第265話 古き銀時計
「さて問題はここからだ。クラスク殿の質問によって、ギスの所持している宝石を狙っているのは敵の首魁であるクリューカのみである、ということが判明した」
両手を組んで、キャスが目を細め話を続ける。
「個人的には前の襲撃の時からずっとおかしいと思っていたのだが…他に向こうの戦術に違和感を感じた者はいるか?」
キャスの時にさっと挙手をしたのはクラスクとゲルダだった。
「まじない…アージュモン? デ部下巻き込むノよくナイ」
「あたしも違和感を感じたのはそこだなー。あの時ゴブリンの…盗賊? どもと狼に乗った…ありゃあゴブリン的には騎士なのか? みたいな連中が村を狙ってたろ。あいつらの動きは別におかしくねえ。例えばそう…あれだ、仮にあたしらの村がお目当ての重要拠点だとしてだ、ゴブリンの大軍ってえ『数』を用意して拠点から主力をおびき出し、その間に少数精鋭で忍び込んで拠点を乗っ取る。傭兵がよくやる手さ」
「ずるくないですか!?」
「ずるくねえよ。これも戦略って奴だ」
思わず反応したミエにゲルダがぴしゃりと言い放つ。
「…意外ですね」
「なんだエモニモ、もっとあたしが馬鹿だって思ってたかー?」
「あいえ! 決してそのようなことは…!」
ニヤニヤと笑いながらからかうゲルダに慌てて言い繕うエモニモ。
「いーんだよ。元傭兵の身としちゃあ馬鹿に見えるのも仕事の内って奴さ。相手の油断を誘うためにってな。そーゆー奴が戦術的に動くとよく引っかかるんだ。エモニモとキャスだってここのオークどもにそれで痛い目見てんだろ?」
「う、それは…っ」
「実に。返す言葉もないな」
かつて翡翠騎士団としてこの村の討伐に挑み、クラスクの指揮の下、地の利を生かした巧みな戦術を駆使したオークどもに苦杯を舐めさせられた彼女達には実に耳に痛い台詞であった。
「ま、実際そーゆー策略を練んのはあたしじゃねーし、あたしが馬鹿だってことは間違っちゃねーけどな。ハハハ!」
頭の後ろに手を回し、椅子をぐらぐらと揺らしながら呵々大笑するゲルダ。
かつての歴戦を感じさせる言葉である。
「ともかくよ、囮役のゴブリンどもと、村に潜入しようとしてた連中のやってることは全部筋が通ってんだ。目的はあの村の『占領』と『活用』さ。ただそいつらごとまとめて焼いちまおうっていうい敵の親玉の動きだけがそれと一致しねえ」
「ゲルダ殿の言う通り。私が感じていた違和感もまさにそこだった。当時は同列の首領格が複数いて命令系統が錯綜しているものかとも勘繰っていたが…これまでの情報を統合するとどうもそうではないようだ」
キャスが首を眉根を吊り上げ、襲撃犯の真意に迫る。
「敵の首魁たるクリューカは、己自信の真の目的を隠したまま、配下の連中を利用していると考えられる。おそらく地底世界からやってきた目的自体は部下に告げた方が本命なのだろう。ただそれとは別に己自身の野望があって、地上侵攻を好機と見て事のついでにそれを果たすつもりなのだ」
「部下に告げた方?」
テーブルから離れてネッカを膝枕しながら頭を撫でていたミエが問いかけ、キャスが頷く。
「推測だが…あの日の彼らの動きを見る限り、ゲルダ殿の指摘通りこの村を占領、接収し地底世界の連中の橋頭保とするつもりなのだろう。東西南北どこに攻めるにも便が良く、また往来の激しいこの地を塞げば地上世界の交通動脈の寸断にも繋がる。元々優れた立地でありながらオーク族の縄張りの中ということで活用されていなかったこの近辺の価値を、図らずも私達が証明してしまった形だな」
「その上向こうからすればこっちがわざわざ立派な村まで作ってくれた感じニャ、それは利用したいって思うニャ」
「あー…」
ミエの出したアイデアは確かに素晴らしいもので、村は急速に発展しているけれど、襲い、奪う側としてはそれは襲撃するに足る十分な理由となるわけだ。
無論通常の野盗やら山賊やらはわざわざオーク族の縄張りのど真ん中まで攻めてこないだろうから、かなりの例外事項ではあるのだが。
「ただし…」
「タダシ襲撃ッテのは『意地』じゃナイ。『損得』ダ」
キャスの言葉を受けて、クラスクがオークの流儀を述べる。
「拠点があれば『得』。ダカラこの村欲シイ。デモこの村手に入れルために部隊が壊滅すルならそれは『損』にナル。ダカラ手下ドモダけなら力でこっちが上ダト示せバその次はナクナル」
トントン、と机を指で叩きながら、クラスクは話を続ける。
「連中の襲撃を次で終わらせル為には絶対必要な事が二つあル。こちらの力を示して襲うノ無駄ダ思わせルこトト…向こうの親玉を絶対に! 何があっテモ潰すコトダ…!」
そしてどん、と机を叩き殺気を剥き出しにしてそう告げた。
「…そうだな。異論はない」
「ま、理屈だニャ」
「それデ構わんナイか、ギス」
「ええ、もちろん。父親と言っても顔も見たことのない相手ですもの。恨み言はあっても情なんて湧きようがないわ」
「ナライイ」
敵の目的は大きく二つある。
集団としては地底のどこかの集団の先兵としてこの村を地上制圧の拠点にしたいとという戦略的目的、そしてボスであるクリューカの盗まれた海魔石を取り戻したいという個人的願望である。
前者も後者もこの村を標的にしている、という点では一致しているが、そこにはかなりの温度差がある。
村落程度軽く落として自分達の陣地にしてしまおうという連中にとって、ここを攻略するのはメリットが大きいからであり、損害等のデメリットの方が大きくなれば攻める理由がない。
一方でこの村にいる…いや正確には同名の別の村に住み暮らしているのだが…ギスが隠匿している、かつて奪われた貴重な宝石をなんとしても取り戻したいクリューカにとっては、村の攻略は絶対条件のようだ。
それは遠く王都にまで手を伸ばして彼女を放逐させたことからもうかがえる。
ギスが魔術的に隠匿している宝石をどうやって奪い返すのかまでは不明だが、その手段を見ると少なくともギスの生死は問わぬらしい。
つまり…何度彼らを追い返したところで、彼らを率いているクリューカなる人物を倒さないことには再び村が襲撃される恐れがあるということだ。
ただ逆に言えば宝石について知っているのも執心なのも彼一人であるため、クリューカさえ倒してしまえば残りの連中には無理にこの村を襲う理由がない。
無論容易く蹂躙できるなら喜んで襲って来るのだろうが、手痛いしっぺ返しを受ければそれ以上の襲撃は躊躇するだろう。
…少なくとも、別の村を襲おうとするはずだ。
「つまりなんとか頑張ってもう一度ゴブリン達を追い返して、ついでに向こうの一番偉い人を倒しちゃえばいいんですね?」
「そうだなミエ。言うは易いが…」
間違いなく前回より大規模であろう襲撃を、防備の整っていない村で防がねばならない。
それがいかに困難か、キャスは重々承知していた。
「ダガやるしかナイ」
「…そうだな」
黒エルフだけではない。
その後にはこの国と対決しなければならないのだ。
いや時期的には最悪同時に相手取らなければならない可能性すらある。
キャスはこの先に控える難事に頭を悩ませ…
「…それでは足りんよ」
そして、刺すように鋭い一言に我に返り、ハッとその声の主の方へと顔を向けた。
「シャミル殿…!」
「それでは足りん」
「なにが足りないと…?」
今までずっと押し黙っていたシャミルが、深くため息をつきながら言葉を紡ぐ。
「連中を追い散らし、そのボスを倒す。その方針は良しとしよう。じゃが…お主らあのゴブリンどもがどこから来たか考えたことはあるか?」
「む…?」
キャスはシャミルの問いがよく理解できなかった。
ゴブリンなんてどこにだっているではないか。
「いや…無論この近辺はオーク族の縄張りだから排除されているだろうが、喩えば多島丘陵あたりに行けばゴブリンなんてそこら中にいるし、彼らを力で従わせれば…」
「それはナイ」
「なに…?」
意外なところから反論の言葉が上がり、キャスは眉根を寄せた。
「どういうことだクラスク殿」
「ゴブリンは氏族ごトに肌の色少し違ウ。大丘…向こうのデカイ丘のゴブリンども数人から十数人くらいで群れテル連中多イ。ダカラあそこから集めタゴブリンならちょっトずつ肌の色の違う連中の集まりになルはず。デも前に村襲っタ連中みんな同じ肌の色シテタ。あんな規模の氏族大丘にイナイ」
「村長殿が正解じゃ。つまり…あのゴブリンはまとめて一氏族。それが地底から『兵団』として来とる。それが何を意味するか分かるか」
「地底、から…!?」
キャスとエモニモはその言葉にハッとした。
本来地底と地上は『断絶』している。
その間を繋ぐものはか細い迷宮の通路などであり、地上から地底へ行く者も、或いはその逆も、基本少数にならざるを得ない。
だが…稀に地底と地上を繋ぐ大きな通路が発見されることがある。
そうなると地底の者達は軍備を整えて大規模に地上への侵略を開始する。
もしそんなことがあれば、魔族の侵攻に劣らぬ危険極まりない状況と言えるだろう。
「すぐに調べて対処しなければ…! 一度くらい追い払っても増援されて何度でも襲撃を受けるぞ! 放っておけばこの村どころか周辺の村や街が蹂躙される!」
「ですが隊長、その場所をどうやって…!」
「ええいネカターエル殿の占術…を頼るのは当分は無理か…!」
「場所ならとうに聞いておる」
歯噛みするキャスに…シャミルが静かな口調で呟いた。
「ええっと…それってもしかしてさっきのシャミルさんの質問ですか? トゥクゥラズフスはウムト・ルゥムヴィスエドグブがどうのって…トゥクゥラズフスは確か天窓のことですよね?」
ミエの言葉に、ずっと膝枕を堪能していたネッカがむくりと起き上がる。
「天窓は商用共通語でふね。もうひとつの単語はノーム語でふ。確かウムト・ルゥムヴィスエドグブで『古き銀時計』的な意味かと」
「ええっとつまり…さっきの質問は『天窓は古き銀時計か』って尋ねたってことです…?」
意味がわかったところでますます理解不能な単語となり、首を捻るミエ。
シャミルは深く深くため息をついて…こう答えた。
「『天窓』とは地底の連中が用いる地上へと通じる通路を指す言葉じゃ。『古き』とはかつての、旧、あるいは滅んだ、といった意。そして銀時計とは…とある丘の上に古くからあるその村の象徴で…村の名前じゃ」
沈痛な面持ちで、呻くような口調で…
シャミルは、彼らの本拠地の名を告げた。
「つまりきゃつらが地底からこの地上に湧き出しておるその大穴は…今は亡き銀時計村、わしの故郷の村にある、ということじゃ……!」