第21話 そして初めての夜
「さ、どうぞ!」
「草食ウノカ…」
オーク族は飢えたときでもなければ滅多に菜食することはなく、またそういう時は大概背に腹は代えられず生で齧ってアルコールで流し込むような食べ方をするため菜食にあまりいい印象がない。
けれどその料理は鍋の向こうで嬉しそうに、だが恥ずかしそうに椀を差し出してくる娘が一生懸命作ったものだ。
そんな彼女の必死さと緊張感はあたかも戦場さながらで…クラスクは眉根を寄せながらもそれを受け取り、黙って口にした。
「…ウマい」
「本当ですか!? よかったあああ…!」
へなへなと体中の力を抜くミエ。
相当緊張していたのだろう。
だが確かに美味い。
肉の味がスープと野草に染み出して旨味が増しており、オーク族のクラスクでも舌鼓を打っておかわりをした程だ。
ミエにとっても自分の料理が夫に受け入れてもらえたのは朗報である。
生肉は確かにビタミン補給に有効ではあるが同時に細菌が繁殖したりすることで感染症の危険がある。
ふだん生肉を食べ慣れていないミエにはリスクの高い食事法だった。
だが鍋なら菜類を無理なく入れられるし、水溶性のビタミン類も汁を飲むことで無駄なく摂取可能だ。
『食事』というこの世界で生きていくうえで最低限のハードルは超えられたのではないだろうか。
ミエはほっと胸を撫でおろし、自身も食事を口にした。
体中に充足感が広がってゆく。
なにせこの世界に訪れて初めての食事である。
クラスクの腹だけでなく、彼女の肉体もまた食事を欲していたのだ。
× × ×
「そっか…水が自由に使えないから鍋を洗うのは明日の朝のがいいのかな…」
当たり前の話だが蛇口をひねれば水が出るような世界ではない。
洗い物をするにも水を汲んでこなければならぬのだ。
ミエは己のやるべきことの多さに気を引き締め、だが同時にやりがいを感じていた。
病床生活が長かった彼女にとって。身体を動かすというのはそれがなんであれ強いモチベーションとなるようだ。
さて食事の後片付けをするミエの背中…その腰回りや揺れる臀部、スカートの下から漏れ見える健康そうな脹脛を眺めながら、クラスクは今更ながらに己が今日為すべき本来の仕事を思い出す。
そう、一体何のためにこの娘を攫ってきたのか、連れてきたのか。
それを当人にわからせ、その肢体に知らしめなければならぬ。
「おい」
「ひゃっ! ひゃいっ!?」
椅子から立ち上がったクラスクの声に過剰に反応し、皿を取り落としそうになるミエ。
わたわたと皿を持ち直し、身じろぎする背中。
朱に染まっているうなじ、そして耳朶。
首筋に伝う汗は緊張の表れで…だが決して恐怖のそれではない。
その反応でクラスクはその娘がこれから起こるであろうことを察していることと、そしてそれを拒絶していないだろうことを理解した。
(ナンデダ?)
わからない。
わからない。
その娘の様子はこれまでに聞いた仲間や先輩達の話す女達のありようとまるで違う。
彼らは暴れる娘を押さえつけ、暴力で黙らせ、縛り、鎖で繋ぎ、舌を噛もうとする女には猿轡を噛ませ、激しく恫喝することで恐怖を煽り、体を無理矢理奪って心をへし折って、その手練で肢体に快楽を刻み込んで見事服従させたのだと自慢げに語っていた。
だから当然クラスクも自分がそうするものだと、そうするべきだと信じて疑わなかった。
…今日までは。
そう、その女に会うまでは。
だがそうはならなかった。
なりそうになかった。
己が攫ってきたはずのその女はまず逃げ出そうとしないし、突然家を綺麗にしはじめるし、こちらの晩飯まで用意して、まるでクラスクと共にあることが当たり前であるかのように振る舞っている。
おかげで暴力を振るう必要もなければ縄で縛る必要もなく、彼女は未だ野放しのままだ。
言葉が通じるから?
無論それも大きいのだろう。
けれど彼女はこちらがわざわざ命令しなくとも、いやそもそも何も言わずとも自分から離れようとしないのだ。
一体全体この娘は何を考えているのだろう?
ともあれ今日は最後まで彼女を鎖で壁に繋ぐ必要だけはなさそうで…
そして何故か、そのことに少しだけ安堵している自分にクラスクは驚いた。
「あ、あのっ!」
「うン?」
その女の態度と自分の感情がよく理解できず首を捻るクラスク。
そんな彼の前でミエは意を決したように振り返り、真っ赤な顔で上背のある彼を見上げた。
「あ、あのっ! わ、わわ私っ、こ、こういうことはっ、は、初めてなのでっ! その…っ」
上目づかいで、潤んだ瞳で、だが上気した頬で。
彼女は、蚊の鳴くように小さな声で囁くように懇願する。
「で、ですから…その、や、優しくしていただけると…その…う、嬉しい…ですっ」
「大丈夫ダ。俺も初めテダ」
「ふぇっ!? そ、そうなんですかっ!?」
「心配すルナ。オークは戦うノト同ジくらイコッチもスゴい。任せロ」
特に意味もなく彼女は夫が経験豊富だと勝手に勘違いしていた。
けれどその認識は、ことオーク族に関しては当たらずとも遠からずである。
オーク族は繁殖力が強く、また感度や性感帯の異なる多くの異種族と交配し子を為すためにその技術が本能レベルで磨き上げられているのだ。
ゆえにオーク族には童貞ゆえの失敗、とか初めてだから下手糞、などという人間族の常識は通用しないのである。
おのれオーク族。
「わ、わかりました! でも、そっか、初めてなんですか…」
ぽぽぽ、と頬の赤みをいや増して、ミエが恥ずかしそうに俯く。
「初めテデも問題ない。俺ハ強イ」
なにやら彼女に初心者だと舐められたような気がして、クラスクは少し不機嫌そうにミエの腕を掴んだ。
だが…その彼の手を、ミエはそっと握り返して、
「いえ…その、お互い初めてなんて嬉しいですっ! 旦那様…あの、初めて同士、お互い頑張りましょうね!」
恥ずかしげに、けれどとびっきりの笑顔で微笑んだ。
…ミエのスキル≪応援≫が発動する。
その晩、二人は…
めちゃくちゃ、がんばった。