第220話 はちみつ増産計画
森のクラスク村では現在村の代表が集まって様々な議題を話し合っていた。
参加者は現在ミエ、シャミル、ゲルダ、サフィナ、キャス、エモニモの六名。
クラスクは遅刻、ラオクィクとワッフ、それにリーパグは諸々の仕事があって手が離せず、それぞれ嫁から事情を聞くこととなっている。
まあ意見よりも実践を好むオーク共は元からこうした会合の出席には消極的であり、嫁から報告を聞いて頷くのみといったことも多いのだが。
ミエの息子クルケヴ、双子の娘ミック、ピリックは乳母のマルトが預かり、現在広場で村の娘達に全力で可愛がられている。
つまりクラスクがいない今回、この村の運営は全て女性によって回されているわけだ。
かつてのオーク族の常識からは考えられないことである。
「とゆーわけで商売の方は順調も順調。販路もガンガン拡大してるニャ」
アーリンツ商会の売り上げについては文句の付け所がないレベルで順調である。
「提携先の商会たちも各地で暴利を貪ってはいないみたいニャし、今のとこ手綱は万全てとこニャー」
「わしはその『各地の様子』とやらをお主がどうやって知り遂せておるのかの方が気になるがのう」
「ニャッハハハハ! それは企業秘密って奴ニャ!」
各地の商人達の業績や黒い噂など、アーリには妙にそうした事情に詳しいところがあった。
ミエに頼まれた縁で懇意となった吟遊詩人達のネットワークを活用しているのは間違いないようだが、どうもそれだけではないようである。
ただその情報源について、アーリは未だ他の者に明かしたことがない。
「ただしこれ以上手を広げるなら商品不足が深刻になるニャア」
「ですねえ…」
なにせ蜂蜜関連の品は貴族垂涎の希少かつ高品質なものを庶民に手が届く価格帯でお出ししているのである。
試供品などでその品質を知った庶民はこぞってはちみつオークの商品を求めるようになった。
…のはいいのだが、なにせ産出元はオーク族のそれも一部族に過ぎない。
無人の野を行くが如く需要を開拓することはできても供給が追い付かないのである。
なによりこの村の主力商品はその生産方式と設定価格の問題で後追いの業者が生まれない。
競合他社が増えないのは独占商売として理想的ではあるのだが、逆に言えば増えた需要をフォローする供給が自助努力以外に存在しない、ということでもある。
現在オーク式重箱を三つに増やして対応しているがそれでも品薄である。
これ以上徒に販路を広げれば供給不足で顧客の不満が高まりかねない。
「商売として考えるニャら品薄を演出して値を吊り上げるって意味では今の状況も悪くニャいんだけどニャー」
「私達は商売自体が目的ではありませんしねえ…はいサフィナちゃん!」
びし、と挙手をしたサフィナをミエが指名する。
「おー…これ以上この森で蜂さんを増やすと蜂蜜の質が落ちると思う…」
「…やっぱり?」
ミエの言葉にこくこくと頷くサフィナ。
「うーん…今後のことを考えるとそろそろ動き出すべきですかねえ」
「ん…? またミエがなんかヤベエことを考えてんのか?」
「やばいことってなんですかゲルダさんやばいことって!? そうじゃなくてこう…うちの森でこれ以上巣箱を広げられないなら他に作らないといけないのかなって」
「他…? つーても巣箱作るにしたってこの近くに他に大きな森とかあったか?」
「いえですから…森を作ろうかなって」
「森」「を」「つくる」
ミエの台詞に一同が硬直する。
「はい。耕地を広げていけばいずれ北の荒野に進出せざるを得なくなりますから、そこに蜂の住める森を幾つか作って、その周りに花畑を作って、その近くに採蜜と加工するための村を作って…ってできたらなあって。ちょっと気の長い話ですけど……」
そこまで言い終えて、ミエは周囲がやけに静まり返っていることに気づき言葉を切った。
「え? あれ? 私なんか変な事言いました…?」
「それはなんじゃ。木の苗を植えてこう…森を育ててゆこうとかそういうことか」
森は女神イリミの象徴そのものであり、この世界の森とは即ち世界樹より分かたれた彼女の分身でもある。
だから森というのは『そこにある恵みを享受する』というのがこの世界の住人にとっての常識であって、『なにもないところに人工的に森を作る』なぞという発想自体がそもそも存在しないのだ。
それについては単に信仰上の理由だけでなく、この世界の時代性の問題もあった。
国土に比べてこの世界の人口はまだまだ少なく、開発規模も小さく、それに比すれば森林をはじめとした大自然は広大であった。
森に住まうエルフ族のとの軋轢こそあったけれど、それでもなお森資源が不足したり枯渇したりするケースはこれまで殆どなかったのだ。
女神の加護なのか森林火災などが発生するケースもほとんどなく、あってもエルフの保護で木々が自然に持ち直すのを待つのが主で、これまで人工林などを作る必要がなかったし誰も試みる者がいなかった、というのも大きな理由である。
「はい。森の女神さまがいるのはキャスさんやサフィナちゃんに聞いて知ってますけど、別に森にオークが住んでても天罰とか下ってないですし、別に森を増やしても怒られないんじゃないですかね?」
一方でミエのかつての世界に於いて、彼女の出身地は木を大量に消費してきた文明圏であった。
かつては建築物の殆どが木造だったし、乱伐によって山を幾つも禿させた時代もあって、その都度植林などが励行されてきた。
自然と人里の合間に成立する伐採と植樹を前提とした山林を『里山』と呼んだりするように、人工的に樹々を手入れし林や森を作るのは彼女にとってむしろ常識的な感覚なのである。
「森が足りんから作る、の発想はなかったの…」
「え? ないんですか」
「あってたまるか。で、どうなんじゃ。せっかくエルフがおるんじゃから意見を聞きたいところじゃが」
シャミルに意見を求められたキャスとサフィナは少し考え込む。
「私は構わないと思う。人間の街で育った私はエルフ族については聞いたこと学んだことしかわからないが、少なくともこの地方のエルフ族の法や禁忌に触れることはないはずだ」
「おー…神様おこんないと思う。たぶよろこぶ」
「深緑の巫女に言われると説得力があるのう」
「えっへん?」
ゲルダの上で小首を傾げたサフィナは、彼女の頭の上に腹ばいとなってミエの方向に身を乗り出した。
「お花畑、増える?」
「増えます増えます。あちこちにお花の村ができます」
「おー…」
きらきらと目を輝かせたサフィナが、ばたばたと両手を振って喜びを表した。
「サフィナね、植物の妖精さんに話しかけるのできる。お願いすれば森ちょっと早く育つ」
「本当ですか!? それは頼もしいですねえ!」
両手を合わせて破顔するミエを見て、サフィナもまた嬉しそうに笑った。
ただ…反対はしないまでも、なぜかシャミルは少し渋い顔をして考え込んでいる。
「じゃあ先の長い話ですので候補地の選定と植林の試験だけは早めにやっておくとして…しばらくは倉庫の在庫でもたせるよう努力しましょう。他には?」
「アーリとしてはそろそろはちみつオークブランドのラインナップを増やしたいニャ」
話題が変わったことでアーリが素早く己の意見をねじ込ませる。
「ラインナップ?」
「ニャ。今外の方のクラスク村はどんどん拡大してるニャ。特に冬をまたいでも家畜の数を減らさなくて済む混合農業は定期的に肉を供給できる画期的なシステムニャ」
「まあまだ実際に冬は越してないんですけどねー」
「できるはずニャ! だから今後は酪農と食肉も商品にガンガン入れてくべきニャ!」
拳を握り力説するアーリにはつい先刻外で腹を見せながら服従のポーズを取っていた面影は欠片もない。
ついでにその後両手で顔を覆い隠してうにゃんにゃんにゃんと耳まで赤くして恥じらっていた姿も当人的にはなるべく早く忘れてほしい事だろう。
「う~ん…確かに農作業にもうちのオークさんが従事してますし、はちみつオークの名を冠しても問題なさそうですねえ」
「ニャ! とりあえず今試験的に販売してる干し肉やハムやソーセージの出荷量を本格的に増やしたいニャ。あとはバターやチーズニャンかも! 野菜と牛乳は…うちの村には聖職者がいないからニャア」
「ですねえ。〈保存〉の呪文っていうのがあればお野菜どころか生肉の出荷とかも可能になるんですが」
アーリとミエが嘆息する。
この村には教会がなく、当然そこにいるはずの聖職者もいない。
なにせこの世界の聖職者の成り手には女性が多い。
オークの村に好んで来てくれる奇特な者はまずいないだろう。
「そも聖職者は神の仕えるのが本義じゃ。そういう用途の呪文を知っておったとして、商業ベースに協力してくれるとは考えん方がよかろ」
「そうでした」
なかなかに何もかも上手くはいかないものである。
むしろ今が想像より遥かに順調な方だなのだが。
「あとは…この村の観光地化ですかねえ…」