込んでいった。
地べたにはいつくばり、激痛に呻き、塗れる血に視界を塞がれながら、明滅する意識の中先程のオークを見上げる。
その時、ふと気づいたことがあった。
鎧の脇に何かが見える。
ナイフで刻んだ原始的で不格好なものだが、どうにも紋章のようだ。
あれは一体…そう思ったところで、彼の命脈と共にその意識は断たれた。
「貴様らは何者だ!!」
混乱する戦場を背後に、刃を打ち交わしながら…
紫焔騎士団騎士団長ナラトフは、目の前の巨躯たるオークにそう叫んだ。
ただ本来尋ねるべき台詞はそうではないはずだ。
本来であれば…彼はこう詰問すべきであるはずなのだ。
「貴様らは、あの村の仲間か!?」
…と。
彼ら紫焔騎士団は辺境を荒らすオークを退治しに来たはずなのだ。
そしてその目的地に辿り着き、オークの襲撃を受けた。
ならば普通に考えればその両者を同一の勢力と考えるのが自然である。
だがナラトフの考えは違っていた。
彼は決して善人ではなく、秘書官トゥーヴの命とあれば残酷な任務や卑劣な行為も躊躇いなく行える人物である。
それは単にトゥーブに対し盲目的に忠実だから、というわけではない。
己の意思で、己の判断でそうしたことを平気でできるし、また部下にそう指示もできる男なのだ。
彼は決して悪に傾倒しているわけでも己に酔っているわけでもない。
冷静に、そして冷徹に分析し、その場で最も適切で合理的な行動を取れるだけである。
先程の大切な部下が一刀両断されるその瞬間でさえ、それに取り乱される事なく逆にその隙を突いて攻撃を仕掛けたことなどはその顕著な例であろう。
そんな彼から見て…視界の先にある城はとても壮麗に映った。
それを構築したのがオークであろうとそうでなかろうと、あの城を建てたのならそれは見事な技術と計画性の持ち主であり、そして強い意志と確かな知性を有しているものと判断した。
もしオークどもの族長がそうした性格でなかったとしても、少なくともそうしたタイプの配下を抱え、信頼し、任せることのできる人物が組織の上に立っていない限り、あの城は造り得ない。
ゆえに将たるトゥーヴがあの城の攻略を強行するというのなら、異は唱えないもののだいぶ骨の折れる相手だと、彼はそう感じていた。
そんな彼が想定したあの城の主と、目の前のオークが、どうしても『合致』しない。
目の前のオークは確かに強力で強大だが、同時にその態度と表情からは圧倒的な尊大さと傲慢さが見て取れる。
それはあの城の城主から感じられる知性と理性とはかけ離れたものだ。
ならばこのオークがナラトフの想像する理知的なオーク、あの城の城主の配下として命を受けこの襲撃を仕掛けて来たのか?
否。
ナラトフは即座に断じた。
このオークは誰かの下に就く玉ではない。
裏切るために一時的にそうあろうとすることすら苦痛で耐えられぬだろう。
これは己が頂点でないと我慢できぬタイプの尊大さである、とそう彼は判じた。
つまり…結論として、このオークはあの城のオーク達とは一切関係がない、ということになる。
偶然そこにいたのか、或いはあの城を攻めるつもりなのか。
理由は不明だが、ともかく別の勢力で間違いない。
だから彼に何者かと尋ねたのである。
共通語とオーク語と…互いの語る言葉は異なり、その意思を通じ合わせることはできない。
けれど、それでも互いに何を言っているのかわかる時はあるものだ。
ウッケ・ハヴシは唇をいびつに歪めながら…目の前の、珍しく己に立ち向かえる稀有な相手に向かいこう言い放った。
「クラスクハ俺ガ殺ス……人ノ獲物ニ手ヲ出スナ!」