第154話 クラスクと長老
「待タセタダナー。メシ運ンデキタダヨー!」
「おはなし…できた…?」
ワッフが若オーク達に指示を出しながら村の食料を荷車から降ろしてゆく。
それを帳簿を片手に手際よくチェックしてゆくサフィナ。
実に息の合った仕事ぶりである。
「ワッフ! イイ所に来タ。計画変更ダ! 急イデメシ作れ!」
「エ?! イキナリ飯作ルダカ!?」
この辺りには棄民達が来るまで畑がなかった。
いやかつて入植が盛んだった頃一時的にはあったのかもしれないけれど、彼らが逃散した後に全て荒野に帰した。
どんな畑でも人が手入れをしなければ失われてしまう。
その上このあたりは瘴気がまだ消え切っていないのである。
当たり前と言えば当たり前と言えよう。
ゆえにこのあたりに村を作ろうとするなら最初の実りまではとにかく食料が不足するはずだ。
ならばこちらで食料を用意すれば情報提供料として使えるのではないか…というのがミエのアイデアであり、ワッフとサフィナが言い遣った役目であった。
ゆえに彼らはミエやクラスクが出立した後、村の食糧庫から食料や酒を用意して荷車に積み込み、若いオーク達を人足代わりにここまで運んできたわけである。
その食料を交渉材料にもせずにいきなり調理してお出しするというのは完全に計画外だ。
…が、ワッフはクラスクの判断に関しては常に全面的に信用している。
彼に命じられて否のあろうはずはない。
「サフィナ、ニンゲンノ食ベル飯作レルダカ?」
「…たぶん」
「ナラオラハ向コウノ荷物降ロシテルダ。用ガアッタライツデモ呼ンデ欲シイダ!」
「わかった」
ワッフと別行動となったサフィナはちらと少し離れたミエの方を見つめた。
手助けできるならして欲しいサインである。
だがミエの表情を見てすぐに視線を戻した。
どうやらミエには今やらなければいけないことがあるらしい。
それが何なのかわからないけれど、その邪魔をしちゃダメだ。
頼めばきっと手伝ってくれるけど。
喜んで手伝ってくれるだろうけれど。
だからこそ…今彼女に助けを請うてはいけない気がする。
「…がんばる」
ふんすと気合を入れて腕まくりするサフィナ。
そして念のためにとミエに用意するよう言われた最後の品…『大鍋』を荷車から引きずり降ろそうとする。
情報料として食料や酒を渡すなら鍋なんて必要ないのに…と思いつつ、ミエの先見性をよく知っていたサフィナは言われた通り村で一番大きな鍋を持ってきていた。
それがまさに今役に立たんとしている。
サフィナは心底感心したように目をぱちくりさせ、ミエの背中を畏敬の念を込めて見つめた。
「んしょ」
ただし、重い。
「…ふんす」
大鍋は、とても重い。
「むむ~…きゅっ」
サフィナの細腕で持ち運ぶには、その鍋はあまりにも重いのだ。
「あの、えと、ワッフー…」
「お、気合十分だな」
ワッフに運んでもらおうと、こちらに背中を見せながら若いオーク達に指示を出しつつ自らも率先して荷運びしている彼に声をかけようとして、突然大鍋が軽くなったのを感じで顔を上げるサフィナ。
「ゲルダ…!」
いつの間にやらやってきていたゲルダがその鍋をひょいと抱えて肩に乗せた。
「アタシもあまり料理は得意じゃねえけどさ。向こうの話はちと小難しくて入れそうにねえからこっち手伝わせてくれ。力仕事ならなんでもござれだぜ?」
サフィナの真似っこをして袖もないのに腕まくりをしたゲルダがウィンクをする。
ぱあああああ…と顔を輝かせたサフィナが、こくこくこくと幾度も頷いた。
一方でクラスクの指示はまだ続いていた。
「リーパグ。お前は適当に誰か連れテここトうちノ村をすぐに繋げ。デきルか?」
「ワカッタゼ兄ィ! …ジャネエヤ族長! オイオ前トオ前トオ前コッチ来イ!」
「「「ヘイリーパグ兄貴!」」」
リーパグは兄貴と言われたのが随分と嬉しいらしく、若手のオークどもの前を胸をそらして偉そうに先導する。
その様子をジト目で見ながら小さくため息を吐くシャミル。
ワッフとリーパグに指示を出したクラスクは視線をラオクィクに走らせた。
ラオクィクは槍を片手にちょうど彼らとキャスの部下…騎士隊の間に立ちつつ彼らを見張っている最中だった。
オークであるクラスクがこの村を占拠すると言い出してから色めき立ち、臨戦態勢を整えつつある彼らを警戒しているのだ。
クラスクと視線の合ったラオクィクが小さく肯き、こちらの意図が伝わっていることを確認すると、クラスクはそちらの対策は全て彼に任せることにした。
「ミエ」
「はいっ!」
「スマン。勝手しタ。こいつらの『使い道』はあルか?」
「~~~~~っ! はい! お任せくださいっ!!」
ぱあああ、とミエが顔を輝かせ、クラスクと頷き合う。
その後のことは妻に任せ、クラスクはどっかと村人たちの前に腰を下ろし、隣でうずくまっているキャスの背中を軽く叩く。
「デ、お前はこのままデイイのカ。手下ノ前ダゾ」
「~~~~っ!」
キャスはクラスクの言葉に少し泣きそうな表情を浮かべたが、下を向いていたためそれに気づいた者はいなかった。
二、三度己の頬を叩いたキャスは、ゆっくりと立ち上がり膝の埃を払う。
そしてクラスクに一礼して部下達の元へと向かった。
さて、この状況で一番わけがわからぬのはこの村の住人達である。
突然オークが(それも敵対しているはずの騎士達と!)村にやってきて、畏怖と恫喝とで彼らを支配下に置いた…
のはまだいい。
まだ納得できる。
だがその後特に暴力を振るうでも村のものを奪うでもなく(とはいえ奪われるものは村娘くらいしかいないのだが)、あまつさえ飯を食えと言って来たのだ。
混乱するのは当然だろう。
そうしている間にも向こうではなにやら簡易なかまどを作り大鍋で料理を始めている。
たちまち香ばしい臭いが漂ってきて、彼らの空腹を存分に刺激した。
「あ、あの…」
腹を盛大に鳴らしながら長老が口を開く。
目の前には他のオークどもより一回り以上大きな威厳に満ちたオークがどっかと地べたに座り込み、肘鉄を頬に当ててやや不服げにこちらを眺めている。
だが不思議と怖くはない。
オークなのに。
昔話に聞くあのオークなのに。
今も方々で噂を聞くあの悪名高きオークだというのに。
目の前の『彼』は…不思議と怖くはなかったのだ。
「ナンダ」
長老はオーク語など知らない。
話しかけたのは当然共通語である。
そしてクラスクもまた当たり前のように共通語で返事をした。
「そ、その、食事……」
長老は村の中央辺りでエルフらしき少女と巨人族らしい娘が大鍋をかき混ぜながら作っている大量の食事を指差す。
「アア。飯ダナ」
クラスクが鷹揚に頷く。
長老は震える手で自分達を指差して再び問いかける。
「…わしらに?」
「さっきそう言っタ」
「…何故?」
そうだ。
そこがわからない。
何故悪の権化であるはずのオーク族が自分達のような棄てられし民に食事を恵んでくれるのか…?
「お前達さっき俺に降伏しタ」
「はい…」
「つまり俺のモノになっタ。俺ノ手下ダ」
「はい」
「俺はここデ一番偉イ。親分ダ」
「はい」
「親分は手下を食わせル義務があル。当たり前ノ事ダ」
「!?」
クラスクの言葉にはやや語弊があって、彼が本来言いたいことを伝えきれていない。
オーク族は基本『分け前』でものを考える。
集団で狩りをしても隊商を襲っても、そこで得た収入(略奪品を収入と呼んでいいかどうかは置いておいて)は個々人で分け切ってしまう。
一度分配したらそれは個々のオークの財産となり、他のオークは手を出すことができぬ。
無論決闘で勝利し堂々と奪うという解決法も残されているが、それは最後の手段である。
ゆえにオーク族の族長だからと言って個々のオークを養い食わせる義務はなく、そういう意味ではクラスクはこの村の者達の食事を用意する必要はない。
ただしオーク族の族長は全員が暮らしていけるだけの『狩場』を用意しなければならない義務がある。
個々人の収入は分け前で得るにしても、それで彼らが暮らしてゆくのに足る分だけ奪えるかどうかは縄張り次第である。
族長であるクラスクには、だからその縄張りを村の住人が食っていける分だけ維持、あるいは拡張する義務があるのだ。
今回クラスクは突発的にこの村の住人を自分の手下に加えてしまった。
つまり村の住人が増えたのだ。
だがそれに対し縄張りは全く広がっていない。
元々この村の辺りはクラスク達の部族の縄張りだからである。
ゆえに現在、クラスクは縄張りに対してやや過剰な村人を抱え込んでしまったわけだ。
それは族長である彼の責任である。
ゆえにその分の食事は己が用意するべき…というのが、クラスクの理屈なのだ。
無論すべてのオークがこう考えるわけではない。
考える者がいたとしても、対象はほぼ間違いなく同族であるオークにしか適応しないだろう。
そういう意味で、今回のクラスクの判断はオーク族としてかなり異例かつ特異であると言えよう。
わけもわからず、ただ鍋から漂う香ばしい匂いだけが彼らの食欲を刺激する。
エルフ族の少女が…準備が整ったらしく手を振ってこちらを呼んでいた。