第238話 感覚の差
「というわけで岩塩鉱床を見つけました」
「「はいいいいいいいいいいい!?」」
その日の午後、会合の席でのっけから皆にぶちまけるミエ。
ちなみに今日はゲストとしてネッカも参加している。
当人がそんな偉い会議に自分なんて…と遠慮しているところををミエが強引に引っ張ってきたのだ。
なにせその後にまた彼女に大事な用があるのだから。
「ほう! もしやして鉱床があるやもと推察しておったがやはりか」
シャミルが目を大きく見開いて唇を吊り上げる。
己の仮説が当たったことが嬉しいらしい。
「はい! ネッカさんが魔法で調べたところによると少なく見積もっても200万ゴムサー(約9万トン)以上の岩塩鉱床らしいです!」
「「「そん
なに」」」
そしてミエとまったく同じツッコミをすることとなる。
「なのでこんな時期に誠に申し訳ないんですが色々とやることがですねアーリさん……アーリさん?」
話を聞いていたアーリが途中から面を伏せぷるぷるとその身を震わせており、怪訝に思ったミエが声をかける。
「ミエ…それが何を意味するか本当にわかってるニャ…?!」
「ええっと…鉱床の話ですか? この量なら輸出もできるんじゃないかなーって…」
「そんな単純な話じゃないニャアアアアアアアアアアアアア!」
「ふぇえええええええっ!?」
アーリが瞳孔を縦に裂きながらミエの両肩をがっしと掴む。
「ここは『内陸』ニャ! 塩は南の海沿いの国から運んでこニャイ限り岩塩しかないニャ!」
「…はい。ですからこう輸出などを…?」
「もし! 仮に! 上質の塩が摂れるとしたら! その規模の鉱床ならこの地方の塩相場にモロに影響が出るニャ!」
「ああ…それはまあ…そうでしょうね」
己の興奮が全く伝わっていないミエの生返事にアーリはますます憤る。
「なによりうちは甜菜糖を作ってるニャ! 高級甘味として蜂蜜もあるニャ! それに加えて塩も扱ったら香辛料以外の調味料の相場が牛耳れるニャ! これを村一つが握ってることがどういう事かわかってるのかニャー!?」
「ええっと…とても大変そうな印象をうけました」
「…予想以上伝わってくれてなによりニャ」
きょとんとした表情のミエに深く深くため息をつきがっくりとうなだれるアーリ。
「…で、ミエはその岩塩で何をするつもりニャ?」
「えーっと…そんな大したことは考えてないですけど…」
人差し指を顎に当ててん~と考え込む。
「今までのお塩の輸入元って割と遠方が多かったですから輸送費も結構割高だったじゃないですか。ならうちから周辺都市に輸出すればそれだけでもコスト分が浮きますよね? 塩は人間…じゃなくて人型生物にとって必須ですから当然私たちより以前から扱っていた既得権益者が煩いと思いますけど、うちには幸い他に砂糖と蜂蜜がありますし、近在の畑は食糧増産のために麦畑が多く商品作物主体の地域が少ないですからセットで販売させれば割とこっちの言い値で通せるんじゃないかなって…」
「んー、なんだ? ゴリ押しで高く売りつけようってのか?」
ゲルダの言葉にミエが目を丸くして慌てて首を振る。
「まさか! その分安く売れるんじゃないかなって!」
「気軽に価格破壊と流通破壊を起こすニャし」
「それだけ条件を整えておいてやることが如何に安く売らんかなというのが実にミエらしいのう…」
「ふぇ? え? なにか変ですかね…?」
アーリとシャミルのジト目にミエがびくりと身構える。
クラスク村は立地的には非常に恵まれた場所にある。
西に多島丘陵の小国家群、東に近隣最大の商業都市ツォモーペとその周辺の街や村々、南にバクラダ王国の諸都市、北には無人荒野を挟んでその先に対魔族絶対防衛線たる軍事都市ドルム。
その四方向を結ぶ辻街道にクラスク村の外村はあるのだ。
まあ正確にはそういう立地になるように街道を自分達で勝手に整備してしまったのだが、オークどもが跋扈するこの地域で公的な街道の整備など望むべくもなく、むしろ商人達からは大歓迎を受けた。
そもそも本来であればアルザス王国もこの近辺をそうした商業都市にすべく入植計画が進めていたはずである。
だが初期には巨人族をはじめとした怪物たちが、そしてその後オーク族がのさばって、国が計画した入植計画は悉く頓挫した。
まさかにそのオークが自らそこに村を作ろうだなどと誰もが想像だにしなかっただろう。
幾つものオーク族の縄張りが軒を連ねるこのアルザス王国南西部に於いて、唯一オーク族から一切襲撃を受ける心配のないこの村は、ゆえに交易都市として絶大なメリットを有している。
そんな村で…もし蜂蜜に加えて塩と砂糖を輸出したらどうなるか。
全ての周辺諸都市に近い立地、それでいて非常に需要の高い商品。
通常塩は海から無尽蔵に採取できるためそこまで高価にはならないものなのだが内陸部では少々事情が異なる。
そして砂糖に至っては製造している地域自体が少ない。
なにせアーリが甜菜を手に入れた原産地のイゼッタ公国でさえ、甜菜で造っているのはどろりとした糸を引く甘い液体…いわゆるビートシロップ止まりであり、上質な砂糖結晶を生成できていないのである。
だがこの村は優れた錬金術師…当人が聞けば「学者じゃ!」と怒るかもしれないが…の研究の結果糖蜜から砂糖結晶を分離させる技術を洗練させ、美しい白砂糖を作り出すことに成功していた。
さらにこの世界、この時代において現在人型生物…というより主に人間族は発展の最中にあり、食糧の増産が推奨されている。
そのため多くの農民は二圃制の畑でひたすら麦を作る必要があり、いわゆる換金性の高い商品作物を作る余裕がない。
そんな状態で必須調味料を売ろうというのである。
それも相場よりも安く。
それでいて既存の輸入元よりずっと近くでだ。
それは当然売れるに決まっている。
だがこの村の主力である蜂蜜と異なる点は砂糖や塩には既に先人たる既存の商人達がいることだ。
いわゆる既得権益層である。
けれど彼らはこの村のやり方を強く妨害できない。
仮に各街の商人が不買運動を起こそうにもクラスク村にはアーリンツ商会があるのだ。
獣人達の脚力で各地に行商して回れば商売ルートはいくらでも確保・開拓できるのである。
さらにクラスク村に非協力的な態度を取れば現在庶民の間で需要が急拡大している蜂蜜とその関連商品の取り扱いを拒否されるかもしれない。
となるとよその商人たちの対抗手段はもう『商品の質を上げる』か『商品の値段を下げる』かしかない。
だがこと商品の品質面でミエやシャミルを擁するクラスク村を上回る事は難しく、結果値引きして対応せざるを得ない。
…となれば、各街や村で塩や砂糖が安くなり、より庶民に行き渡りやすくなる。
そして喩え自分達の商品でなくとも、砂糖や塩がどこででも安価に入手できるようになれば…
それこそがミエの望んだ状態なのだ。
ミエが元々暮らしていた世界では砂糖も塩も手ごろな価格で出回っていたし、蜂蜜すら庶民が普通に入手できていた。
そんな彼女からすればそれらの品の値が高くて手が届かない…いや塩の場合は手が届かなくても手を出さざるを得ないのだが…というのはどうにも違和感がある。
単にそれをなんとかしたいと思っただけなのだ。
「塩がふんだんに使えるようになればうちの村の名物料理のレパートリー増やせますし、甜菜の栽培が軌道に乗って砂糖が十分収穫できるようになった今なら日持ちする焼き菓子なんかも作れますよね? そういったものを今の相場より安く提供して村興しできればなーって」
「…のうアーリ、こやつ価格破壊と流通破壊だけでなく庶民生活をも破壊するつもりじゃぞ」
「蜂蜜の頃からしってたニャ」
「ふぇぇぇぇぇぇぇ?! は、破壊されますかね…?」
「されるわい」
「されるニャ」
必要なものがより安価でより多く使用できるようになれば皆こぞってそれを利用し、結果生活の質が向上する。
そして人は…一度生活の質を向上させてしまったらもう下げることができなくなるのである。
現代人が電気やガスや水道、そしてネットやスマホを一切抜きで暮らしたいかと問われれば大概否と答えるだろう。
それと同じである。
「まあいいニャ。需要の発掘自体は今やってる路線と変わらないニャ。ちょっと他の街の商人達と角突き合わせるのが増えるだけニャし、それはアーリが受け持てばいい話だしニャー」
「やた! ありがとうございますアーリさん!」
瞳をきらめかせアーリの手をがっしと握るミエ。
「あれされると弱いんだよなあ…」
「おー…ゲルダミエがじゃくてん」
「いや、むしろ姉様のあれが弱点でない者の方が少ないのではなかろうか」
ゲルダとサフィナの会話にキャスが割って入る。
「ソウ。アレされルト弱イ」
そして腕組みをしてうんうんと頷くクラスク。
なぜか少し誇らしげ。
「それでニャ、ミエ、話が…」
「じゃあ次にお披露目行きましょうお披露目! ほらアーリさん! それにネッカさんも!」
「フニャ!?」
「はううううううう!?」
何かを言いかけたアーリと、茫然と村の会合を眺めていたネッカの手を取り、ミエがばたばたと外に歩き出す。
是非ネッカに見てもらわなければならないものがあるのだ。
彼女のために建てられた…魔術工房である。