第192話 覚醒と〈拡声〉
「ああ…アーリさんに頼んでた油って…」
「エルフが作る特製のやつ…天然の油をそのまま使うから水の精霊の加護が残ってる」
今回村の中央に備え付けられた篝火は、第一に闇中の戦いが苦手な騎士達の光源の確保の為であり、
第二に村に村に潜入するゴブリン達を見つけやすくするためである。
光が強くなれば当然影もまた濃くなって、盗賊たちが隠れやすくなってしまうが、それでも完全な闇夜よりはまだマシだ。
それに村の中央広場に皆を集めれば、少なくともそこに至るまでの影を大きく減らすことができる。
これは会議に参加した中で唯一夜に目が見えないミエならではのアイデアだった…なにせ他の参加者は皆≪夜目≫や≪暗視≫持ちなのである…が、それについてサフィナとキャスが危惧を表明した。
精霊は自然界の力の循環そのものであり、彼らは自然環境のどこにでもいる。
屋外なら大抵風の精霊がいるし、泉には水の精霊がいる。
魔術的な縛りを与えることで彼らの存在が薄い場所…例えば淀んだ洞窟の中で風の魔術を使ったり、灼熱の砂漠で水の魔術を使うこともできるけれど、前に述べた通り元々彼らがいる場所で使った方がその力は強くなる。
ゆえに村が大きな篝火は、もし敵の目的がこちらの無力化ではなく殲滅であり、かつ精霊使いだった場合、攻撃的な火の精霊魔術を使う際の起点にされてしまうのではないか…というのが彼女たちの懸念であった。
だがそこでキャスは発想を変えた。
敵がそう仕掛けてくる可能性があるのなら、十分対策をして逆に利用できないか、というものである。
あらかじめ水の精霊の加護の籠った高価な油を薪に塗り込め、儀式魔術で時間をかけて水の護りをかけておき、炎の精霊が暴れそうなときに彼らを落ち着かせる〈沈霊化〉の呪文が少ない魔力でも効きやすくしておく。
サフィナは攻撃的な呪文こそ扱えないが、そうした地味で補助的な魔術に幾つか目覚めていると主張した。
そのための高価な油であり、そして視界を確保するためのゲルダの肩車だったわけである。
「ふぅー…ひやひやさせおる」
「…まだしとく必要があるかもだぜ」
冷や汗をぬぐうシャミルに、ゲルダが目を細め油断なく腰を落としながら呟いた。
いつの間にか手持無沙汰にぶらぶらさせていた戦斧は、彼女の太い腕にしっかりと握られている。
「な、なんじゃ」
「村のあちこちでオークがゴブリンどもと戦ってる。何匹か侵入を許したみてーだな。サフィナ、降りてろ」
「ん!」
上体をかがめたゲルダの上から、サフィナがぴょこんと地上に着地してびし、と両手を挙げてポーズを決める。
拍手するミエ。
ふんすと鼻息荒いサフィナ。
「オークが負けるというのか」
「見つかった奴ら相手にゃそうそう負けねえだろうが…」
じろり、と周囲を一瞥したゲルダは、地面を抉るように蹴り上げて小石を飛ばした。
じゃごり。
いや小石どころではない。
地面に転がっていた石ころを周囲の土くれごと蹴り飛ばした彼女の蹴り脚は、焚火を背に長く伸びる己の影の上に礫砂の雨を横殴りに浴びせかけた。
「ギャン!」
小さな悲鳴が響き、同時にゲルダが手にした斧が宙を舞った。
背中から頭上、そして己の影の中央付近へ。
大きく弧を描くように放たれたそれは、地面に着弾すると同時にそこにあった何かを裂き砕いた。
鈍い音。
劈く断末魔。
飛び散る肉片。
後に残ったのは抉れた地面。
そして直前まで小型の何かがいたであろう残滓を示す血飛沫のみだった。
「おいオークども! 敵が来てっぞ!」
短く、はっきりと、オーク語で。
ゲルダが見張りのオーク達に警戒を呼び掛ける。
元々気を張っていた彼らは、たちまち油断なく深く構え周囲に殺気を撒き散らした。
「わ、わしはこういうの苦手じゃと言うとるじゃろうが…!」
わたわたわた、と慌てたシャミルは、だがぼんやりと突っ立っているサフィナの手を引いて篝火の近くに身を寄せる。
「みなさーん! ゲルダさんとオークさん達の邪魔をしないように! もっと篝火の近くに寄ってください! ちょっと熱いかもしれないですけど! 頑張って!」
ミエの指示の下、村人たちと村に泊まっていた旅人や商人たちがわらわらと篝火の近くに身を寄せる。
戦いの最中、ここが現在最も安全な場所である。
かつて棄民と呼ばれていた村人たちは、自分達がそんな場所で最優先で庇護されるだなどと、そんな恩寵を喝て預かったことがなかった。
守られている。
大事にされている。
大切にされている。
人間の国ではなく…オークの村に。
彼らは天にいる神々に祈り、願う。
どうかお助け下さい。
どうかお救い下さい。
そしてかの勇敢な騎士達とオーク達を守り給え…!
「わたし! 私になにかできること! あるでしょうかっ!」
篝火から飛び散る火の粉をわたわたと避けながら、ミエがゲルダに問いかける。
いつもならもっと近くに寄ってから話しかけるところだが、敵はどこに潜むかわからぬゴブリンである。
ミエは迂闊に近寄ることもできず、離れた場所から大声で尋ねた。
「んー、じゃあ応援でもしてな! お前さんいっつもそうだったろ!」
「…そうですね。そうでした!」
もちろん騎士達が、オーク達が、そして夫であるクラスクが持ち場に着くときにいつものように応援はしていたけれど、考えてみれば応援は一度したらそれで終わり、というわけではない。
やるべきことが多すぎて、色々忘れていたものらしい。
「オークの皆さーん! 頑張ってくださーい! 騎士の皆さーん! ここが踏ん張りどころでーす! 旦那様! キャスさん! みんなー! 負けないでえええええええええええええええええええええええええ!」
声を枯らさんばかりに叫び、応援する。
無論この距離では、そして戦場の喧騒の前では、その声は届きはしないけれど。
だが…その声が、サフィナの内に響いた。
精霊魔術を唱えるために最も必要とされるのは彼らとの交渉力…即ち魅力である。
ミエの≪応援≫によって一時的にその魅力が向上したサフィナは…それまで気づき得なかった新たな魔術に手が届いた。
耳元で声が聞こえる。
風の精霊たちの囁き。雑談。たわいもない艶笑、そして軽口。
その雑音が如きさえずりの中に…サフィナが求めていた『言葉』が潜んでいたのを、彼女は聞き逃さなかった。
「鳴れ、響け、轟け」
サフィナの詠唱と共に、周囲の風が渦を巻き、その『向き』を整える。
いつもは音を散らし弾いてしまう風の渦が…その時、音を通し響かせるために目に見えぬその形を変えた。
「〈拡声〉」
サフィナの唱えたその呪文と共に…
「だから! 皆さん! 頑張ってくださああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいっ!!」
ミエの大音声が、≪応援≫が…戦場に広く響き渡った。