第231話 宮廷会議
アルザス王国の東、首都ギャラグフ。
その中心部に聳え立つのがザエルエムトファヴ城。
共通語でも北方語でも同じく『大いなる加護』を意味する言葉である。
魔族より土地を奪還し、瘴気に満ち満ちた地に建国する際、その王城には神の守護や加護を謳う名を付けるのがこの世界の習わしだ。
各国の首都の城の名を聞けばそこが元瘴気地であったかどうかがわかる程である。
アルザス王国もまたその先例に倣っていた。
その『大いなる加護』の名を冠する王城の…その居館の一角に、王の間があった。
「…このように、かの村はますます勢力を拡大し、我らがアルザス王国の国土を侵食しております。一刻も早い対処が必要かと」
秘書官トゥーヴが報告書を読み上げ、国王に上奏する。
年のころは三十代半ばくらいだろうか。
職の重責の割りに年はだいぶ若い。
線が細くその肉体には鍛えられた跡がない。典型的な文官である。
やや吊り目がちな、だが落ち窪んだ瞳から狷介で陰険な印象を受けるやや我の強そうな人物で、口元は常に不機嫌そうに捻じ曲がっている。
…話題の渦中にあるのはこの国の南東部に突如出現したクラスク村を名乗る村落である。
かの村はアルザス王国が計画することもなく、また許可を得ることもなく勝手に造られ、王国の国土をあたかも己が領土が如く開拓し畑地に変え、街道を勝手に捻じ曲げて己の村を通るように改竄し、さらには近隣の村々から人を呼び寄せては勝手に住まわせているという。
だがなによりも問題なのが…その村の住人がオーク族だと言うことだ。
戦闘的なオークどもが堂々と村を作っている…それだけでもあり得ざる脅威だというのに、その勢力をますます拡大させようとしているのだ。
今を逃すと彼らが増えに増えて手が付けられなくなってしまう。
軍隊を率いてでも今潰すしかない…というのが秘書官トゥーヴの意見である。
それを今回国の総意にせんと臨んだのがこの宮廷会議であった。
それを一段高い玉座に座り聞いているのがアルザス=エルスフィル三世。
この国の国王である。
年の頃は四十前後だろうか。王冠を戴きローブを纏ったその姿には威厳があり、顎髭を蓄えたその容姿には貫禄がある。
服の隙間から覗き見えるその肉体は鍛え上げられており、自ら剣を取って前線で指揮できるタイプの王のようだ。
未だ魔族の脅威が去っていないこの国に於いて、王にも武力が求められているのだろう。
「…フム。トゥーヴ。まずは詳細な報告御苦労であった。では今の具申に対し何か意見のある者はいるか」
国王陛下の言葉に、だがその場にいる一同は誰一人口を開かない。
迂闊に己が態度を表明すれば、意見を異にする相手と敵対する事になってしまうからだ。
…この国の重鎮は、皆近隣諸国の息がかかっている。
それは瘴気に満ちたこの地に新たな国を造る際、国王に軍事国家たるバクラダ王国の伯爵が任じられたことに由来していた。
この地を幾つもの国を攻め滅ぼし勢力を拡大し続けてきたかの軍事大国の実質的な属国にするわけにはゆかぬ。
後の世に巨大な穀倉地帯となるであろう地を彼らに与えるわけにはいかぬ。
魔族を退治した結果自分達で獅子身中の虫を生み出すわけにはゆかぬと各国は団結してこの地に自国の楔を打ち込むこととした。
結果としてこの国重要な役職はバクラダ以外の近隣各国それぞれが任命し、国王はそれを勝手に罷免できないような仕組みとなった。
いうなればこの王宮は各国のパワーゲームの縮図であり、それゆえに迂闊に意見表明することができないのである。
秘書官のトゥーヴは親バクラダ派であり、その最終目標はこの国をバクラダの属国とする事である。
だがアルザス王国のすぐ南に位置するとはいえ、両国の間は東西に長く延びる白銀山嶺が隔てていた。
ゆえにこの国を併合するためにはどうしても山嶺の切れ目であるバクラダ王国北西部かつアルザス王国の南東部…いわゆる中森近辺を橋頭保として確保しておく必要がある。
これまでオーク共に邪魔されてなかなか手が出なかった地域だ。
そこに他の何者かが先んじて村を作った。
それも当のオーク共に手によって、である。
これはトゥーヴの立場としては到底看過できぬ大問題なのだ。
「ニーモウ、そちはどう思う」
「ハ。私の意見を陛下に具申する前にもう一方意見を伺いたい方がおられます」
財務大臣ニーモウは恭しく頭を垂れてそう述べた。
ぴんと上に反り返ったいわゆるカイゼル髭を生やした四十代ほどの人物で、恰幅の良い体格をしている。
ゆったりとした服を着て誤魔化しているがだいぶ腹が出ており飽食を窺わせるが、一方でその身体には鍛えた跡が見られ、それなりに戦いの経験はあるようだ。
「誰だ。申してみよ」
「ハ。軍務大臣デッスロ卿にございます。この国の軍務は彼の管轄。まず彼の意見を伺いたいと存じます」
財務大臣のその台詞に対し秘書官トゥーヴは心の内で百遍毒舌を吐くが、表面上はおくびにも出さぬ。
「確かにな。ではデッスロ。意見を申せ」
「畏まりました」
そう答えたのは軍務大臣デッスロ。
白銀の鎧に漆黒のマントを纏った偉丈夫で、鎧の下から見える首や腕には幾つもの傷痕が見え、ひたすらに実戦で鍛えてきたのが伺える。
掘りの深い顔立ちで、髭は剃っているものの顎周りはだいぶ濃い。
その鋭い眼光はまるで鷹のようで、戦場で睨まれた相手が射竦められてそのまま落馬したと噂されるほどだ。
そんな彼が…王に問われて三拍ほど間を置いてから己の意見を述べる。
「…ドルムへの街道整備とかの都市周辺の開墾こそが急務と存じます。ドルムは魔族どもの侵入を防ぐ堅牢な要塞都市とはいえ、魔族どもが蠢く北方の闇の森に近く、未だ燻る瘴気の影響で作物の実りも決して良いとは言えませぬ。また北周りの道はいつ魔族どもに占拠されるともわからず、ここを連中に封鎖されてしまえば王都からの荷駄の足が止まってしまい、現状の開墾具合では食料を自給することが叶わず、ドルムが干上がってしまいます。どんな歴戦の勇者であっても空腹には勝てませぬ。この国の本義は魔族どもの生息地をこれ以上南に下げぬこと。何よりもそれを優先すべきかと」
「なるほど。確かにな。道理である」
国王エルスフィル三世は鷹揚に頷いた。
秘書官トゥーヴは内心苦々しげに思いながらもそれを否定できぬ。
軍務大臣たるデッスロの言っていることは確かに筋が通っているからだ。
魔族を撃ち滅ぼすこと、地底の住民の跋扈を許さぬこと、そして瘴気を晴らすこと。
この三つはこの世界の人型生物が打ち建てた全ての国家が遂行しなければならぬ共通目的である。
ゆえにそれらは『国際法』によって定められている。
あらゆる人型生物の国家が守らねばならぬと定められた、いわば国内法の上位に位置する法なのだ。
そんな軍務大臣の意見を聞きながら、財務大臣のニーモウが芝居がかった口調で滔々と自説を語り始めた。
「さてさて、慧眼たるデッスロ郷の仰る通り、国際法たる対魔族法は絶対順守にて最優先事項でございます。魔族どもの跳梁に比べたらたかが辺境のオーク族など雑事も雑事でしょう」
「デッスロ殿の仰っているのは一般論に過ぎませぬ。魔族の活動が活発になったなどという噂は入ってきておりませんぞ。一方でオーク共は勝手に村を作り! その簒奪の手を広げんとしているのですぞ。今この時も!」
ニーモウの言い分を切って捨てる秘書官トゥーヴ。
だがニーモウの方も黙ってはいなかった。
「はてさて…村を作る際に国に許可が必要だなどという法はございませんぞ?」
「だが彼らは勝手に耕地を広げております!」
「勝手に、と仰るがあのあたりは一面の荒地、誰もが耕しておらぬ無主の地ではありませんか。『瘴気法』に従えば彼らが彼らが耕した土地は彼らのものとなっておかしくはないのでは?」
「む…だが彼らが勝手に税を徴収し我らの国益を損なっているのは疑いありません!」
「村を維持するのに税は必要でしょう。それを我が国の法は禁じてはおりませぬ。私も彼らの村について興味があって多少調べましたが…かの村は関税を徴収しておりませぬ。市場税も取っておりませぬし、交通の要衝に村を作りながら通行税も徴収しておりませぬ。国に許可を得なければならぬ税を、彼らは一切制定しておらぬのです。ゆえに税制について彼らは責めれべき非を負っておりませぬ」
「ぐ…ぬ……!」
秘書官トゥーヴが二の句を告げず押し黙る。
村や街で売ろうとする商品に対してかけられる間接税。
村や街の市場に参加するために支払う市場税。
そして村や街を通行する際に支払う通行税。
これら三つの税に共通するのは村の外の者でも支払わなければならぬ、という点である。
そして村外の者から税を徴収したい場合は国に届け出をして許可を得なければならない、とこの国の法に定められている。
だがクラスク村はそうした税を全て制定していない。
村内の商店は全てアーリンツ商会のみで回しているため間接税も市場税も意味がないし、通行税は国の許可を得ずに制定すれば攻められる大義名分となってしまうため取り入れなかった。
法にも詳しいシャミルの先を見越した一手である。
ゆえに…大変困ったことなのだが。
明らかに王国に逆らう形で、危険極まりないオークどもが村落を作っているというのに……
現状、彼らを糾弾する積極的な理由がないのである。