第266話 地底法
「あ、地底と繋がる通路って…あー! ああー!」
ミエが驚きの声を上げ、今更ながらに思い出す。
「確かシャミルさんの村でなんかの実験の失敗で大爆発が起こって、そのせいで地底と繋がる通路が開いちゃってそこから地底のオーク達が出てきた言ってた! 確かに言ってましたね!」
「おー…言ってた気がする…」
「そだっけか」
ミエとサフィナとゲルダがそれぞれ当時の彼女の発言を思い出す。
いや正確にはゲルダは思い出せてない。
「なに? 本当にそんなことが…?!」
がた、とキャスが椅子から身を乗り出した。
捨て置ける話ではなかったからだ。
「なぜ黙っていたのですか」
キャスが驚き、エモニモがやや厳しい口調で詰問する。
「わしもまさか符合するとは思っておらなんだからじゃ」
頬杖をつき、溜息をつきながら、なんとも不機嫌そうな顔でシャミルが語る。
「考えてもみよ。わしがこの村に囚われたのは二年近く前じゃぞ。村で爆発が起こり、地底と繋がり、地の底の住人がそこから湧いて出たとしてじゃ。そやつらが周囲の村々に侵攻すればすぐに露見するはずじゃろ? そうなれば地底法が発動する。すぐにでも多島丘陵中の国から兵が集い冒険者が雇われ連合軍が組まれて掃討戦が始まっておるはずじゃ」
シャミルの言葉にミエが首を傾げる。
「地底法…ってそれはノーム国の法律か何かですか?」
「違う。国際法のひとつじゃ」
「国際法…?」
「そこからか。そこから説明せんとダメか」
この世界の言葉を己の世界の単語に置き換えて考えてみるが、ミエの世界の国際法と言えば、国家間の条約や世界の共通慣習の明文化、あるいは法の一般原則の定義などが主なものだったはずであり、今の文脈の中の使い方とは一致しない。
ゆえにミエにはどうにもピンとこなかった。
「国際法は国家を超えた脅威に対抗するため、多くの国々が協議の上決めた法律じゃ。瘴気地を攻略するために『闇の大戦』の兵を募るのも、普段のいがみ合いを忘れて幾多の国が、種族が協力するのも、国際法のひとつ『魔族法』があるからじゃ」
「あー、ああー…!」
ミエも以前村づくりの際に聞いた覚えがあった。
瘴気や魔族は人型生物共通の危難だから国や種族のしがらみを越えて挑むのだと。
だがその際に共通の理念なり目的なり優先順位なりがしっかり決まっていなければ、せっかく集まった者同士がそれぞれの利得と立場を主張して混乱してしまうだろう。
それでは烏合の衆にしかならぬ。
烏合の衆では魔族には抗し得ないのだ。
つまり国際法とはそうした型生物共通の危機や危難に対抗するために際の国を越えた共通の取り決めなのだろう。
「ああそっか、地底からの侵略も地上全土が標的にされてるから…」
「そうじゃ。魔族どもと同様地上に出てきた地底の連中の脅威に対しても国家間のしがらみを超え力を合わせて対抗する『義務』がある。さてそこでじゃ、わしの村が滅んで、連中がそこで兵力を整えたとして、確かに数日から数週間は隠し通せるかもしれん。じゃがその間の近隣の村との交易は? 行き交う行商は? 仮にそうした者どもを全部処分して、近隣の村々を制圧しておったとしたら、もっと早う大事になっておらねばおかしくないか? おぬしら多島丘陵から訪れた行商どもからそうした噂をこの半年に一度でも聞いたか」
「いえ、それは…」
エモニモは言葉に詰まった。
確かに聞いていない。
一度たりとも聞いていない。
地底から来た軍団が村一つを占拠しているという噂も、彼らが周囲の村や街を襲い精力を拡大しているという話も、一切聞こえてこなかった。
実際に彼らがその地から地表に湧いて出ているとすれば些か妙な話である。
「聞いたことはありません。衛兵隊長として村を通る者達の噂話などを部下に集めさせてはいたのですが」
「じゃろ。ならばとうの昔に露見して周囲の街や国に対処されておると考えるのが自然ではないか。わしもすっかりそう思い込んで失念しておったわい」
「でも…さっきの質問の答えからすると、それが今も残ってるってことですよね」
ミエの言葉に、シャミルは心底嫌そうな顔で頷いた。
「そのはずじゃ。じゃが二年もの間なぜ露見しておらなんだか、それがわからん」
「確かに変ですねえ」
「さらに言えば半年前の襲撃犯はほとんどがゴブリンじゃった。じゃがわしの村を焼いたのは地底から湧いて出たオーク共じゃ。この差分の理由もわからん。とゆうかそれのせいでわしも気づくのが遅れたわけじゃが。あのオーク共があれからどうなったのかも不明じゃしな」
腕を組み困惑したように首を捻るシャミル。
同じように思案顔となるミエだが、情報が足りずこれまた答えは出てこない。
「あ、でも…」
シャミルの言葉に、ふと何かを思いつくミエ。
「地底法ってのがあるなら私達も周辺諸国の力を借りられるんじゃ…?」
「む?」
「ほう?」
キャスが肩がぴくんと揺れ、シャミルが興味深そうに片眉を吊り上げた。
「確かに。地底の脅威が迫っているなら地上の者同士でいがみ合っている場合ではないと。それは面白そうだ」
「ふむ。ただ現状わしらの立場が微妙じゃからのう。アルザス王国の村の一つ、と宣言すれば助けも求めやすいが、それだとわしらは王国に降る事になるぞ」
「…それは困ルナ」
「それに攻めてくる時期も正確にはわからんしの。流石に一か月この村に軍隊を詰めてもらうこともできまい。それにあまり大々的に動くと向こうが占術の結果と行動を変える危険もあるしの」
「あー…確率が高いってそういうことですよねえ…」
シャミルの言葉に腕を組み考え込むミエ。
「…じゃあ銀時計村の方を先に攻めてもらうのは?」
「王国の方が色々と外圧をかけて来るじゃろうな。国家に楯突く一小村が戯言を抜かしておるだけじゃと」
「でも襲撃は事実ですよね?」
「事実じゃとしてどう信じてもらう気じゃ。ネッカのあれは尋ねた神が専門分野じゃったからクリティカルで色々聞けたが、あれほどの精度の情報が各国で得られるとは限らんぞ」
「そうだニャ―…」
ネッカの使用した呪文をつらつらと思い返し、アーリも同意する。
そもそも彼女の見立てからすれば、仮に周囲の村や街に運よく魔導師がいたとして、ネッカの用いたようなあの域の高位占術はまず使えないだろうから、より一層絶望的だと思ったけれど、口には出さなかった。
その辺りに詳しいことを勘繰られると、彼女としても色々面倒だからである。
「じゃあこの国にだけ手紙を出さないようにして各地に…」
「無駄だと思いまふ」
「即答ー!?」
ミエの次のアイデアは、己の膝の上から即座に否定された。
「国際法クラスの案件なら国家間で情報共有を図ると思いまふ。村や街はともかく各国家となるとどこも魔術対策に魔導師を宮廷に引き入れているのが普通でふから、魔導師同士で魔術や魔鏡などの魔具を用いてすぐにここの王国にも話が伝わると思いまふ」
「あー…」
ミエのかつて住んでいた時代を現代とするなら、この世界のイメージはそれよりかなり遡り中世程度のイメージが強かったが、魔術の発展のお陰で彼女の抱いているその時代より格段に進歩している部分もあるようだ。
魔導師同士のみという限定ながら情報伝達の速さなどもその一つである。
「そう。わしらが外に助けを求めればまず確実にここの王都にも話が届く。向こうにとってみればわしらの言い分を嘘だ出まかせだと言い立てて時間稼ぎをし、この村が地底の連中に攻め滅ぼされた後で彼らの言っていたことは事実だった申し訳ないなどと謝って改めて地底の連中と対決すればいいだけじゃしな」
「…それにアルザス王国の一部に地底の連中と結託した動きもあるしな。そこから地底の連中に情報が伝わり、それで襲撃時期が変更されて占術の結果が変動する恐れもある。個人的にはそちらの方が心配だ」
シャミルの言葉を受け、キャスも己の懸念を表明した。
「ということは…」
「あまり外の助けは期待できない、ということじゃな」
「ですかー…」
嘆息するミエ、沈痛な面持ちで頷くキャス。
「難シイ事ハわからンガ…」
机をトントンと指で叩きながら、クラスクがシャミルの方に顔を向ける。
まあ身長差からかなり見下ろすような格好となってしまうが。
「要は奴らが地下から湧いテ出ル穴を何トカシナイトこの村の今後に関わル、そうイウこトダナ?」
「然り。それをせん限り芯からこの村が安全とは言えんじゃろうな」
「俺達ダケデ」
「うむ、わしらだけでじゃ」
クラスクは大きく頷いて己の胸を叩く。
「…わかっタ。なんトカスル」
「できるのか」
「何トカスルしかナイなら、何トカスル。それが族長の務めダ」
「頼もしい話じゃ」
憮然とするシャミル。
妙に嬉しそうなキャス。
黄色い声を上げて応援するミエ。
「じゃが今では族長ではなく村長では?」
そしてシャミルにツッコまれて『ソウダッター!』といった顔になるクラスク。
…結局それ以上議題が進むことはなく、その日は解散となった。
進展はあった。
今回のネッカの占術と皆の合議によって目標ははっきりと見えたのだ。
ひとつ、地底からの軍勢を追い払い、この村を襲うメリットがないことを知らしめること。
ふたつ、彼らを率いている首魁にしてかつてギスの母親を魔族に売った男、クリューカをなんとしても倒すこと。
みっつ。彼らが地上へとやってくるために利用している『天窓』…地底と地上とを繋ぐ通路を塞ぐこと。
この三つを全て達成することが、この村が存続し発展するための必須条件である。
ただ…現実はそう甘くはない。
地底からの軍勢は前回以上の数で、前回以上の精鋭で構成されているだろう。
そして前回クラスクとキャスの二人がかりで苦戦した黒エルフの二人組…敵の首領はその二人よりさらに強いであろうことは疑いない。
なぜ地底から湧いて出て村を焼き討ちにした連中が二年もの間野放しになっているかも謎だ。
さらに地上に住む者の共通の脅威だというのに、この村の立場上自分達だけで対処しなければならない。
そしてなにより…彼らから村を守るための城壁づくりは、未だ遅々として進まない。
ネッカのお陰で最低限の砦程度は形にできるかもしれないけれど、それは兵士を守るもので、それでは村は、そして村人は守れない。
最悪街道を隠し森の中の村に避難させたとしても、あちらは外村以上に丸裸で、見つかれば助かる見込みはない。
皆どこか悲壮な…重苦しい空気を纏っているのも、だから当然と言えるだろう。