第190話 精霊魔術
「旦那様大丈夫でしょうか…」
篝火を中心に村人たちを集め、ミエが心配そうに呟く。
本当なら個々の家の中に避難させた方がいいのかもしれないが、急増の家が多いため耐久性に色々と難があるのだ。
あと木造ばかりなので火攻めにとても弱い。
なにせこの村の近くには岩場がないのである。
石造りの堅牢な家屋を建てたくともその材料がないのだ。
農業や商業や向いている草原と荒野ではあるものの、その辺りはのちのち大きな弱点になるのでは…などとミエは危惧していた。
さらに言えば村の者を個々の家屋に避難させるリスクがもう一つある。
今回の相手は盗賊系の技術を有している可能性が高いのだ。
相手が盗賊系だと家に引きこもっても普通に鍵を開けられて個別に暗殺される恐れがある。
ミエとしては目に見えるところで守るのが一番安全に思えたのだ。
「クラスクの旦那は大丈夫だと思うが…敵の目的が分っかんねえからなあ」
未だにサフィナを肩車したままのゲルダが、斧を片手で弄びながら愚痴を零す。
「こんな正体も目的も不明の相手、傭兵時代のアタシなら逃げ出してるところだ」
「正体ってゴブリンじゃ…ああ黒幕さんの話ですか」
「さんて」
ミエの妙に丁寧な言い回しにゲルダが軽く体を傾け、上に乗っていたサフィナが落ちそうになっておぶおぶとゲルダの髪にしがみつく。
「連中がこっちを捕らえるつもりなのか、殺すつもりなのか、標的は誰かなのか、それとも全員なのか、情報を聞き出したいのか、金が欲しいのか…そこれがわかんねえと対策の立てようがねえだろ?」
「えーっと…じゃあ今の処はどんな感じなんでしょうか。ゲルダさんの目から見て」
サフィナの問いかけにゲルダは村の周囲をぐるりと見回し、目を凝らす。
戦場は主に三か所。
即ちクラスク達が相手をしている村の西のゴブリンの群れ。
騎士達が相手をしている北の何者か…先程遠くで響いた轟音から察するにおそらくラオクィクもそちらに合流したのだろう。
そして目には見えぬがおそらく村に潜入しようとしてると思われる盗賊系のゴブリンどももいるはずだ。
「んー…今のままだと不気味ではあるけどあんまり手強くは感じねえなあ」
「それは…どういう…?」
「兵を集めてるのに使い方が下手っつーか…用兵がなってねえ気がするんだよな」
「つまり指揮官が阿呆じゃと?」
「そーじゃねえよ。ただ連中の上の誰かさんは兵の指揮が専門じゃねえんじゃねえかな」
ミエとの会話に割って入ったシャミルの言葉を、ゲルダなりに言葉を選んで否定する。
「専門じゃないって言うのは…?」
「なんつーかな…『戦士以外の奴』が兵団を指揮してるっつーか…」
ゲルダ自身も上手く説明できずに頭を掻く。
と、その時唐突に頭上のサフィナが低い声で囁いた。
「…ゲルダ。後ろ向いて」
「あん? どうした。戦場の方見てろっつーたろ」
「振り向いて。篝火の方。急いで」
「おいおい、なんだっつー…」
わけがわからぬままゲルダが後ろを振り向くと…
篝火の炎が、やけに勢いよく燃え盛っていた。
「なんだあ…っ!?」
「きゃー! 熱い熱いっ!」
「な、なんじゃなんじゃっ!?」
ミエとシャミルが慌てて距離を取り、炎の向こうで村人たちも悲鳴を上げて後ずさる。
「…大丈夫、落ち着いて。こわくない」
エルフ語ではない何かの囁きがサフィナの口から洩れる。
篝火を囲う丸太を揺らし、今にもはちきれんばかりとなっていた炎は、彼女の言葉の前にゆっくりとその勢いを弱めてゆく。
…が、少し弱まった炎は突如その勢いを増すと、ガタガタと音を立てながらその内側でとぐろのように赤い渦を巻き始めた。
「〈沈霊化〉!」
…と、奇怪な篝火の蠢動に向かってサフィナが両掌を伸ばし〈呪文〉を唱えた。
少女の周囲にそよ風が渦巻き、燃え立つ炎の上からきらきらと光る何かの粉のようなものが降り注ぐ。
それと時を同じく、燃え立つ篝火はその勢いを急速に失い、元の炎姿へと戻っていった。
「な、なんだなんだぁ…?!」
「相手の精霊使いの攻撃…! ここの篝火に寝そべってた炎の精霊に命令して〈炎の大とぐろ〉の呪文唱えようとしてた…! でもサフィナなんとか宥められた。もう大丈夫。アーリのおかげ…」
「ええっと…それされたら…どうなっちゃうんです?」
「篝火大きかったから…ここを起点にむらのはんぶんくらい、もえる。もえて…なくなる?」
「「ひえ…っ!?」」
サフィナの言葉にミエとシャミルが小さく悲鳴を上げ、ゲルダが眉をしかめて露骨に嫌悪の表情を浮かべる。
だがサフィナはまだ仕事は終わっていないとばかりにぺちぺちとゲルダの頭を叩き、上から覗き込むようにして言葉を続けた。
「いま! 西の方! 向いて! いそいで!」
「わ、わっかんねえけどわかった!」
つい今しがたこちらを焼き殺しかけた炎に背を向けるのはなんとも心胆に悪いが、サフィナが大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう。
ゲルダは慌てて振り向いてサフィナの目を再び村の外へと向けさせた。
精霊魔術は精霊との『交渉』によって魔術を行使する。
下等な精霊に命じ使役するのも、同等な精霊と助け合い協力するのも、神が如き力を有する上位精霊に祈願や嘆願するのも、彼らとネゴシエーションすることによってその力を借り受け、或いは引き出すという意味に於いては同義である。
魔術的な言葉さえ届くのならば距離は関係ない。
遥か遠方からでも魔術を行使可能だ。
そしてその精霊の力の源となるものが近くにあれば、同じ精霊魔術でもより威力を高めたり上位の呪文が唱えられたりする。
今回のように篝火の炎を利用して強力な火炎呪文を行使したり、などがそれに当たる。
けれど精霊魔術の本質が『交渉』である限り、力を借りる精霊には必ず直接語り掛ける必要がある。
つまり村の篝火を利用しようとした以上…その術師とその炎を結びつける魔術的なパスが繋がっているはずなのだ。
「…いた。そこ」
静かに……とその翡翠色の目を見開いて、サフィナが村の西南西の方の一点を凝視する。
「キャスバスィさん、そのまままっすぐ。少し左…そう、そのまま…!」
× × ×
「見つけタカ!」
「ああ! サフィナがやってくれた!」
突如疾風に鞭を入れ闇の中へと消えたキャスを、一瞬遅れて愛馬うまそうと共に追うクラスク。
キャスとサフィナはどちらもエルフ族であり、風の精霊と親和性が高い。
今回彼女たちは初歩的な〈風話〉と呼ばれる魔術を用い、互いをリンクして風の振動で言葉を伝え合うようにしていた。
簡単に言えば糸が不要の糸電話である。
屋内や地下などの風の通らぬ場所では途切れてしまうが、屋外で風が強ければ逆にその射程距離は大幅に伸びる。
それを用い、二人はこれまで互いに情報交換をして敵の親玉の位置を探っていたのだ。
そう、エルフ族は皆精霊魔術の素養がある。
サフィナもまたその見た目の幼さとは裏腹に、幾つかの精霊魔術を嗜んでいたのだ。
そしておそらく…先刻村の篝火にいた炎の精霊に囁き唆したのも、この系統の呪文なのだろう。
風の精霊を媒介として遥か遠方から篝火に声を届け、炎に巻かれた大蜷局を生み出そうとしていたのだ。
だがその目論見はすんでのところでサフィナに防がれ、そしてその風の精霊を伝って…言うなれば糸電話の逆探知のような手法で、術師本人のいる位置を見つけ出したのである。
そしてキャスが騎士隊と行動を別にしオーク達に混じっていたのは……少しでも早く手にした情報をクラスクに伝え、彼と共にその親玉を討つ算段だったためだ。
「ワッフ!!」
クラスクが左腕を大きく上げ、背後に向け振り回す。
ここの戦場の指揮を全権ワッフに譲り渡す合図である。
「まダカ!」
「まだだ! もう少し…あそこ!」
背後でワッフの放つ鬨の声が響く。
ゴブリンどもの大軍とオークの白兵部隊の戦端が開かれたのだ。
その木霊する戦場の喧騒を背に受けて……クラスクとキャスは草を掻き分け馬を疾走させた。
二人の視界の先、村の篝火すら届かぬ月明かりの下、深いローブを引きかぶった何者かが剣を片手に立っている。
いや…立っているというか踊っている、と言った方が近いだろうか。
まるで舞でも舞うように流麗なその動きは、月光に映えいっそ美しい程であった。
だが…その端麗な動きに込められたどす黒い殺気が、キャスとクラスクの心胆を寒からしめる。
何かが不味い。
何かが危ない。
途方もなく危険な何かを、今視線の先の相手が為そうとしている…!
キャスは月下の薄明かりの下、その鋭い視力で相手の黒幕らしきローブ姿が持っている剣の柄、そこにはめ込まれた宝石に気づく。
(あれは呪的な魔道具…つまり杖と同じか……!!)
止めなければ。
なんとかして止めなければ。
だが遠い。
間に合わない。
愛馬疾風が如何に駿馬であっても、この距離から『あれ』は止められない…!
「クラスク殿ッ! あの剣の向きを変えられるかっ?!」
「やって見ル!!」
闇夜に半ば溶け込んだ漆黒の馬、うまそうの馬上で大きく息を吸い込み上体を逸らしたクラスクは、裂帛の気合と共に腰から引き抜いた手斧を投擲する。
凡そ斧とは思えぬ高速で回転したそれは、ぶうんと三日月のような弧を描いて凄まじい速度と勢いを以てそのローブ姿に襲いかかった。
相手は咄嗟に手にした剣で打ち払う…が、その斧の勢いたるや凄まじく、剣は大きく弾かれ頭上へと向いた。
どおん、と巨大な轟音が響く。
クラスクの、そしてキャスの背後に置いてきたオークの戦士たち。
そして彼らと戦っているゴブリンども。
その上空に巨大な炎の渦が巻き起こり、彼ら目がけて炎の雨が降り注いだ。
大慌てで散開するオークとゴブリン達。
…が、それは本来の用途ではなかろう。
クラスクの邪魔によって彼の剣は上空に向いてしまった。
その剣先の延長線上が先程上空に出現したの炎の渦である。
彼の邪魔がなければその剣は地表を薙ぐように振るわれていた。
つまりあの炎はオーク達とゴブリン達の戦っている戦場のど真ん中を起点に放たれていたはずなのだ。
そしてその凄まじい爆発に巻き込まれたなら、オーク達も、そしてゴブリン達も皆等しく丸焼きとなっていたに違いない。
「テメェ…!」
「貴様ァ!」
すんでのところで最悪の被害を防いだクラスクとキャスは…
愛馬にさらに一鞭入れてそのローブの人物目がけて全力の突撃を敢行した。