第273話 持続時間
「『呪文を』…『止める』……?」
そうした概念や発想自体がなかったミエはう~んと呻きながら考え込む。
「ええっと…周囲からの魔力の供給を断つとか、もしくはこう…なんだろ。式を壊すみたいな…?」
「それでふ! 当たりでふ!」
ネッカが顔を輝かせ、興奮した面持ちで喝采する。
「魔力のない場所…『無魔空間』なんかにいけば周囲から魔力を取り込めず〈永火〉は炎を保てなくなりまふ。また魔術式は魔力で編まれたものなので、魔力干渉によって式を破壊することができまふ。式が失われれば当然魔力の供給もできなくなり、やはり〈永火〉の術は消失しまふ。つまり……持続時間が永続の呪文が永遠に続くとは限らないんでふ」
「あああああー…」
ミエは素直に感嘆した。
魔術に疎い彼女にとってそれはなにもかも新しい情報で、聞くたびに興味深く眼を輝かせる。
「魔術の維持に必要な式そのものを壊す呪文! そんなのもあるんですねえ!」
「はいでふ。系統としては防御術の一種で、〈解呪〉と呼ばれてまふ。同系統の呪文バリエーションも多いでふね」
「ほへー…」
子供達をあやしながらコルキを撫でつつ感心するミエ。
無意識なのだろうが随分と器用なものである。
何かを調べる占術があれば、情報を探られることを防ぐ呪文があり、そして今度は発動している魔術それ自体を壊してしまう解呪なるものもある。
どうにもミエが想像していたものより随分と魔術に対策をする魔術といった呪文が多いようだ。
…だが考えてみれば当たり前かもしれない。
魔族や地底世界の脅威が止まず、彼らでなくともオークやゴブリン達が跋扈している世界である。
戦争や戦乱が尽きるには相当の歴史が積まれる必要があるだろう。
そんな世界に於いて魔術というのは非常に有用だ。
なにせ一見すると彼女の知る中世欧州に近い文化水準なのに、場合によっては彼女の知る現代に匹敵するか、或いはそれを超えるレベルの情報収集などを可能としているのだ。
逆言えば相手がそれを使ってくる前提で考えなければならないのである。
その対策をするのは当然と言えば当然だろう。
「なるほど…便利一辺倒じゃないんですねえ」
「そうでふね。色々考えることは多いでふ…」
二人はしばらく黙ったまま、ネッカは無言で佇み、ミエがコルキを撫で続ける。
「…あれ? でなんの話でしたっけ?」
「そうでふそうでふ! 魔術の持続時間の話でふ!」
そしてわき道に逸れまくった事に気づき慌てて本題に戻る。
「なのでこのどろんこ呪文…〈泥化〉の持続時間は永続とかではないでふ」
「じゃあどれくらいなんです?」
「もう終わってまふ」
「ふぇ…?」
ミエは…これまでの流れを聞いたうえで、なおネッカの言葉の意味がよく理解できなかった。
「呪文には幾つか系統がありまふ。『占術』とか『防御』とかでふね。その中に『変化』と呼ばれる系統がありまふ」
「ああ、ネッカさんに旦那様の武器を打っていただいたときに聞きましたね」
「はいでふ。『変化』の系統は対象の大きさを変えたり、筋力などを変化させて強化したり、みたいな強化的な使い道も多いでふが…対象の性質を変化させる分野でもあるんでふ」
「性質…?」
「はいでふ。たとえばエルフ族をドワーフ族の見た目に変えて変装したリ、炎を氷に変えたりみたいな低位の呪文だったり変化が大きすぎる呪文の場合ミエ様が考えてらっしゃる通り呪文には持続時間があることがほとんどでふ。でもより高位の術で、かつ対象が無機物だったりごく近しい性質同士の変化だったりの場合…その性質は恒久的に変わりまふ」
「あ……ってことはこの泥は…」
「はいでふ。この呪文は対象である土を近しい性質の泥に変えてまふ。そして既に呪文効果を終えてまふ。なので持続時間というなら…一瞬? 瞬間とかになるんでふかね。なのでこれは放っておいても泥のまんまでふ。まあただの泥なので時間が経てば自然に固まって土に戻ってしまいまふが」
ネッカの説明を聞いて、ミエは微かに震えていた。
恐怖ではない。
ただ自分の中に湧き出たその考えに、その可能性に打ち震えていたのだ。
「……ミエ様?」
不信に思ったネッカが尋ねると、妙に目を血走らせたミエがその肩をがっしと掴む。
「わふん!?」
「わふっ!?」
「ち、違いまふ違いまふ! なにかよくわかんないでふけどコルキさん違いまふ!」
妙に尻尾をばたばたと振って首をもたげた巨狼に向かってあわあわと否定するネッカ。
だがそんな彼女をゆっさゆっさと揺すりながら、ミエが興奮した面持ちで捲し立てる。
「ネッカさん! ネッカさん! ちょっとお願いしたいことがあるんですけどー!」
「ミ、ミエ様顔が近い顔が近い顔が近いでふぅぅぅ~~~~~~!!」
× × ×
翌日、必要な人材たちが現在行っていた全ての作業を止めさせ、ミエが大急ぎで準備を整え村の外に立っていた。
その隣にはクラスク、シャミル、それにネッカがいる。
さらにその周囲にはリーパグとその配下のオーク共が五、六人。
そしてやけにガタイのいい大斧を地面に突き立てた娘が一人。
「いやーはっはっは! まさか徹夜で作業することになるたーねえ! いいよいいよテンション上がるじゃないか! なあおい!」
豪快に笑いながら隣のオークの背中をばんばんと叩く娘。
「女のアタイにこんなに仕事振ってくれる村なんて初めてだよ! いやー儲けさせてもらった! あははははは!」
彼女の名はホロル。
女でありながら木こりという一風変わった人間族の娘である。
森の中で木こりの父と暮らし自然と父の職を志したが、父親の死後女性だからという理由で仕事が斡旋されず、途方に暮れているところにこの村の噂を聞きつけてやってきたものらしい。
正直木こりの真似事なら斧が得意なオーク達は皆出来るのだけれど、手に職があることと女性であると言うことで彼女は面接を通り、村の住人となった。
だがいざ仕事をさせてみれば本職で腕はいいし、また伐採した材木から女性ならではのセンスの良さで机や箪笥なども器用に作る。
村の人口が増えてゆく中、彼女は今や村になくてはならない人材になりつつあった。
…まあそれまでそちら方面の仕事も担当していたリーパグが、楽になった反面己の仕事を奪われたようでやたら彼女に対しライバル意識をむき出しにしていたけれど。
さてそんな彼女がここにいる、ということはなにか木こりか木工の仕事があったのだろう。
よく見るとオーク達の背後に妙なものが積まれている。
…板である。
木の薄い板だ。
その全てが縦横約90cmほどの正方形の薄い板で、そのうち一辺だけ中央付近まで切れ込みが入っている板とそうでないものがある。
この世界風に言えば一辺1ウィールブ(約90cm)四方、と言ったところか。
ただより正確に言うなら微妙に横幅は1ウィールブに足りない。
その木材の厚みを計算して若干小さくしてあった。
このあたりは木工師としてのホロルの技術の冴えである。
ただその場に集められた面々は、それぞれ個々で何をするのかはなんとなく聞いてはいても全体としてそれで何をするのかはいまいち理解しておらず、しきりに首を捻っていた。
「ミエ…これからナニすルんダ」
ちょいちょい、と前方を指差しながらクラスクが尋ねる。
ミエに指示され、その先の地面はやけに綺麗に掃除されていた。
「私達の今後の人生に関わること…ですかね」
「ソン
ナニ」
驚愕の表情を浮かべるクラスクに微笑みかけたミエは…
大きく深呼吸しつつ、一歩前に出た。
「ではネッカさん…お願いします!」
ミエの大きな試みが…始まろうとしていた。