第232話 国の思惑、人の思惑
村や街を造る時にいちいち国の許可は必要ない。
地域ごとに封ぜられた領主が管理すればいいだけの話だからだ。
ただし…そこにクラスク村の最大の問題がある。
彼らが村を作った地域に…領主がいないのだ。
本来そんなことはあり得ない。
幾つもの貴族がそれぞれの領地を持ち、その貴族たちを王が治める…それがいわゆる封建制と呼ばれる国の在り方である。
瘴気開拓地に国を造るアルザス王国のような場合でもそれは例外ではない。
特にこの国の場合、バクラダ王国の影響を減らすため大戦に参加した国がこぞって貴族を送り込みそれぞれの自領を得ていたし、当然ながら国の南西を治めていた貴族も存在した。
名をパグザン家と言う。
ただ…国の開拓当時、王国南西部は瘴気が色濃く残り、魔物や危険な種族も多く、その運営と開拓は困難を極めた。
そして当時この辺りを荒らしていた巨人族との数度に及ぶ戦いの末…開拓村は全滅し廃村となり、巨人どもと相打ちになる形でパグザン家と彼の兵も滅んだ。
国王軍が駆け付けた時には全てが終わった後…巨人どもと兵士達の死屍累が広がるのみであったという。
問題はそこからである。
本来であればすぐに新たな領主を据えるべきだ。
だがただでさえ危険度が高いうえに北には赤竜イクスク・ヴェクヲクスすら眠る赤蛇山脈が聳えるこの領土に手を伸ばすことに他の貴族たちは躊躇した。
正直どの地も瘴気と跳梁する魔物…それと地域によっては森に居座るエルフとの軋轢で手一杯だったのだ。
そこに目を付けたのが当時の秘書官ヴァーブである。
彼はアルザスにパグザン家を送り込んだバクラダの西方のジェカザン公国に圧力をかけてその後釜を派遣させることを諦めさせ、自領の維持に手一杯の他の貴族に手を回し、その地域の後継をなあなあの内に宙に浮かし、空白地帯としてしまった。
正確には全滅したパグザン家が未だに統治権を所持したまま、実質的な領主を空位としてしまったのである。
アルザス王国が対処できぬ瘴気地帯の魔物をバクラダ王国が協力して掃討、そこに協力の見返りとしてジェカザン公国と縁戚関係にあるバクラダの貴族をパグザン家の後継として封入しアルザス占領の橋頭保とする…というのがその計画であった。
だが歴代の重鎮どもがバクラダの介入を良しとせず、最近はバクラダから任命された当の国王までもが彼の国に援助を求めることに消極的で、結局その土地はの主は未だ空位のまま。
そうこうしている内にそこにオーク族が村を作って急速に発展している…というのが今の現状である。
こうなるとバクラダ王国としては些か旗色が悪い。
空白地帯に跋扈している魔物やオーク族を正義の名の元に討伐する…となれば他国から兵を派遣しやすいが、オーク以外にも人が住んでいて隊商など(それも自国の商人まで!)が喜んで利用している村に攻撃を仕掛けるとなれば内政干渉のそしりは免れまい。
彼らはアルザス王国の村を標榜していないが、アルザス王国の国土にある村には違いないからだ。
事ここに至ってはいかにバクラダの貴族がパクザン家の血を引いていようと関係ない。
喩え血族だろうと所詮他国の貴族に過ぎないからである。
ゆえに秘書官トゥーヴとしてはクラスク村をなんとかして国家に反逆の意志ある危険極まりないオーク族の集落、ということにしなければならないのだ。
折角人殺しが大好きという危険な殺し屋を放ち暴れさせあの村の危険性を喧伝させるつもりだったのにその後なしのつぶてだし、せっかく手を貸してやったあの村の敵対者とやらともその後音沙汰がない。
もはやトゥーヴは自分の手で何とかするしかないのである。
「ですがこの時期になれば言い逃れはできますまい。彼らは育てた麦を国庫に納める気がないようですからな」
「それに関しては事前に誰も布告に行っていないのが問題なのでは?」
「……………」
秘書官トゥーヴの発言に対し財務大臣ニーモウがさらりと返し、トゥーヴは不機嫌そうに押し黙った。
布告に行くと言うことは逆に言うとあの集落を『人の住まう村』と認めることになる。
そうすればオーク共の集落! 危険な存在! と言い張ってバクラダ主体で攻め滅ぼすことが不可能になってしまう。
それが嫌で今まで布告を派遣することに反対していたのは他ならぬトゥーヴ本人だったからだ。
だがもはや手段は選んでいられない。
領主がいないなら現在あの地は国王の直轄地だと特例法で言い訳できる。
納税する気がないのであれば国に叛意ありと認定し、国軍が動かせる。
バクラダ主体であろうとなかろうと、ともかくあの地の邪魔者を排除しなければ。
だが他の貴族どもに手柄を建てさせるわけにもいかない。
少しでもバクラダに有利になるように、小さな寒村一つ程度己が軍を指揮して踏み潰してくれる…秘書官はそんな目論見で持論を展開している。
…さて、このあたりで各人の出身と立場を明確にしておこう。
国王エルスフィル三世の祖父はバクラダの伯爵家だが、現状は独立派である。
彼のクラスク村に対する立場は現状不明だ。
財務大臣ニーモウは商業が盛んなクリスタ王国出身の産業振興派であり、商業都市ツォモーペを統治している。
彼にしてみればツォモーペの西に位置し、街道を整え蜂蜜産業と畜産を重視して勢力を急速に拡大しているクラスク村は非常に興味深く、どちらかと言えばその発展を見守っていたい側である。
もし攻め滅ぼすとしてもせめて彼らのノウハウを全て奪い吸収した後で…程度の算段をしており、そのためクラスク村に対してなんらかの決定を下すことをなるべく遅らせようとしている。
クラスク村の味方というわけではないが処断するのはもっと遅らせるべき…というのが彼の立場だ。
軍務大臣デッスロはアルザス王国の東方にあるイゼッタ公国…戦士や傭兵を多く輩出する国だ…の出身であり、この中で珍しくバクラダ王国との国土的な関りが一切ない。
ゆえに立場としては中立で、国内のいざこざよりも国際法としての対魔族政策を重視している。
特に最近は防衛都市ドルムの西方で謎の襲撃が相次ぎ村や兵が失われており、それが魔族どもの仕業かもしれないと軍に緊張が走っていた。
その正体は顔に三日月のような傷を持つ巨人族ほどの巨大なオーク…などというまことしやか噂まで飛び交っていて、警備や見回りに王都からも多くの兵が出張っている。
ここ数カ月の間、中森付近のオーク族の討伐が後回しにされてきたのはこの騒動が一因でもあった。
一方の秘書官トゥーヴはディスティア王国出身の親バクラダ派だ。
バクラダ派ではあるがバクラダ出身ではないのである。
そもそも軍事大国のバクラダの専横を許さぬために各国が国政に己の国の出身者をねじ込んできたのだから、国王と秘書官が同じバクラダ出身のはずがない。
だがディスティアはバクラダの南に位置する国で、その国土はバクラダの一領地程度の広さしかない。
バクラダ王国の機嫌を損ねれば、いつバクラダ王国ディスティア領となっていてもおかしくない立場なのだ。
己が故国を質に取られている以上歴代のディスティアの秘書官たちは皆バクラダ寄りの立場にその身を置かざるを得ないのである。
他に王の間にいる重鎮は二人。
宮廷魔導師ヴォソフと大僧正ヴィフタ・ド・フグルだが、この二人は現在沈黙しておりその立場は不明だ。
「確かに。今や収穫の時期となった。領主がおらぬ地であればその収穫物は国へ納めるのが定め。それに反するのであればなんらかの対処はせねばならんな」
彼らが国に麦を納める、というのであれば単に新たな村が国に加わるというだけの話で全ては丸く収まる。
秘書官トゥーヴとしては噴飯物だろうが。
ただそうなるとそれ以降国の指示に従わざるを得なくなるためクラスク村の望む発展はできなくなるだろう。
もし布告に従わず麦を納めない、というのであればそれは国に対する明確な叛意であり、軍を派兵する理由になる。
いずれを選ぶにせよクラスク村にとっては望ましくない選択肢が…今や彼らの目前に迫っていた。