第203話 閑話休題~とにかく可愛い~
これは…今より少し前、北原の族長代理ゲヴィクルが、クラスク達と同盟を結んだ少し後の話…
「ニャー! 押すニャ! ちょっと待ってニャァァァァァァァァ!!!?」
ずどどどどどど…とアーリの荷馬車に群がる村娘ども。
奪い合うように商品を見繕う者、狭い隙間にするりと入り込み物色する小人族たち、飲み込まれる獣人の店員ども。
あたかもタイムセールの始まったスーパーさながらの勢いである。
「オ、落チ着クダ! 御夫人方! 落チ着クダ!」
「お、押さないで…しなもの、ちゃんと伝票、書いてk…むぎゅ(ぷちっ」
「サフィナァァァァァァァァァ!?」
必死に荷馬車を守ろうとするワッフとサフィナだったが、雑踏に揉まれ飲まれ遂にサフィナの姿が消える。
悲鳴を上げるワッフ。
「何しテル」
修羅が如きその喧噪を収めたのは…後からのっそりやってきた族長の一言だった。
「あら、族長さん…」
彼が放った、怒気を孕んでもいない、ただ尋ねるような静かな一言。
ただその一言だけで群がっていた女性達がしんと静まり返った。
足音と、大声と、雑踏と。
戦場さながらの大音声の中、彼の声は不思議とよく響き、耳に届いた。
彼の獲得した≪カリスマ≫の効果である。
本来同族にしか通用しない彼の≪カリスマ≫は、ミエの≪応援≫の力により人型生物全般へと届くようになっていた。
「ワッフ、お前が受け取っテから配レ」
「ハッ、ハヒィ!」
ずびし、と気を付けのポーズとなり固まるワッフ。
「…アトこれはお前ノカ」
「むぎゅ(ぷらーん)」
「サフィナァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」
そしてクラスクが地面から摘まみ上げたエルフの少女らしき物体に悲鳴を上げる。
「いやー…助かったニャー…」
ワッフが若いオーク達と共に荷物を運び、その横でサフィナが注文伝票と突き合わせ羊皮紙…もとい猪皮紙に書きこんでゆく。
村の娘…主婦たちがサフィナの肩を叩き、声をかけ、自分達の取り分をさりげなく主張していった。
「前来タ時ハこんな騒ぎじゃなかっタ」
「前回はミエがいてくれたからニャー」
「アア…」
そういえば前回まではミエが率先して仕切ってくれていたが、今回は珍しく一番乗りをしていない。
「この前連れてきタウマイ肉の世話でもしてルのか」
「馬のこと肉っていうのやめるニャ」
クラスクが周囲をぐるりと見渡すが、どうやら彼女の嫁は広場には来ていないようだ。
「そんなにミエのことが気になるかニャ?」
「気になル! いつも気にしテル! イナイの困ル!」
「本気で嫁の事好きだニャー…」
一気に捲し立てるクラスクにアーリが呆れ顔でツッコむと、クラスクが真顔で答えた。
「好きダ。大好きダ。愛しテル」
「ニ゛ャ゛…ッ!」
ただ問題は…それをアーリに向かって間近で、真剣な顔で言い放ったことで。
アーリは一瞬己に言われたのかと思ってぼっと顔を朱に染めた。
「そ、そーゆーのは他人の前で迂闊に言うもんじゃないニャー!?」
自分に対しての言葉ではないと理性ではわかっていながら、それでも心臓をばくばく鳴らしつつアーリが叫ぶ。
なにせクラスクはその≪カリスマ≫のスキルの影響か、物腰も随分と紳士的になっており、異種族にもその誠実さや魅力がダイレクトに伝わるようになっていたのだ。
「そうイうものなのカ。外の連中のヤリトリは難しイナ」
ふむ、と少し考え込むクラスク。
「だいたいそんな愛の告白毎回してるニャ?」
「しテル」
キリっとした表情で堂々と言い放つクラスク。
ミエにしてみれば妻冥利に尽きるのかもしれないが。
「もっとこう…砕けた言い方とかだニャ」
「例えばドんな言い方あル」
「そうだニャー…」
× × ×
ほう…と少し上気した顔のミエが自らの腹を撫でる。
その手つきには何とも言えぬ労りと愛情が見て取れる。
彼女は自宅にいた。
つい先刻シャミルがニヤニヤ笑いながら家を出て行ったところだ。
(最近の体調の悪さがまさか、まさかこんな…)
シャミルからその理由を聞いたとき、心臓が止まるかと思った。
無論望んではいたことだけれど、待ち焦がれていたことではあるけれど、まさか、まさか本当に、本当にそんなことが自分の身に起こるだなどと思ってもいなかったのである。
だってまさか…まさか自分が、自分が愛する人との子を授かるだなんて。
かつての世界の己の体…
病弱で貧弱で骨すら浮いていた、大人にすらなれぬと言われていたあの弱々しい肉体。
当然子作りどころではなく、自分が生き永らえる事に汲々としていた。
だから結婚も恋愛もずっと諦めていた。諦めきっていた。
それが…どうだろう。
この世界に来て、クラスクに告白されて、結ばれて。
その後その人の事を日毎好きになって、愛し合って。
そして遂に夢だった我が子まで授かることができたのだ。
こんな幸福あっていいのだろうか。
こんな幸せを本当に自分が味わっていいのだろうか。
(やだ…どうしよう。顔が真っ赤…!)
嬉しさと同時に夫への想いがとめどなく湧き上がってくる。
クラスクが外出していて少しだけホッとした。
もし、もし今彼が側にいたら、隣にいたら、幸せ過ぎてどうにかなってしまうかも…
「ミエェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!!」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
どんと扉を開けてクラスクが家に飛び込んできて、ミエは思わず飛び上がる。
どっどっどっどっと脈打つ鼓動を制御し得ず、真っ赤になった顔でキリキリと夫の方に振り向いた。
「だ、だ、旦那様? あ、あの、あの…っ」
どうしよう。
どうしよう。
胸の動機が止まらない。
頬が赤らむのを止められない。
汗がとめどなく溢れて、幸せがそれ以上に溢れてくる。
言わなくては。
告げなくては。
誰よりも二人の間の子を待ち望んだ夫なのだから…!
「ミエ! 聞イテくレ!」
「ひゃ、ひゃいっ! な、なななんでしょうかっ!?」
やけに興奮しているクラスクに気圧されて、ミエはしどろもどろに受け応える。
「俺さっき聞イタ! ミエ小さイ! 守りタイ! そうイウ相手ぴっタりの言葉あル!! 俺知っタ!!」
「は、はあ……え、ええっと……つまり?」
よくわからぬまま、とりあえず夫の言葉に頷くミエ。
クラスクは…そんな彼女の挙動不審な様子に気づかず、がっしと彼女の両肩を掴み、見つめ合い、真顔で呟いた。
「ミエ…カワイイ!」
「…ふぇっ!?」
一瞬言われた言葉が理解できず、
次に理解したことで妙な声を上げ、
その次に首元から耳先までみるみると真っ赤に染め上がる。
「イイ言葉聞イタ! ミエカワイイ! ミエカワイイ! ミエ最高ニカワイイ!!」
「ひゃっ?! やっ! だ、だめっ!!」
元々多幸感から上気していた彼女は、恥ずかしさのあまりくらくらと眩暈がして、なんとか己を保とうとじたばたもがきクラスクからその身を離そうとする。
だが彼女の肩をがっしと掴んだクラスクのた両腕がそれをさせてくれぬ。
力強い腕。
逞しい胸板。
間近に見える凛々しい顔(ミエ調べ)。
あまりの恥ずかしさに思わず面を伏せて、上目遣いにちらりと彼を見上げた、そんな時…
「恥ずかしがるミエ、カワイイ」
真顔で、そんなことを囁かれてしまった。
これはダメだ。
耐えられない。
耐えられっこない。
幸せから幸せのコンボをこれでもかとありったけ叩きつけられたミエは…
遂に耐え切れなくなって目を回してその場に崩れ落ちた。
「ミエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッテ!!??」
それは……オーク族の語彙に『カワイイ』が加わった日。