第198話 会いに来た
ぶん、と背後から突然突き込まれた不可視の刺突を避けようとし、だがギリギリかわせぬと悟ったキャスは鎧の肩当でそれを受け、上方向にその見えぬ攻撃の軌道をずらす。
感触からして飛び道具ではない。
肩に当たった手応えから間違いなく刃の先に持ち手がいる。
キャスはコマのように回転しながら己の細剣を薙ぎ払うように放つが、相手の方が一瞬早く後方に跳び退り、そのまま草むらの中に消えた。
姿を消しているからといって別に幽体のように物体をすり抜けられるわけではない。
消えているのはあくまで見た目だけである。
ゆえに草むらへと飛び込んだその姿なき相手が掻き分けた草の幅から相手のおおよその体格は見て取れた。
おそらく人間大の相手…二足歩行の人型生物と見て間違いないだろう。
だがその足音は一切しなかった。
草を掻き分ける音すら吹き抜ける風音以上には聞こえない。
相当な練度の忍び足である。
そしてその直後、相手が草むらの中へと消えたその位置から右の方角より燃え盛る炎の棘がキャス目がけて三本飛来した。
炎の精霊魔術、〈炎の矢〉である。
(早い…! ≪音声省略≫しながら呪文詠唱しつつもうあの位置に……!?)
〈風巻〉の呪文が生きていれば或いは剣で弾きながら反撃できたかもしれないが、先程既に必死の状況を突破するために剣に纏った風は解放し、消費してしまっていた。
(不味いな。これではジリ貧だ…!)
相手の攻撃をなんとか凌ぎ、致命傷は避けているけれど、相手の姿が見えないことも相まって対応が常に後手後手に回ってしまっている。
キャス自身も魔術の心得はあるけれど、相手に比べたら使える種類も魔力もずっと少ないのだ。
この戦況に於いて、その少ないリソースを身を守るために浪費し続ける今の状況は正直言って大変宜しくない。
キャスは〈炎の矢〉を防ぐ手段がなく、そのまま横っ飛びに避ける。
だが…畳みかけるように投擲された漆黒のナイフが三本、彼女が避けようとした丁度その先に向けて放たれた。
いわゆる攻撃を「置かれた」状態である。
(魔術の詠唱直後に投擲……ッ!?)
不可能とは言わないが、これまた相当に高度な連携である。
キャスは直前の〈炎の矢〉を避けるのに必死で態勢が整っていない。
これでは呪文の詠唱ができない。
詠唱の多くは身振り手振りなどの動作も必要も要素だからだ。
これはかわせない。
鎧でも防ぎ切れない。
あとは運任せに鎧が弾いてくれることを祈るのみだが、この練度の相手の攻撃がそれを許してくれるとも思えない。
一瞬観念したキャスは目を閉じて…
次の瞬間、目の前の草叢からにゅっと突き出された手に腕を掴まれて強引に引っ張り込まれた。
どんと強くぶつかったのは大きな胸板。
手を引いてくれたのは太い戦士の腕。
そして目の前に…頼もしいオークの顔があった。
「会イに来タ」
「~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
抱き締められ、そんな言葉を呟かれ、一気に顔が紅潮する。
「ク、クラスク殿! い、今はそ、そのような…っ!」
「? お前が会イに来い言っタ」
「あ、う…っ!」
言った。
確かに言った。
間違いなく自分の口から出た発言である。
思い出すと同時に自らの勘違いが猛烈に恥ずかしくなって、キャスは己の額をクラスクの胸にごつんと頭を打ち付けた。
(そのようなことにうつつを抜かしているのは私の方ではないか…っ!!)
「…よくワカランが、疲れテルのカ?」
クラスクは首を捻りつつ。ぽむぽむと胸元にあるキャスの頭に手を乗せ、軽く撫でっつける。
ぼっ、と顔に火が付いたように真っ赤になるキャス。
ついいらぬことを考えてしまう。
この大きな胸の内、できれば、このままずっと…
「って戦場で何を考えてるのだ己はぁっ!!」
ばっとクラスクから身を離し、そして同時に後方に向かって全力で走り出す。
クラスクもすぐにそれを追い並走した。
直後に彼らがいた場所を光霊の散弾が薙ぎ払う。
「そう言エバナンデ俺呼んダ!」
走りながらクラスクが問う。
「その前に! お前は! 大丈夫なのか!」
「何がダ!」
「その体だ! 傷だらけではないか!」
そう、クラスクの体には幾つもの真新しい傷痕があった。
無論オーク族なので元から傷の多い体ではあったけれど、今回の敵が使う刃物にはおそらく全てに毒が塗ってある。
その証拠を示すかのように、彼の体は何カ所も不気味なほど紫色に腫れ上がっていた。
「大丈夫! 毒抜いテ止血シタ!」
「よくそんな隙があったな!?」
走りながら、かつ敵の攻撃を避けながらの会話なのでどうしても互いに叫び怒鳴るようなやり取りになる。
キャスの疑問に対し、クラスクは斧を持った己の右腕を横に伸ばすと、左手指でちょんちょんと傷口を差し示す。
右腕上腕部が見るも痛々しい程に腫れていた。
「フンッ!」
クラスクが気合を入れるとその右腕が恐ろしい程の筋量で一瞬みち、と肥大化する。
それと同時に傷口から毒々しい黒い血がびゅうと噴き出した。
「こうしテ毒抜イタラ後は筋肉デ血止めすル。戦イ終わルまデこれデ大丈夫」
「無茶苦茶だー!?」
ふんすと鼻息荒く得意げな顔のクラスクに思わず真顔で突っ込むキャス。
だが彼の言う通りその傷口は見る間にめちめちと盛り上がる筋肉によって塞がれ、出血が止まる。
毒はその毒性そのものも脅威ではあるが、仮に死なずにすんだとしても治療や手当に手間や時間を取られてしまう点が厄介なのだ。
それを応急とはいえ立って走りながら済ませてしまえる彼のやり口にキャスは半ば呆れてしまう。
オーク族の耐久性と言うのはかくも異常なものなのか、と。
だがキャスは少々誤解している。
こんな芸当オーク族だとてそうそうできる者はいない。
夜毎に行われたミエの≪応援≫によって圧倒的なタフネス獲得したクラスクならではの対処法なのである。
「ともかく! 一度止まるぞ!」
「同意!」
キャスは走りながら慣れぬオーク語を交えて相手に意図を悟られぬように会話する。
それに合わせて即座に先刻と違う言い回しで同意を示すクラスクの頭の回転の速さに彼女は舌を巻いた。
二人は的にならぬよう動きながら素早く丈の高い草むらの中に飛び込み、それと同時にキャスが手早く詠唱する。
「〈風巻〉」
「オオ…!」
クラスクの斧の周囲を風が渦巻いた。
先刻の呪文をクラスクの斧に付与したのだ。
「とりあえずそれでお前の攻撃は相手に通るようになるはずだ」
「オオ、これデアイツ殺せルナ!」
ムハーと鼻息荒く興奮するクラスク。
「お前はやらんのカ」
「残念ながら魔力がな」
「ソウカ…もらっテおく」
「ああ」
クラスクはキャスの言葉から彼女が大切な最後のまじないを自分に使い、敵を打ち倒す役を譲ってくれたのだと解釈した。
無論それも間違ってはいない。
だが厳密に言えばキャスは己の武器にその呪文を付与するだけの余裕はまだ残っていた。
ただしそれをしてしまうと彼女が『奥の手』を使う際に魔力が足りなくなってしまう。
ゆえに彼女はここでは自らの武器を魔化する選択肢を捨てたのである。
「さて、後は…」
「アア、アイツを殺すダケダ」
ぎらり、と風の渦巻く斧を手にクラスクが目を細めた。
「ただし…」
「ああ、ここを無事に抜けてからの話だな!」
小声で言い交わし、それと同時に再び走り出す。
直後彼らのたった今まで立っていた地面に炎の矢の呪文が数本突き刺さった。
(………!?)
キャスはその呪文に……いや厳密にはその呪文による攻撃に奇妙な違和感を覚えた。
なぜ足元に刺さるのだ?
足に当てて機動力を封じようとしたのだろうか?
だがそれにしては狙いが甘くないだろうか。
着弾点もバラバラだし、これではむしろ避けやすくしているだけだ。
ではこちらに当てるのが目的でないとしたらどうだろう。
その攻撃が自分達を狙ったものでないと仮定するなら、その目的はなんだ?
決まっている。
着火するためだ。
ぼうん、と草叢の一角が燃え上がる。
この地に未だ残存する瘴気のせいだろうか、青々とした草の合間にも少なからぬ枯れた草があって、それに炎が燃え移ったらしい。
「燃え盛れ! 渦を巻け! 蛇のとぐろが如く!」
同時に甲高い呪文の詠唱が響く。
二人の背後で燃え盛る炎が奇妙で不気味な音を漏らし、まるで蛇のように鎌首をもたげた。
(馬鹿な! 呪文から呪文の繋ぎが早すぎる! まさか先程の炎の矢は高速化されたものか…!?)
以前述べたように魔術には音声や動作と言った様々な要素があり、そうしたものを省略する≪詠唱補正≫と呼ばれるスキルがある。
これら魔術を唱える際に必要な音声も動作も触媒もすべて省略できるならば……呪文発動には詠唱自体が不要となる。
いわゆる『詠唱破棄』である。
そのためには初級魔術1つに上級魔術相当の魔力を注ぐ必要があるが、その見返りは十分にある。
通常に詠唱した呪文と同時に詠唱破棄した呪文を併せて放つことができるのだ。
これが≪詠唱補正≫スキルを最大レベルまで上げた時に獲得できる≪詠唱補正(高速化)≫である。
「炎の大蜷局!!」
やけにトーンの高い叫びと共に魔術の力が解き放たれた。
精霊魔術は近くにその精霊の群れる場所があれば威力が上がる。
燃え盛る枯れ草から放たれた蜷局を巻く蛇が如き炎の渦がクラスクとキャスを瞬時に巻き込んで……彼らの姿が炎の螺旋の中へと消えた。