第186話 帰還と休息
「肌が黒い…南の方の人かしら?」
「違うよ。耳がホラ。黒エルフだよあれ」
「黒エルフじゃないか」
ざわざわ、と村の娘達が騒ぐ中…森の中にあるクラスク村に運び込まれたギスは、そのままかつての族長の家…元を辿れば村の教会だが…に運び込まれた。
現在キャスの仮の住居として使われている建物である。
「というわけでギスさんはとりあえずこちらで休んでいてください。外の村は今ちょっと立て込んでますから」
「あら、随分立派なベッド…キャスが使っていたの?」
「あら、よくおわかりですね」
「匂いがするもの。キャスの匂い」
すんすんと鼻を鳴らしたギスがそう言い放ち、ミエの隣でキャスが赤面して横を向く。
「まあ、お詳しいんですね…?」
「あ、いや違うミエ。エルフ族は五感に優れているので嗅覚も発達しているという意味で別にその…や、や…」
「「やましいことは?」」
「ええいハモるな!!」
キャスのツッコミに笑う二人。
だが暫く笑った後、ギスは目を細めミエを見上げた。
「でも…いいのかしら?」
「? なにがです?」
「ほら、家の外…」
新しい客人に興味があるのか村の女性達がわらわらと集まって窓越しにこちらを観察している。
中には家に忍び込んで扉越しにそーっと覗き込もうとしている娘もいて、ミエと視線が合った瞬間きゃあ!と叫んでバタバタと逃げ去った。
「私こんな見た目よ。ハーフだけど事情を知らない人が見ればほぼ黒エルフでしょう? こんなのを村に引き入れたら貴女の立場が悪くなるんじゃないかしら」
黒エルフと言えば地の底から湧いて出て村々を襲う危険な種族、というのが一般的な認識である。
残酷で残忍、狙われた者は助からぬ漆黒の殺意。
女性を攫うとうい悪癖は最悪でこそあるけれど、主に縄張りとその周辺しか被害が及ばぬをオーク族に比べ、黒エルフは地上の生物すべてに対する純然たる悪意と明確な殺意とで死を振り撒き殺戮を行う。
縄張りも持たず、いつどこで襲われるかもわからない。
地上世界の住人にとって、『怖さ』という点ではオーク族すら上回るやもしれぬ連中なのだ。
「そんな~、大丈夫ですよ~」
だがミエはうあはははは、と笑いながら手をひらひらさせる。
そして大きな声で名前を呼び、手を叩いた。
「カムゥさん! アヴィルタさぁん!」
「ハァーイ!」
「はーい! デス!」
窓から覗き込んでいた顔が二人ほど引っ込むと、すぐにぱたぱたぱた、と廊下を駆ける音がして、部屋に小人族の娘と人間族の娘が飛び込んできた。
「こちらお客人です。御挨拶をお願いしますね」
「ハーイ! 小人族のカムゥでっす! よろしくお願いしますね、お客さまっ!」
元気よく頭をぴょこんと下げたのは小人族の若い娘で、やや袖の長い、緑を基調としたオーバーオールのような衣装を纏っていて、どことなく農家の女性を彷彿とさせる。
「こんにちは、デス。私は人間族のアヴィルタ。ようこそ森のクラスク村に。歓迎する…しマス、デス」
続いてスカートの両裾をたくし上げ、恭しく辞儀をした娘は背格好や耳の形から人間族のようだ。
紅色に染め上げた、胸元の強調された丈の長いトーガを纏っており、その所作には隠し切れぬ品の良さが仄見える。
ただ…彼女の外見には一点、明らかに人目を引く要素があった。
「貴女、肌の色…」
ギスの声音に驚きの色が混じっている。
アヴィルタの肌の色は…浅い褐色をしていたのだ。
「はい。私の母は南方人、デス。向こうの人の肌はもっと濃いデスよ?」
「へえ…!」
「ああ、私も最初見た時は驚いたぞ」
感心するギスにキャスがフォローを入れた。
アルザス王国は内陸の国家であり、海の向こうの人種に遭遇することなど滅多にないからだ。
「二人にはしばらく彼女…ギスクゥ・ムーコーさんのお世話をお願いします」
「ハーイ! ミエさま!」
「承知いたしました、デス。ミエ様」
「だから様はやめて下さいってば」
「ハハハ、ミエ様とかミエアネゴとか、色々呼ばれるな、ミエは」
「もぉ~、キャスさんまで~!」
ぷんすこするミエを一同が笑う。
ただギスだけは雰囲気に乗っただけで目は笑っていなかったけれど。
「ええっとですね。最初に断っておきますが、ギスさんは見た目は黒エルフっぽいですがハーフです。育て親は人間族なので価値観もそっち寄りです。なので怖くありません」
「ハーイ! わっかりましたン!」
「まあ…それは色々と苦労なさったデス…デスネ? 御境遇お察しいたします…デス」
カウムゥが元気よく片手を挙げて、アヴィルタが悲しそうにかぶりを振って、それぞれミエの言葉を受け取った。
「というわけなので村のみんなに色々聞かれたら私がそう言っていたと伝えてください。私とキャスさんは今日中に外村の方に行かないとならないので」
「ハイ! それじゃあみんなに伝えておきますねっ!」
「承知致しました、デス。誤解を解くのは大切な事、デス」
「はい、お願いしますね!」
ミエは二人に辞儀をすると、そのままパタパタと外に走り出そう…として、腹を押さえながらゆっくりと部屋を出た。
なんだかんだでだいぶ腹が重いのだろう。
というか妊娠中の割りに少々動きすぎである。
「では私も行くぞ、ギス。ゆっくり体を休めてくれ」
「ええ。キャスも気を付けて」
少しだけ名残惜しそうにギスを見つめたキャスは、だが踵を返すと小走りでミエの後を追った。
身重の彼女を支えるつもりなのだろう。
「さーって、じゃあどうしましょうかアヴィルタさん!」
「そうですね…ギスクゥ様、お食事になさいます、デスか?」
「ギスでいいわ。それよりひとつ聞いていいかしら。『あれ』は…何?」
「「あれ…?」」
きょとんと顔を見合わせる二人。
「彼女よ。ミエ。記憶喪失だとか言う」
「ああ、ミエ様! ミエ様は…私達の救い主様でっす!」
「そのような言い方をすると、あの方はとても困ってしまわれるようデスが…」
一旦言葉を切ったアヴィルタが、居住まいを正し、静謐を湛えた瞳でギスを見つめる。
「ギスクゥ様…ギス様とお呼びしても?」
「構わないわ」
「ではギス様。ギス様はミエ様についてどれだけ御存じなのでしょうか」
「一通りは聞いたわ。目的とかね」
オーク族があらゆる種族と仲が悪く、険悪であることはギスも知っていた。
そんな彼らを他種族と融和させ、他種族の女性達を平和裏に嫁として迎えることで略奪や強奪なしで種族の維持を図ろうという彼女の計画も、またキャスから聞いていた。
とても正直正気の沙汰とは思えない。
どれだけの苦難が、労苦が待ち受けているか想像もつかない。
それを進んで買って出る彼女の精神性が、ギスには何より信じられなかった。
「まあ疑うのもわかります、デス。私も未だに半信半疑デスから…」
そう語りながら上体を起こしているギスに身を寄せ、額に手を当てて熱を測り、僅かに汗ばんだその身体をタオルと呼ばれる布で拭くアヴィルタ。
なんとも献身的な姿である。
「ただ、それでも、オーク達に囚われ鎖に繋がれ希望のない日々を送っていた私達を救い出し、このように自由に暮らせる生活を与えてくれたのは間違いなく彼女と族長のクラスク様、デス。そのことに感謝する心に嘘偽りはありません、デス」
「ハイ! いっぱいいっぱい感謝してまっす!」
「ふうん…」
彼女がぶち上げている目標は遠大かつ壮大すぎるけれど、信じられないことに少なくともそこに向けてまっすぐ歩いてはいるし、少なからぬ成果もあげているようだ。
いや、女性達を奴隷同然に扱うとされるオーク族の習性を考えれば、現時点ですら多大すぎる成果と言ってもいいだろう。
なにせ彼女が勝ち取ったのは単なる女性の解放ではない。
オーク達の価値観…その『変容そのもの』なのだから。
(価値、観…?)
その時、ふとギスの脳裏に何かが走った。
もしかして…そう、もしかして。
彼女の…ミエの価値観が、試行錯誤の上に辿り着いたものではなく、築き上げたものでもなかったとしたら?
例えば…そう、その価値観が根底から、というか最初から周りと違っていたとしたら?
(興味…深いわね)
ギスは心の中で呟くと、小さく深呼吸をして覚悟を決めた。
己の目論見の為には…
まずはこの村の者達と、友好的な関係を築かなければ。