第209話 新たなる村人
「どうしましょうねこれ」
「言わんでくれわし最近胃が痛いんじゃ」
城砦を築き村の防衛力を高め襲撃や出兵に備える…それは森の外に出る時クラスクが出した最低条件である。
ゆえに村を作る際にもそれを鑑みて候補地を選定する…はずだった。
だが人間族の棄民達に対する扱いがクラスクの怒りを買った結果、なし崩し的にこの地が彼らの村として決定されてしまった。
そのこと自体は別にいい。
族長のクラスクが決めたことである。
また前述の通りここに村を作るメリットは十二分にあった。
周囲に広がっていた荒地は入植によってすぐに草原に変わり、その後混合農業のための正方形に区切られた広汎な農地や牧草地へと姿を変えた。
オークがいたせいで滞りがちだった近辺の街道の整備はそのオークのお陰で進みに進んだ。
農耕、畜産、そして経済的には非常に有利な立地条件だったと言える。
だが…こと城塞化という点に於いては、この村は非常に不利な場所にある。
南に森、それ以外の方角に草原…その先に瘴気の浄化が進んでいない荒野が広がっているこの地は、東の山岳地帯と西の丘陵地からはかなり離れていた。
城壁として使用する石は基本的に石切場で切り出さねばならず、石切場は当然岩場に作られる。
その岩場がこの村の近辺に作れないのだ。
そしてそこから切り出した石材を運搬し、積みやすい大きさに削り出した上で並べてゆかなければならないのだが……
これがオーク族とは致命的に相性が悪い。
オーク達が嫌がったり忌避したりすることが幾つかある。
一つ、直接的な戦闘や女性に関りのないこと。
二つ、時間や手間がかかるもの。
三つ、すぐに成果の出ない地味な作業。
石材造りはこの三つ全てが当てはまる。
厳密には要塞を作れば戦闘では有利に立てるけれど、彼らは攻めるのが大好きで守りは性質上あまり好まないし、追われた時の撤退戦などは得意でも籠城などはあまり経験がない…というかそもそもそうした場所を築かないし利用もしない。
結果として半年あまり経過しても城壁の進捗は全くと言っていいほど進んでいなかったのである。
ただし…同時に、奇妙な状況がこの村に起こっていた。
「半年もあればもうとっくに攻め込まれてるものかと思ったんですけど…」
「わしも政治的には上げ足を取られぬよう色々と手を尽くしてはおるにはおるが…少なくとも今がこの村に攻め込む好機だと思うんじゃがなあ」
そう、この半年…なぜかこの村は一切襲撃を受けていなかったのだ。
そもそもこの村は襲われる危険が低くはあるのだ。
まずクラスクを族長とする中森部族の縄張りの中ほどに位置しているため、山賊や野盗といった連中が出張ってくることが殆どない。
仮に彼らが村を見つけたとしても、そういった連中は強い相手に挑戦することが目的ではなく、弱い相手からむしり取るのが生業である。
門番がオーク族であるこの村を、わざわざオーク達と命がけで戦ってまで襲撃しようとは思わないのだ。
次に気を付けるべきはこの近隣で強い勢力を誇るオーク族だが、彼らのうち有力な部族はみな北原部族の族長代理たるゲヴィクルの仲介の下、中森部族と不可侵協定を結んでおり、これまた脅威になり得ない。
またオーク族の勢力が強いお陰で他の種族が追いやられ、或いは駆逐されているため、コボルトや野良のゴブリン、巨人族、蜥蜴族、その他狼などの野生動物に襲われる危険度も低い。
つまり以前ミエが言った通り、この村は『一般的な襲撃』の危険度が非常に低いのだ。
だが…だからと言って決して安全なわけではない。
それが目下この村の二大脅威として危惧されているもの…すなわち黒エルフ率いるゴブリン軍団との再襲撃、そしてアルザス王国正規軍の派兵である。
特に国軍の派遣はアルザス王国の領土内に勝手に村を開き、あまつさえ支配も受けなければ納税もしないという身勝手な振る舞いをしているのだからある意味覚悟して然るべきと言うか、来ることを前提として動くべきだろう。
「まあそういう場合でも普通は書状を送ってくるなり徴税吏が派遣されるなりなんなりで恭順を求めて来るものじゃがな」
「…そういえば国からのお手紙とか使者とかも来ませんね」
「明らかに非はこちらにあるでな。わざわざこちらに警戒させる愚を犯してまで宣戦布告を書状にしたためはすまい」
「なるほどー…でも降伏勧告とかそういうのも来ないものなんですかね」
村の中心部に向かいながら言葉を交わす二人。
「一度でも交渉を持ち掛けて『国が交渉を望んできた』とこちらが喧伝するのを怖れておるのやもしれん。向こうとしては早急にこの村を攻め滅ぼしてこのような村は一時の気の迷いじゃったと片付けるのがもっとも理想的な解決法じゃろうしな」
「…じゃあなんで攻めてこないんでしょう」
「わからん」
結局そこに帰結する。
なぜ半年もの間彼らは攻めてこなかったのだろう。
「だいぶバタバタはしてるみたいなんですけどねえ」
「誰からの情報じゃ」
「吟遊詩人さん達から。あとはその情報の補強に酒場でクハソークさんとトニアさんにさりげなーく旅の商人さん達から聞き出したりとか」
「案外しっかり集めとるの」
そう、以前のように村に引きこもっていた頃とは違い、外との繋がりを持った今彼らは外の情報網を利用することができた。
『はちみつオーク』の看板を掲げている限り商人の多くは協力的だし、各地の吟遊詩人はこの村を訪れれば酒が飲める仕事がもらえるとかなり友好的である。
宮廷に呼ばれることもある吟遊詩人たちの情報網は結構馬鹿にできないのだ。
「軍事的な動きがどうかまではわからないですけどなんか王宮の兵士や騎士にゴタゴタした動きがあって…ただどうも相手はうちじゃないっぽいんですよね」
「とするとその仮想敵の存在がわしらに矛先を向けられん要因かもしれんな」
「だといいんですけど…」
ふう、と二人で溜息をつく。
現在村で最も心労の絶えない二人である。
「まあ国軍の問題はよしとしよう。わしらの防備が整わぬうちに攻めてこぬ理由こそわからぬが、少なくとも派兵が決まれば今のように噂は集めやすいじゃろうし、その分対処もしやすかろう…まあ城壁の進捗はこれ以上あがりようがないゆえ、必要なのは対処というより覚悟じゃろうが」
もっとも国が本気の本気でこちらを攻め滅ぼさんとしてくるなら多少時間があったところでどうしようもないだろう。
北方に魔族が蠢いているこの国に於いて、この村にはまだ全勢力を傾けるだけの価値がないのが救いである。
「問題は黒エルフどもの方じゃ。なぜ襲って来たかもいつ襲ってくるやも未だに皆目見当がつかん。こんなに間を空ける理由もさっぱいじゃ」
「諦めてくれたとかそういう話は…」
「ないじゃろな。そうでなくば頭領が逃げ出しはせんじゃろ」
「はあ…そういうものなんですか」
ミエ的には作戦が失敗に終わって自分が生き延びられたならそのまま余生を過ごすのも悪くないと思うのだが、どうにも相手はそう思ってくれないらしい。
「あら、ミエ夫人、こんにちわ」
「あらエッゴティラさん、お世話になっておりますー」
すれ違いざま、村の住人と挨拶する。
やや恰幅が良くふくよかな、それでいて上品で人好きのする感じの女性である。
年齢は二十代後半くらいだろうか。
他の村人に比べ、妙に服装が小奇麗できらびやかだ。
「亭主ともどもいつもお世話になっております。今度針の使い方教えてくださいね」
「ええ、ええ、いいですとも! ミエ夫人は手先が器用でいらっしゃるからきっと上達も早いですわ」
エッゴティラは服飾の職人であり、彼女のお陰でこの村の衣服事情は大幅に向上した。
やや派手目に見える彼女の服装も彼女が縫製の職能を有していることの主張と喧伝であり、いわば自分自身を広告塔にしているようなもので、この世界では別段珍しいことではない。
ただ…女性の職人、というのはかなり珍しい。
この世界、そしてこの時代においては、喩え女性用の服飾であっても男性が仕立てている事がほとんどである。
職人には職人達の互助組合……いわゆる『ギルド』があり、そこの構成員も当然全員男性。
そしてそれは同時にそうした組織が男性的価値観で運営されている、ということも意味している。
彼女はここより東にあるツォモーペという商業都市出身で、幼いころから服飾の仕事に憧れていた。
だが上記のような事情で手に職をつけてもなかなか独立が認められず、強引に独り立ちしても仕事が回されることはなかったという。
悩んでいる時に聞いたのが…この村の噂である。
信じがたいことだがなんとオーク達が作った村で、彼らが自らの種族に少ない女性を募集しているのだという。
しかも最近街で流行っているあの『はちみつオーク』ブランドの化粧品の生産元でもあると言うではないか。
そこで彼女は悩み、そして思ったのだ。
せっかく職人としての技術を磨いたのに人間の街で一生涯下働きをするくらいなら、いっそ女性を大事にするというそのオークの村に行った方が望む仕事ができるのでは…?
そう、彼女は…この村が誕生してから新たに加わった住人なのである。
こうした彼女のようないわば『流入組』…そして流入希望者の増加が、この村に新たな活気と……そして新たな問題をもたらしていた。
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