第291話 開戦準備
「急げ! 急げ!」
衛兵たちが腕をぐるぐる回し、馬車を迎え入れる。
御者どもが鞭を入れ、城の南門から次々に馬車が飛び込んできた。
「みゅみゃ! これで最後でごぜーます!!」
「む! 了解した!」
後端の一台に乗っていた兎獣人が門を走り抜けると同時にそう告げて、衛兵が大きく頷いた。
「大跳ね橋ィー! 上げぇー!」
「了解! 跳ネ橋! 上ゲェー!」
村をぐるりと覆う城壁は東西南北の各門の左右で厚みを増し、上の歩廊には屋根が付く。
城壁の内側には部屋があり、食料や武具などを内部に貯めておく貯蔵庫となっているのだ。
そしてそれらに挟まれた門は他より一段高い尖塔となっており、門の上には見張りと弓を撃つための突き出し窓が備え付けられている。
さらにその塔の内側には鎖を巻き付ける大小の滑車が備え付けられており、その大きな方をオーク兵がぐるぐると回すと堀の上に架けられた橋が鎖に引かれ橋げたを軸にゆっくりと引き上げられてゆく。
大きな門が閉じられてゆくのを確認し、動作に問題がないことを確認しながら衛兵は素早く左右を確認し、小さな門を抜けて城の内側に引っ込む。
城門には大小二つの門が付いており、大門は軍隊や荷馬車などが通行するのに十分は幅があり、小門の方は一度に人が一人通れるほどの幅になっている。
大門は橋を上げるのも落とすのも結構な手間な上に時間もかかるため、夜や戦時などは大門を常に閉じて小門の開閉で対応したり…などのように使い分けるためだ。
いずれも構造自体は実に単純なもので、村で職人に作らせた或いは購入してきた道具を設置して購入した滑車を用意し鎖を繋ぐだけの簡易なものである。
大門に続いて小門も跳ね上げられてゆき、だが小門の方が早く巻き上げられてゆくため結果的にほぼ同時に門が閉じた。
そして時を同じくして双方の扉が一瞬青白く輝き、光の粉のようなものが舞う。
〈魔錠〉と呼ばれる魔導術である。
この呪文の対象となった門扉は魔術的に施錠され、通常の解錠では開けることができなくなる。
跳ね橋には錠前自体がないが、この魔術にはそれ以外にも対象となった門扉を魔術的に強化し、その硬度や強度を上げる効果があり、それにより攻城兵器などの攻撃に耐えることができるようになる。
物理的と魔術的、双方の護りが施されているのだ。
「急げ! 急げ! 早くしろ!」
「やってまぁ~す! ほら、あなたたち!」
さて一方西門の方でも現在大わらわで村人の収容を行っていた。
農業従事者たちが荷車に乗せられるだけの作物を載せて大急ぎで運び込み、点在している牧草地から家畜を追い立てて村の中へと連れてゆく。
籠城戦となれば最大の問題は食料である。
ただでさえ村二つ分の食料を供給しなければならない上に、家畜や作物を外に出しておけばそれだけ城内の食料が減り、敵兵が略奪する食料が増えてしまう。
可能な限りそうした不利は避けねばならない。
幸い敵の襲来より遥かに早く角笛が鳴っており、農作業に従事していた者達は急ぎ準備を整えこうして運び込みができたというわけだ。
「ラルゥ! 忘レモノ! 忘レモノ!」
「あなた!」
先程家畜を追い立てて村の中へと飛び込み一息ついていた村娘…かつて棄民であったラルゥは、背後から声をかけられ嬉しそうに振り向いた。
村のオークにして彼女の夫、ドゥキフコヴである。
彼が頭上に掲げているのは床のない鶏舎…この村独自の移動用鶏舎である。
そして彼の背後からオークが一人、村の若者が二人暴れる鶏を抱えて駆け来た。
「ありがとうございます、あなた!」
「アア。間ニ合ッテヨカッタ!」
互いに嬉しそうに微笑む夫婦の背後で、跳ね橋が上げられてゆく。
「さ、急いで畜舎に戻さないと…ああこら牛さん勝手に歩かないでー!」
そんな夫婦の機微などわかろうはずもない家畜どもは…
緊迫した周囲の雰囲気に当てられて、不安げに村中をうろうろし始めた。
× × ×
ところ変わってここは村の中心部。
そこには新品の『お城』が鎮座していた。
城と言ってもたいした大きさではない。
村の周囲を囲む大城壁、その内側にあってぐるりと周囲を石壁で覆った、いわゆる『居館』と呼ばれるものだ。
有体に言えば王都の中に聳える王城、グレードを下げて言うなら村の中心部にある村役場、といったところだろうか。
居館は城の中心部であり、支配者が暮らし、或いは為政を行う場所であり、城壁が突破されたときの最後の砦でもある。
そして…居館には非常に重要な役目がある。
『宮廷』である。
王侯貴族がなにやらきらびやかな部屋に集まって、その中で一番偉い人物が一段高い所で椅子に座りふんぞり返りながらなにやら鼻持ちならない話し合いをする…そんなイメージの強い、いわゆる宮廷会議。
その宮廷会議を執り行う場所こそが宮廷であり、その宮廷が設置されている場所が居館なのだ。
当然ながらこの村の居館にも宮廷が備わっており、今まさに村の重鎮たちが集まって会合を開かんとしていた。
「敵兵力を確認した。相手はアルザス王国正規兵。紫焔騎士団第第一から五騎士隊まで計150騎、歩兵200名、その他荷駄隊などの人員も合わせてざっと400人と言ったところか」
キャスが相手の規模を告げる。
そこは居館の中の宮廷…とはいっても急造されたため煌びやかなものではなく、かなり簡素なものだが…であり、中央には丸いテーブルがしつらえてある。
さしづめクラスク村の円卓、と言ったところだろうか。
「うちよりずっと多いですね…?! 大丈夫なんですか?」
「壁がデきタ。これなら守れル」
驚き不安がるミエにクラスクが断言する。
籠城戦は一般に攻め手よりはるかに少ない兵で守ることが可能だが、ミエはそうした戦における基本戦術すらよく知らぬ。
ミエのかつての年齢の割には幅広い知識は病床での膨大な書籍の読み込みによるところが大きいか、女性である彼女は戦闘や戦争にあまり興味がなく、ほとんど嗜んだことがなかったからだ。
…まあミエの場合女性なら本来詳しくあるべき宝石やファッションなどの知識も割と欠落しているのだが。
ともあれ円卓を挟み、ほっと息をつくミエの体面でエモニモが黒板片手に立ち上がる。
「避難マニュアルに則って森村の住人、全員欠けることなく城内への収容が完了しました。現在村の西の屋内市場から屋台を撤去してマニュアル通り収容施設として利用しています。村に滞在していた旅人や商人達にはこちらに入ってもらいました」
石造りの建造物である屋内市場は、村の中心部に居館を造った影響で撤去された繁華街の店舗の一部が移転して作られたもので、商品よりはその材料を主に取り扱う商店群だ。
いわゆる卸売市場である。
屋内ではあるが店舗は基本全て移動可能な屋台や蓆敷などで構成されており、戦時には今回のように店舗を撤去して簡易な収容施設として利用することを前提に設計されている。
エモニモが策定し人口増加と城壁完成によって改定された最新の避難マニュアル通りの処置である。
実はその建物、本来であればさらに別の用途があるのだけれど、現状この村では一切役に立たないためそちらについては完全に無視されている。
「ハァ、ハァ…農作業やってる村の連中も全員収容終わったぞー。一応北門も確認してきた!」
ゲルダが宮廷に飛び込んできて肩で息をしながら報告する。
その肩にはサフィナが乗っていてなぜか両手を掲げていた。
「ありがとうございますゲルダさん!」
「で、どうじゃった、サフィナ」
「おー……」
シャミルに問われたサフィナはくくいと首を傾げると、その後また首に角度を戻す。
「村に隠れてるひと、いない。あと屋内市場…しゅーよーしせつ? で聞いてきたけど……大丈夫。こわいひと、いない、と思う」
敵が旅人を装って事前に村に潜入しておき、内部から門を開けられでもしたらひとたまりもない。
ゆえにサフィナに相手の真意を見抜く能力を使ってもらいながら村を回り、収容施設を覗いてもらって城に怪しい者が侵入しているかどうか確認してもらって来たのである。
外から来た者を一か所に集め収容したのはそうした意図も含まれていた。
エモニモの避難マニュアル恐るべし、である。
オークどもではそこまで気が回るまい。
サフィナの返事を受けて全員肩の力を抜く。
堅牢な城壁を建造した現在、そうした内側からの攻め手を杞憂とすることで籠城のリスクを大幅に下げることができるのだ。
「やれやれ…深緑の巫女がいて助かったわい」
「おー…サフィナ役に立ってる?」
「立ってます立ってます! すっごく助かってます!」
「おー……」
ミエに褒められて再び両手を掲げたサフィナは、ゲルダに掴まれ床に降ろされる際少しじたじたと抵抗したが、やがて諦めて地面に降り立ち、大人しく円卓についた。
まあ背丈的に子供がテーブルに身を乗り出した感がでていたが。
「家畜も一通り運び来れたみてえだ。農作業やってた連中が自発的にやってたってよ」
「そのあたりは事前の避難訓練が上手く働いてくれたようですねー」
「ま、それもこれも初動が圧倒的に早かったお陰じゃな」
「えーっと、じゃああと収容できてないのは…」
「村を空けてるイェーヴフダけダ」
「あ、そうでした」
そう、この村の警戒態勢はとても早かった。
見張り塔の警備兵が発見するよりも遥かに早く軍隊の襲来を予見できたからこそ、森村の住民の避難も、城の外に出ていた農作業従事者の収容も、またその際に敵の食料にならぬよう家畜や収穫可能な作物の可能な限りの運び込みもできたのだ。
その迅速な対応は…今この円卓におらぬ魔導師、ネッカが組み上げた幾つかの魔具によってもたらされたものだった。