第268話 シャミルの告解
すっかり話し込んでしまったミエが鼻歌交じりに工房から出て、クラスクとの膝枕(する方)について思いを馳せながらいざ家路に就こうとしたその時…
くいくいくい、と彼女の服の袖を引っ張る何者かがいた。
「あらどうしたんですかシャミルさん可愛いですね」
「…茶化すでない」
そこには…妙に頬を染め、しおらしい様子のシャミルがいた。
「いやでもでも可愛いですし」
「だから茶化すなとゆうとるじゃろうが!」
シャミルが袖を引っ張るので、そのまま素直についてゆき工房の角を曲がると…
「よ」
「ミエ、こんばんわ…」
「さっき別れたばっかじゃねえか」
「おー…そうだった…」
「あれゲルダさん、サフィナちゃん?」
そこには先刻会議に参加していたゲルダとサフィナがいた。
「あれもしかして私が出てくるの待ってたんです?」
「おう」
「そう…」
「ごめんなさい! もしかして待たせちゃいました?!」
慌てて謝るミエにゲルダが手を振った。
「いや別にいいさ。あたしらはシャミルに言われて待ってただけだし」
「おー…気にしない…」
両手を挙げてフォローするサフィナは、ミエに頭を撫でられるとふんすと鼻息を荒くした。
「で…シャミルさん、なんで私を待ってたんです?」
「あー…うむ」
あらためてシャミルの方に向き直ると、妙にばつの悪そうな顔で頭を掻いている。
「…話しにくい事です? もっと森の方に行きましょうか?」
「あー…そうじゃな。その方がよいかもしれん」
いつもの舌鋒の鋭さはどこへやら。
今晩の彼女は妙に歯切れが悪い。
ミエは己の袖を指でつまんだままの彼女を連れ村外れへと向かった。
「ゲルダさん、サフィナちゃん、周囲に誰かいます?」
「…いねーな」
「おー…かくれてるひといない…」
そして付近に誰もいないことを確認すると改めてシャミルの方に向き直る。
「ここなら誰にも聞かれませんよ?」
「あー…そうじゃな…」
後頭部をぼりぼりと掻きながらなおも言い淀むシャミル。
どうやらよほど言いたくないことなのだろう。
「…そんなに嫌ならやめておきます?」
「いや! …いや、言わせてくれ」
「はあ…はい」
目線を泳がせ、うつむいて、その後ぶつぶつと呟いきながらふらふらと歩いた後…シャミルはようやく覚悟を決めたらしく三人に向き直った。
「その…なんじゃ。以前おぬしらにわしがこの村に来た経緯を話したことがあったじゃろ」
「はい。みんなの身の上話をきかせてもらった時ですよね」
「あーなんだっけか、えーっと…」
「おー…覚えてる。イドバタカイギ…」
「そうそう! それだそれ!」
この村の主婦に定着しつつあるミエの世界の単語にゲルダが手を打った。
まあ皆と言っても正確にはミエは記憶喪失を理由に己の身の上を語ってはいないのだけれど。
「さっき会合で言ってた爆発で地底世界と繋がっちゃったってやつですよね?」
「それなんじゃが…あの話、実は嘘なんじゃ」
「ふぇっ!?」
「マジか」
「おー…嘘…?」
シャミルの告白に驚愕する三人。
「え? じゃ、じゃああの地底からオーク達がって言うのも…」
つい先刻会合の席でシャミルが語った事。
爆発事故が起きて地底世界と繋がりそこから湧いて出たオークによって村が焼き討ちにされ滅ぼされたという発言。
あれが虚偽だというのなら一大事である。
ついさっき決めた今後の村の方針自体にすら影響を与えかねない。
「それはない。ミエ。あの時のシャミルの言葉に嘘なかった」
だがサフィナがすぐに首を振ってそれを否定する。
「そうか…考えてみれば深緑の巫女であればあの時点で当に気づかれておっても不思議はないか」
「え? でも爆発事故が本当で地底世界ともつながったのが本当でオーク達が出てきたのも本当なら…なにが嘘だったんです?」
ミエの問いにシャミルが顔を伏せ、サフィナが小首を傾げる。
「…シャミル、言っていい?」
「…………………うむ」
シャミルのたっぷりと間の空いた返答を聞いたサフィナは…ミエとゲルダを見上げながら彼女の罪を告げた。
「知り合いの発明家が事故を起こした、のが、嘘」
「「あ……」」
ミエは文脈から、そしてゲルダはシャミルの様子から、それぞれ真実に辿り着く。
「すまんのうサフィナ。嫌な役目を負わせた」
「おー…きにするな」
三人の視線を受けたシャミルは、遂に観念したのかぽつりぽつりと真実を語り始めた。
「……あの頃わしは駆け出しの学者でのう。発表した論文がぼちぼち外にも知られるようになっておった頃じゃ」
シャミルの告白を聞き漏らすまいと、全員息を殺してその続きを待つ。
「発明家の知り合いがおったのは本当じゃ。幼いころから隣同士でのう。わしは学者、あ奴は発明家とそれぞれ異なる道を歩んでおったが、まあ悪友兼ライバルのようなものじゃった」
「それって女か? 男か?」
「男じゃ。お互い相手に負けまいと必死に努力しての…論文が外の世界に出た分当時はわしの方が少し先んじておったかのう」
静かに語るシャミルの口調には、どこか憧憬と郷愁を感じさせた。
「その頃そやつはちょうど爆薬の研究をしておってな。こう液状の爆薬を作ろうとしておった」
「えきじょう…? 要は水みたいなもんか? 水で爆発? 普通水かけたら火って消えねえ?!」
己の知る常識とかけ離れた研究にゲルダが混乱する。
「あー…つまりニトログリセリンみたいな…布とか粉状のものに沁み込ませて安全に持ち運びして現地で着火して爆発させる的なやつです?」
「なぁんでそれを知っておる」
シャミルがぎょっとした表情で、ゲルダとサフィナが感嘆したような顔でミエを見つめた。
「あ、いえその液状の爆薬なんてものが本当にあるならそういう用途で使うものなのかなって…」
あわあわと慌てて言い繕うミエ。
「…まあおおむね正解じゃ。でその火薬の配合割合の検証を複数の家でやっておっての。当時のわしもそれを引き受けておった」
「家で爆発物をですか? 危なくないです?」
「危険はないでもなかったがまあノーム族なら普通の話じゃったしな。それに宵の口の薬液の調整さえ忘れんかったら何も問題ないはずじゃった」
なんとも物騒なことを平気で言い放つシャミル。
「じゃが…あの日、わしはノームたちの学会へ参加しに別の村に出かけてしまっての。無論夕刻までに戻るつもりだったんじゃがつい議論が白熱してしもうて…」
そして、彼女は再びあの日の真実を語る。
「慌てて家路についたが…手遅れじゃった。村の方から聞こえる爆発音、そして燃え上がる火の手…村の外から震えながら確認したのは…穴の開いたわしの家じゃった……!」
がくり、とシャミルがその場に崩れ落ちる。
「壁に突き刺さった扉はわしの家の扉じゃ! 地底からオーク共を招き寄せたのも! 村が焼けて滅んだのも! 全部、全部わしのせいなんじゃ! だのに…だのにわしは恐怖に駆られて逃げることしかできなんだ……!」
顔をくしゃくしゃにして、泣き出すシャミル。
「わしは愚かで! 阿呆で! 人でなしじゃ! 慌てて走り出して! 必死に逃げて! しまいにはこの村のオーク共に捕えられ性奴となった! じゃがその時わしは何を感じておったと思う?」
震える声で…己の醜さを、浅ましさを詰り、嘲る。
「…『安堵』じゃ! 外界と隔絶したオーク共の虜囚として生涯を過ごすのであらば、村のその後について知ることもない! 知る必要もない! その方がいっそ気が楽じゃと、わしは、わしは……っ!」
「もういいですからっ!」
泣き咽ぶ少女のようなシャミルを、ミエがきつく抱き締める。
「危険物を他人に預けることの是非は置いておいて! 管理不行き届きで爆発させたのはシャミルさんの責任だとしても! それが地底世界と繋がっちゃったのはシャミルさんのせいじゃないでしょう!?」
「じゃが、わしの、わしのせいで村が…っ!」
「落ち着いて下さい! シャミルさん穴の開いたわしの家って自分で言ったじゃないですか!! それが確認できたってことは他の家はその爆発に巻き込まれてないってことですよね!?」
「………………!!」
ミエの言葉にハッと顔を上げるシャミル。
「…確かに、他の家は誘爆しておらんかった」
「扉が他の家の壁に突き刺さったってことは正面の家だって無事じゃないですか! なら村が燃えていたのはシャミルさんの家の爆発のせいじゃなくって! オーク達が火を着けたからじゃないんですか?!」
「…………………」
茫然とした表情で、涙で目を腫らして、シャミルはうわごとのように呟く。
「そうじゃ。そういえばオーク共が皆松明を持って…」
「それならっ!」
ミエはがっしとシャミルの肩を掴んで己の方に向き直らせる。
「それなら! シャミルさんのすべきことは忘れることでも嘆くことでもなくって! 地底の人たちに今も荒されてるっていう自分の故郷を! どうにかしてあげることじゃないですかっ!」
「………………………っ!!」
シャミルの瞳に生気が戻る。
「わしに…できるかのう」
「できます! 協力します! 私達でなんとかしましょう!」
「おう、まっかせときな! 暴れンのは得意だぜ」
「おー…サフィナもあばれる…」
腕まくりをしてムキっと力こぶを作るゲルダと、同じように腕を曲げ鼻息を荒くするがまったく平坦なサフィナの腕。
「はい! この村で! わたしたちで! シャミルさんの故郷を取り戻しましょう!!」