第248話 魔性の斧
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」
森のクラスク村に女性の絶叫が響き渡り、作業中の娘達の動きがびっくりして止まった。
「ナンダナンダ」
「ナニガアッタ」
ちょうど重箱式巣箱から採蜜を終えたオーク共がざわざわと騒ぎ立て、悲鳴のした方へと群がった。
だが…
「大丈夫ダ。心配イラン。オ前ラハ作業ニ戻レ」
「「「大隊長!!」」」
その声のした場所…最近建てられたまじない師の家らしき建物の前には大隊長ラオクィクががおり、彼らを追い散らした。
よく見れば彼と同じく族長の右腕たるリーパグもいるし、彼らの妻たちも控えている。
さらには族長夫人も同席している。
それに加えて商人のアーリまでが控えていた。
一体ここで何があるのだろうか。
オークらと村娘達は首を捻りながら作業に戻った。
…村娘の幾人かは好奇心に勝てずにこっそり戻って様子を伺おうとして、リーパグに見つかり再度退去を言い渡されていた。
「遅レチマッタダヨー。蜂蜜ノ方ハ一段落ダベ!」
「お待たせ…なにかあった?」
オーク共を指揮し蜂蜜を採取していたワッフが到着し、彼の妻のサフィナがてとてととその後に続いた。
彼らはクラスクが頼んだ斧が仕上がるのが今日だと聞いて、その仕上がりを確認するついでに会合に参列しに来たのだ。
普段の会合は面倒だと嫁に丸投げしているくせになんとも現金な話である。
なにせオーク族にとって戦いこそが喜びであり、また誉れである。
文化的な暮らしに馴染んできたこの村のオーク族とてそれは例外ではない。
その戦いの趨勢に、本人の技量以外で大きな影響を及ぼすのが武器の質…即ち硬さ、重さ、切れ味、そして使い勝手である。
まじない師によってそれが強くなるかも、と聞けばその結果が気にならぬわけがないのだ。
「ナンカ女ノ悲鳴ガ聞コエタダ。ドウカシタダベカ」
「いえ…その、旦那様の斧を鍛えていたネッカさんの悲鳴がたった今中から聞こえてきて…」
「そんでクラスクの旦那が中に助けに入ったとこだ」
ゲルダが指差した先の魔術工房から…まさにネッカを肩に担いだクラスクが扉を開けて登場した。
「ネッカさん! 旦那様、ネッカさんに何が…?」
「わからン。中に飛び込んダラ工房の真ん中デうつ伏せに倒れテタ」
「まあ!」
ネッカがこの魔術工房でクラスクの斧を鍛造している最中は、ミエが食事を差し入れする以外は基本立ち入り禁止で、彼女は朝に石材を切り出す時と夜寝る時以外はずっと工房にこもりっきりであった。
いや時には夜に自宅へ帰らずここで過ごす事すらあった。
そんな彼女に一体何があったのだろう。
意識を失っているネッカをとりあえず工房の壁にもたれかけさせ、ミエが手当てを試みる。
「それで…旦那様の斧は…」
「これダ。床ニ落ちテタ」
クラスクが再び工房内に戻ると斧を拾って戻ってきた。
幾度も幾度もクラスクと共に死線を潜り抜けて来た彼愛用の戦斧である。
「あれ? 見た目が少し変わったような…?」
「…そうカ? …そうダナ」
夫の得物を見慣れているミエが彼が持つ斧の姿に若干の違和感を覚える。
見た目は以前とほぼ同じ…はずなのだが、クラスクが持った時の印象がやや変わって見える。
彼女の目から見て、その斧は以前より全体的にやや丸みを帯びているというか、猫が体を丸めていたり、老婆が背中を折り曲げているかのような印象を受けた。
その要因は柄にある。
以前は一直線だった斧の柄が、微妙に屈曲してやや前のめりになったように見えるのだ。
「前より少し軽イ…ノカ?」
片手で持ってぶんぶんと振り回しながらクラスクはそんな感想を抱く。
「クラスク、切レ味ハドウナンダ」
「見セテクレヨ兄貴ィ」
「オラモ! オラモ見タイダ!」
「ちょっト待っテロ」
ラオクィク、リーパグ、ワッフが見た目なんかより早くその切れ味を! とクラスクにせがむ。
彼らに言われるがまま…というかクラスク自身も気になっていたのだろう、家の横の小川をひょいと飛び越えると、森の中に入る。
そしてとりあえず斧で適当な樹を切り倒し、丸太にした後村へと持ち帰って試し斬りの的にでもしようかと手近な樹の幹に斧をコーンと叩きつけて…
「ッ!?」
そのまま、斧の刃が樹木をするっと貫通して向こう側へと突き抜けた。
クラスクがぎょっとして己の斧を二度見していると、その横でゆっくりと樹木が横倒しになってゆく。
あろうことか彼の斧はただのひと薙ぎで樹木を切り倒してしまったのだ。
「…無茶苦茶切レル」
「見テタ」
「マジカ」
「オオオオオ! スゲーダヨ兄貴!」
クラスクは唖然とするラオ達を置いて森の中へ分け入ると、今度は彼の頭二つ分ほどの大きさの岩を持ち帰り、工房の前に置いた。
彼は折れたらたまらぬと試しにその岩にこんこんと斧刃を打ち付け、大丈夫そうとわかると大きく振りかぶって斬撃を叩き込んだ。
ばこ、という音と共に岩が真っ二つとなり、当の本人含めオーク共は皆あんぐりと口を開ける。
「スゴイダ! 岩ガマッ二ツダヨー!」
「マジカ。マジカー」
「スゴイ威力ダナ、クラスク」
「俺もびっくりシタ」
あらためてまじまじと斧の刃を凝視するクラスク。
だがその刃には傷ひとつ、刃こぼれひとつできていない。
魔法の武器、とアーリに聞いても、鍛えてもらえと急き立てられても正直あまり実感はなかった。
多少マシになれば儲けものだ程度の認識しかなかったのだ。
だがその威力は彼の予想を遥かに超えていたようである。
「キャスバス隊長の剣もあのようなことが…!?」
「試したことはないが、岩に穴を空けるくらいはできそうだな」
己の愛剣をぽんと叩きながらそう答えるキャスに、エモニモが瞳を輝かせる。
「う、う~~~ん…」
「あ、旦那様! ネッカさんが目を覚ましそうです!」
「本当カ!」
どすどすどす、とネッカを手当てしているミエの元に急ぎ足で向かうクラスク。
「う~~ん、うう~ん、ク、クラ様ぁ~~ぜったいその斧を手にしちゃダメでふぅぅ~~~……はっ!」
彼女が目を覚ますと同時にその腹がぐぐうと大きく鳴って空腹を訴えた。
「あ、おなかが減って立ち眩みが…あでもそれよりクラ様に早く伝えな…」
「オオ! ネッカ! 起きタカ!」
「クラ様! …ってもう持ってまふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!?」
半泣きでそう叫ぶと両手で頭を押さえてころんと丸くなって地面に転がる。
まるでアルマジロのようだ、とミエは思った。
この世界にアルマジロがいるのかどうかわからないけれど。
「スゴイ出来栄えダ! 驚イタ! お前スゴイな!!」
「わふん…?」
クラスクが興奮して己の斧を指し示す声を聞き、震え丸まっている状態から顔だけ向けて彼を見上げる。
視界の端にいたコルキが「今わふんって言った? よんだ?」のような体でと首を上げるが、ネッカがぶんぶんと首を振るとなーんだといった風情で再び丸くなった。
「だ、大丈夫でふか?!」
「何ガダ」
「ええっと…何か聞こえたりとかしないでふか」
「? …向こうでうちのオークと女達が蜂蜜組んデル声が聞こえル」
「それだけでふか?」
「……………………?」
クラスクはその奇妙な質問に首を捻る。
その背後でゲルダが「やっべ蜂蜜の汲み出し忘れてた!」と叫びながら大慌てで広場の方へと走って消えた。
「そ、それならいいんでふが…」
埃をはたきながら立ち上がるネッカ。
「じゃ、じゃあまずは確認だけさせてくださいでふ」
「カクニン?」
「曰くの確認、でふ。ええっと…クラ様の御家族はというと…」
「はい! ミエです」
「私もかな。キャスだ」
「あとはうちの息子のクルケヴと娘のミック、ピリックですね! あーはいはいコルキもねー」
息子と娘の名前を言い終えたあたりでミエがそのまま口を閉じようとすると、背後でコルキが「ばうばうばうばうばうばうばうばう! ばうーん!」と自己主張をするのでミエが苦笑しながら彼の名を付け加える。
コルキはそれで満足したらしく再び丸くなりつつ、だがばっふんばっふんと尻尾を動かしていた。
「…ですけど、それが何か?」
「んう~…それじゃあその中で一番強い方は?」
「…となると、まあ私かな」
キャスが一歩前に出る。
「キャス様なら安心でふね…じゃあ次にこの中で飛び道具が得意な方は?」
「「「うん…?」」」
ここに至ってもネッカがどんな意図でそれらの質問しているのか誰一人皆目見当がつかず、一同首を捻る。
「弓ナラ俺カナ」
「槍デイイナラ俺ダ」
一応リーパグとラオクィクが手を上げ、各々の武器を指し示した。
「…まあそうですね。ラオの投槍は一応この村で一番かと」
「ソウ、俺一番」
さらりと亭主を立てるエモニモと、力瘤を作るラオクィク。
なんのかんのでこの二人も夫婦らしくなってきているようだ。
「う~~ん槍だとちょっと危ないかもかもでふね……じゃあリーパグ様」
「様ァ!?」
本来宿敵であるはずのドワーフに様付けされて面食らったリーパグだが、彼は褒められるのが大好きなタイプである。
様付けされて嫌なはずがない。
「ナンダイ? 俺ニ何カ頼ミゴトカイ?」
「調子に乗っておる調子の乗っておる。これネッカや、こやつをあまり調子に乗せるでない」
「イイジャネエカ様付ケデ喜ブクライ!」
二人が角突き合わせいがみ合う。
だが…ネッカの次の言葉はその二人から言葉を失わせた。
「じゃあ…その弓でキャス様を撃ってください、でふ」
「……エ?」