第295話 あり得ざる接近
「どうする…どうする…!!」
秘書官トゥーヴは苛立った重に馬上で呟く。
騎乗している彼の感情が伝わったのか、その乗騎もまた不安げにあっちこっちをうろうろするがそれにも気づかず、結果彼を護るべく騎士達も右往左往することとなってしまう。
彼が悩んでいるのは想定していたものと実際に控えていた『戦場』の違いについてだ。
トゥーヴが想定していたのは開けた平地と侵入を拒めぬ小村を相手にした市街戦、もしくはせいぜい陣地戦。
あるいはそれを防ぐべく打って出て来た相手との野戦である。
だが仮に1ニューロ(約1.5km)ほど先に聳えている城が本物だったとするなら、考えなければならないのは『攻城戦』だ。
戦の中でも特に城を落とすことを目的としたものを攻城戦と呼ぶ。
そして攻城戦には幾つかの戦術、いわゆるセオリーが存在する。
まずもっとも正攻法なのが攻城具・攻城兵器を用意しての正面突破である。
鈎付きの縄梯子や攻城雲梯を城壁にかけての登壁戦。
破城槌による城壁や城門の破壊・倒壊とそこからの侵入。
そして火矢を大量に射かけつつ投石器や大型弩弓を用いての城内への攻撃。
より大規模なものになれば城壁と同じ高さを持つ攻城塔等を用意しての城壁への接舷や坑道を掘っての地下からの潜入など、様々に手を尽くして幕壁を突破、あるいは破壊して城内に乗り込み敵を制圧する戦いである。
だが今回彼らは攻城兵器も攻城具も用意していない。
そもそも攻城兵器はかさばる上に鈍重なものが多い。
王都から運べば辺境のこの村に辿り着くまでには相当時間がかかるだろう。
単に日数だけの問題ではない。
そうなれば当然運ぶ人足をその分見積もらなければならないし、嵩んだ分の糧食も多めに用意しなければならない。
商業都市ツォモーペに用意させてそこから運べば移動時間はだいぶ節約できるだろうけれど、その場合かの地の領主たる財務大臣ニーモウに大きな借りを作る事になり、それは断じて避けなければならなかった。
他の者に迷惑にはかけぬからと、己の手勢だけで攻め込むからと今回の先制の許可を取ったのだから。
さらに言えば一月半前の徴税吏からの報告によれば村の周囲には城壁を造るべく石が並べられていたけれどまだ中途も中途、完成までには年単位でかかるとあったのである。
それならば余分な兵器などをよういするより急ぎ出立し軽装でとっとと辿り着いた方が早い。
向こうが準備を整え切る前に拙速を以て事に当たり蹂躙を以てその解とする、即ち電撃戦こそが執るべき策だと彼は判断したのだ。
その判断自体は戦略的になんら誤っていない。
時間をかければかけるだけクラスク村の勢力は増大してゆく。
その村を敵とみなすのであれば、準備を整え切る前に潰してしまおうというのは実に正しい選択と言えるだろう。
だが現実に彼らの築城が間に合ってしまった。
攻城兵器を用意してこなかったことが仇となり、彼はその村を直接攻略する契機を失った。
計算外もいいところである。
もちろん城を攻め落とさなくても攻城戦のやり方は他にもある。
縦えば圧倒的大軍による包囲策。
それにより相手の戦意を挫き、そこに好餌や寛大な条件を示すことで実際に戦をすることなく開城させるいわゆる交渉による攻城である。
ただ今回トゥーヴは大軍を用意してこなかった。
自らの手駒たる紫焔騎士団を中心に400人ほどの軍勢を用意して速度重視の行軍でここまでやって来たのだ。
そもそも小村風情であれば本来400人でも明らかに過剰なのだが、城を囲み降伏勧告をするには少々足りぬ。
これに関しては他の貴族どもにいらぬ借りを作りたくない、という彼のプライドと、他の貴族達がこの村の討伐にいい顔をしなかったため、彼らに一切迷惑はかけぬように、防衛都市ドルムの守りにも穴を空けぬようにと王都周辺の守護警備が主な任務である己の手勢紫焔騎士団だけで出撃したことが原因である。
さらに言えば今回の一件を単身で成し遂げることで己の発言権を増大させるという打算もあり、そういう意味では自業自得と言えなくもない。
他の戦術としては挑発行動による誘引策も有効だ。
例えば目当ての城の領地である村や街を襲い物資を略奪したり、見せしめに殺したり、人質を取ったりすることで相手を城から誘い出しそこを撃つ、つまり城を直接攻めない攻城である。
ただ今回に関してはその手は使えない。
なにせ領地もなにも標的はただの一小村に過ぎないんである。
近隣に衛星都市があるでなく、見せしめにすべき近隣住人の姿もなく、己の村の全てを収容して固く門扉を固く閉ざしている。
というかそもそもかなり急いでやってきたはずなのにこちらが向こうの村…もとい城を視界に捉えた時点で既に収容が完了し準備万端で門を閉ざしているのは一体どうしたことだろうか。
他にはじっくり包囲しての兵糧攻めがあるが、そもそも短期決戦のつもりでやってきたためにむしろ食糧に難があるのは自軍の方である。
あとは魔術などを駆使して城の弱点…例えば領主が脱出するための隠し通路などを見つけ出し、逆に侵入するなどの搦め手もあるが、それもまた城全体を覆う占術妨害の結界によって防がれている。
つまるところ…彼が連れて来た軍隊は、あの城を攻める有効な手立てを持っていないのである。
「どうする……どうする……?!」
強引に出兵を取りつけ、己が将に収まった遠征である。
このまま無為に戻れば大いに面目を失い、宮廷での発言力の低下は免れまい。
バクラダ王国から無言の圧力を背に受けている身としては、それだけは断じて避けねばならぬ。
かといって騎兵中心の自軍ではあの城を落とす事は困難だ。
いたずらにここで日を過ごせば先に食糧難で首を絞めるのは自分達である。
かといって近隣の貴族の手を借りることもできぬ。
まさに八方塞がりである。
さて、そんな彼の苦悩をよそに、従軍魔導師樽の娘ネザグエンは手にした巻物から呪文を唱えながら明らかにこの状況を楽しんでいた。
(この呪文も阻害される…すごい! じゃあこっちはどうかなー?)
明らかにわくわく、わくわくという擬態語を周囲に振り撒きながら検証を続けている。
彼女は陣地戦を念頭に、砦の攻略のため多くの呪文を巻物に記してきていた。
まあ流石にあの規模の城が控えているまでは想像だにしていなかったけれど、ともあれ準備だけはしてきた。
そのうちの幾つかの巻物を紐解いて今視界の先の城の調査に当てている。
まあこの軍隊のためと言うよりは彼女自身の好奇心を満たすためと言えなくもないのだが。
「いざ励起せよ 『探知式・漆』 〈透明視認〉!」
巻物に記された圧縮術式が解放されて宙に浮かび上がる。
それは彼女の目に宿り、特殊な視界を与えた。
「うーん…特におかしなところはないですね…残念」
色々ためつすがめつ眺めてみたが特に城に変化はない。
つまらなそうにくるりと振り返ったネザグエンは…
その視界の先にあるものに気づき、その動きを止めた。
何かが、いる。
荒野の方…方角的には北の方からのっそり、のっそりとこちらに向かって無造作に歩いてくる何かがいる。
明らかに人間ではない。
まず大きい。
とにかく大きい。
ネザグエンは一瞬巨人族と見間違えたほどだ。
だが違う。
その身体的特徴はオークのそれに酷似している。
ただ人間族より大柄とされるオーク族ではあるがその身長は6フース(約180cm)から6フース半(約195cm)ほどの者が殆どだ。
けれどこちらに迫って来るその相手は明らかに7フース(約210cm)を優に超え、8フース(約240cm)近くはありそうに見える。
巨人族たる食人鬼やトロルにも匹敵する背丈である。
果たしてそんなオークがいるのだろうか。
それはのそり、のそりと歩みを止めぬ。
徐々に徐々にこちらへと近づいてくる。
だがどうしたことか騎士達も兵士達も誰一人それに注意を払わず、ただ将たる秘書官トゥーヴの蹌踉に追随するのみだ。
(……あ)
ネザグエンは今更気づいた。
他の連中が気づかぬはずである。
そのオークの周囲に青白いぼんやりと薄い歪みが見える。
〈透明化〉の影響下にある者特有の光だ。
つまりそれは今…彼女にしか視認できていないのである。
「トゥーヴさま…トゥーヴ様!」
震える声で必死に叫ぶ。
「なんだ! 今考え事をしている最中だ!」
「その…敵、が……」
「敵…? まさか連中が城から撃って出たとでもいうのか」
「いえ、その…トゥーヴ様の、背後、に…」
「なにい?」
秘書官トゥーヴが眉根を顰めて振り開けるが、そこにはしばらく草原が、そしてその先に荒野が映るのみだ。
「敵なぞどこにもいないではないか! 貴様私を愚弄する気か!」
「いえ、その……姿を…消して……っ!!」
「あん……?」
疑わし気に、再び背後を振り向いて…
そこでようやく彼も気づいた。
目の前にいる巨大な…巨人と見紛うほどの巨大な人型生物を。
『それ』は……唐突に秘書官の隣に現れた、その巨大な斧を振りかぶった巨躯のオークは。
その顔面に、三日月型の傷痕を刻んでいた。