第157話 祝福農法
「そういえば基本的な確認なんですけど…このあたりで獲れる主な作物ってなんでしょうか」
「麦ではないか?」
「そうだニャ。基本小麦だニャ」
「やっぱりそうですよねー…」
この地方は比較的冷涼かつ乾燥しており、確かに麦を育てるのに向いた立地そうではある。
また周囲を山や丘に囲まれ中央に流れる蛇の舌川以外大河川がなく、水利は湧き水や井戸、小川などを主に使っているようだ。
彼女たちが井戸端会議している場所も字の如く井戸端である。
水が少なければ主たる耕地は畑にならざるを得ない。
そしてもしその世界に麦があり、耕地の主体が畑作となるのであれば…育てる穀物が麦になるのは当然の帰結と言える。
以前アーリに調達してもらった小麦もだいたいミエの思い浮かべるそれに近かったし、この世界では普通に小麦が生産され流通していると考えていいだろう。
それは『言語』から推察することもできる。
ぱっとミエがこの世界の商用共通語を思い浮かべるだけでも『大麦』、『小麦』、『カラス麦』、『燕麦』、そして『ライ麦』などなど、麦の種類を示す単語が多様に存在した。
つまりそれだけ主たる穀物なのだろう。
逆に言えば水資源が不足気味で湿度が低く、また温暖な時期が少ないことを考えると、米などを育てるのはだいぶ難しそうである。
米はある程度の湿度と気温がないとそもそもきちんと花が咲かず、結実を行えないからだ。
「で、『農法』は?」
「そうじゃな…まず麦を育てるじゃろ? 収穫するじゃろ? そうすると翌年は麦が取れにくくなるから一年牧草地などにして家畜を飼って畑を休ませる。ただそうすると二年に一回しか麦が取れなくなるからそうならんように逆のパターンの畑も用意しておく。これで毎年麦が取れる仕組みじゃ」
「え? 二圃制なんですか…あれ? 『農法』なんて言葉があるのに? なんで?」
「「…二圃制?」」
「え?」
「「え?」」
互いの認識の違いが妙な間を生み、三人は首を捻った。
畑を二種類用意して、畑Aは麦→牧草地→麦…と回し、畑Bは牧草地→麦→牧草地…と回す。
そうすれば常に片方の畑で麦が取れるようになる。
なぜこんなことをする必要があるのかというと、毎年同じ場所で麦を植え続けると収穫量が目に見えて落ちてしまうからだ。
それは土中の栄養素の不足であったり、土壌の悪化であったり、或いは同じ作物を育て続けることで同種の作物を荒らす病気や害虫が激増したり、といった要因によって引き起こされる。
これを連作障害という。
こうした連作障害を避けるための初歩的な畑の運用の仕方…『農法』を二圃制と呼ぶ。
ただしこの呼び方は区別のためのものである。
なんの区別かといえば他の農法との区別の為だ。
例えば二圃制を発展させた三圃制農法などと比較するための呼び方である。
つまり…逆に言えば区別の必要がなければこんな呼び方は生まれないはずなのだ。
二圃制、という呼称にシャミル達が反応しなかったところを見ると、この世界には三圃制以降の農法はまだ生まれておらず、区別の必要がないと考えられる。
ならばなぜシャミルたちは『農法』という農業の方式が複数あることが前提の用語を知っているのだろうか。
ミエにはそこがピンとこなかったのだ。
「地域別の農業形態のバリエーションがあるとかかな…? ともかく二圃制が基本ならまだ私達にもつけ入る隙がありますね。ちなみに他の農法にはどんなのがあるんです?」
「ふむ、祝福農法じゃな」
「シュクフクノウホウ?」
今度はミエの方が全く聞いたことのない農業形態に眉根を顰め、鸚鵡返しに聞き返す。
「なんですかそれ」
「〈祝福〉という呪文があるんじゃ。要は神々から祝福を授かる奇跡じゃな。聖職者たちが使う、まあ初歩的な術じゃが」
「祝福…呪文ですか?」
まあ聖職者なのだから神の祝福を与える呪文が使えても不思議ではあるまい。
なにせ〈保存〉の呪文が存在することはアーリが村の外から持ち込んだ野菜でミエは既に知っているのだから。
農法との関連性がわからぬまま、ミエはとりあえずふんふんと頷いた。
「戦場に於いて用いれば周囲の兵士たちの士気を向上させ、より優位に戦いを進められるとされるの」
「気持ちを鼓舞することで恐怖心ニャんかへの抵抗力がついたりもするニャ」
「へー…」
シャミルやアーリの説明は祝福と聞いてミエがイメージするものとは少々異っていなたけれど、地底世界なり魔族なりこの世界がだいぶ物騒なことを考えれば神の祝福が戦いに於いて有益なのはむしろ当たり前と言えば当たり前な気もする。
ミエは感嘆の声を上げた。
「〈祝福〉は他にも様々なところで使われておる。乳飲み子のいる母親の乳の出をよくしたり、貧しい者が病に懸かりにくくなったり、家畜の食欲を増したりと、様々じゃ。まあどれも効果はほどほどでしかないがの」
「へぇ~…ほんとに便利ですね」
そのあたりならミエの抱いている祝福のイメージにだいぶ近い。
ミエはさもありなんとうんうんと頷いた。
「で、これを畑にかけて回るとじゃな、作物の実りがよくなるんじゃ。例えば去年麦を植えた畑でも問題なく麦を育てることができるようになる。これを利用して麦などを毎年同じ畑で育て続けるのが『祝福農法』じゃな」
「なにそれ神様すっごい!」
困った。
それはちょっと勝てない。
ミエは素直に白旗を上げた。
なにせ麦はとにかく連作に弱い。
連作すれば病気になりやすいし、麦を育てるための土地の養分も枯れてしまう。
それを防ぐためにはどうにかして麦以外のもので土地を休ませ、土壌を回復させなければならない。
二圃制を発展させた三圃制であれば夏麦と冬麦で土地の利用率を上げられる。
これは三つの畑でそれぞれ冬麦→夏麦→牧草地を時期をずらしながらローテーションするものだから、一つの畑単位でみれば利用率は66%、二圃制に比べて1.3倍強の効率である。
…が、祝福農法というのが本当に存在するならば、その効率が単純に2倍になるわけだ。
土中の窒素や葉の病気、害虫などをどう解決しているのかわからないけれど、ともあれミエの知っている世界の最新の農法ですらおいそれとはできないことである。
「まあゆうても聖職者も数に限りがあるでな。呪文には効果範囲があるから広大な畑地すべてを祝福するには大量の呪文が必要じゃし、呪文1つ唱えてもらうたびに教会に寄付せねばならぬし、軍備用の畑や飢饉が預言された年でもなくばそうそう気軽にはできんが」
「はあ…それはちょっと安心しました」
この世界はミエの住んでいた時代に比べて技術的に色々と遅れている部分が多い。
だがそれは単に科学技術が進歩していないだけのではなく、魔術と呼ばれる別の分野によって補われているからだ。
ミエはこれまでにそれを幾度か感じていた。
寄付さえすれば神の祝福によって生産量が上がるというのなら無理に農法を進歩させる必要はないし、保存の呪文とやらで生野菜の鮮度が幾年も保て、軍の糧食が十年二十年単位で保管できるなら、わざわざ軍隊が瓶詰や缶詰などの保存容器を発達させる意味がない。
いわば魔術がこの世界の技術の発達を遅らせているのだ。
ただ…魔術と言うのは結局個人の技量である。
魔術師自体はこの世界でも希少だというし、職人の匠の技と同じでその個人がいなくなってしまえば失われてしまう。
ゆえにそれを補う意味でも彼ら術師になるべく頼らない技法を考えるのは無駄にはなるまい、というのがミエの考えだった。
まあそもそも知能が低く共感性に乏しいオーク族は魔術適正が非常に低く、またオークの棲家はそうした術師たちが好んで寄り付く場所でもないため彼らに頼りようがないというのが正直なところなのだが。
「まあ…私達は自分にできることをやるとしますか!」
結局、ミエにできることはそれしかないのである。
それを精いっぱい頑張った成果が…今の状況なのだから。