第139話 森が無事な理由
しん、と一瞬静まり返る一同。
大規模な穀倉地帯…それは即ち食糧庫である。
膨大な糧食を手にした軍事国家が次に考えることなど一つしかあるまい。
「おー…おなかいっぱいになったらみんな仲良くなれる…?」
「「「いやいやいやいや」」」
サフィナの実に平和的な意見を周囲が一斉に手を振って否定する。
「ちがうの…?」
「そうなってくれれば一番なんじゃがなあ」
「まあアタシならこう思うね。こんだけメシがありゃあまだまだいっぱい戦える! ってな!」
「ン! イっぱい戦えル!」
実に率直な感想を述べるゲルダ。
大いに賛同するクラスク。
意見の一致を見てイエーイと朗らかにハイタッチする二人。
「ですよねえ。個人的にはサフィナちゃんに賛成したいところですけど」
「食料がたくさんあればたっくさんのお金にも変えられるしニャー」
ミエが溜息をつきながら呟いて、アーリが瞳を輝かせながら実に商人らしい意見を述べた。
「…つまり大蛇を追イ出しタら今度ハ狼がやっテきタ、みタイなモノカ」
「オーク族の格言か? だがそうだな、大体そのような認識で問題ない」
クラスクは腕を組んで考え込む。
確かに一番活躍した者が最も報いられるべきだけれど、それが例えば前の族長のように自分の事しか考えてない奴だとしたらどうする。
手に入れたものを独り占めにして、下に何も与えないような奴だったら?
さらに言えば他の連中の分け前まで奪おうとしたら?
「…それは困ル」
「当時の周辺国家もさぞそう思ったことだろうな」
クラスクが大真面目な顔で答え、キャスが深く頷いた。
「私も当時の為政には詳しくはないが、聞いた話では相当すったもんだがあったようだ」
騎士らしくない言葉遣いで当時のいざこざを一蹴したキャスは、端的に結論だけ述べる。
「結果としてこの地はバクラダ王国の属領ではなく、新たな王国を建国することで合意された。建国王はアルザス=エルスフィル一世。今の国王の祖父にあたる」
「ということは…バクラダ王国には何の見返りもなかったってことですか?」
確かに拡大志向の軍事国家に大きな権利を与えれば次の矛先が自分たちに向くかもしれないという危惧はわかる。
だがそれでも一番苦労して一番犠牲を出した国が全く報われないのはそれはそれで気になってしまうミエである。
このあたり、実にお人よしな性格と言えよう。
「いやいやとんでもない。なにせエルスフィル一世は元バクラダ王国の伯爵だ。十年戦争の比較的初期から参戦し長きにわたり活躍、最も大きな功績を成し遂げた勲功として彼は新たな国の王に任じられたのだ」
「それは…実質的には属国なのでは?」
「そうならないために、各国はこの国の重鎮に自分たちの代表を送り込んだのさ。財務大臣や軍務大臣、さらには大僧正や宮廷魔導師などは皆他国の推挙でな。この国は建国当時の約定により彼らを国王権限でおいそれと罷免できん」
「ああー…!」
ミエはようやくこの国の構造が理解できた気がした。
つまり新たな王国とは言えば聞こえはいいが、要は各国の思惑と合議によりこの国は運営されているわけだ。
「でも結局王様の力が一番つえーんだろ? なら要はバクラダ王国の子分みたいなもんじゃね?」
「それがだな…ゲルダ殿。現国王は独立派なのだ」
「「「え…?」」」
キャスの言葉に皆驚き、特にシャミルが目を細め耳をピンと欹てた。
相当興味深い話なのだろう。
「独立派…元バクラダの家来なのにか?」
「伯爵を家来の一言で片づけるのは貴族社会的には少々語弊があるのだろうが…まあおおむねその認識で問題ない。バクラダ派というなら…むしろ秘書官トゥーヴとその手勢の方がそれに当たるかな」
ゲルダの言葉にキャスが頷き、さらに補足を加える。
ただその秘書官の名を告げる時彼女の眉がややきつめに寄った。
どうやらなにがしかの因縁があるようだ。
「独立派と言える証拠はなんじゃ」
「…そうだな。とりあえずこの村が無事なこと、だろうか」
「「「はい…?」」」
唐突な言葉に一同の声が思わずハモる。
「…詳しくお願いできますか」
少し青ざめたミエの言葉に、キャスは肯いて中央のテーブルに身を乗り出し、地図の上を指し示す。
「ミエとクラスク殿には以前話したと思うが、この国の中央部には南北に長く大森林が広がっている。人間たちの言う暗がりの森。エルフ達の呼ぶ…」
「「豊穣の森」」
サフィナとシャミルが同時に呟き、キャスが少し口元を綻ばせた。
「正解だ。しかし自身の口以外からその名を聞くのはなんとも面映ゆいものだな」
「ええっと確かそこはエルフ達が住んでいて人間たちと仲が悪いとか…?」
「そうだ、ミエ。その理由が先の大戦になる。魔族どもに奪われた森を取り戻したかったエルフ達と、刈り取った地を開拓し領土としようとしていた人間達とで、要は魔族と戦う目的が異なっていたわけだな」
「大同小異…って奴ですね」
「まさに。ま、人間たちの間でも大同小異なのは変わらなかったようだが…ともあれアルザス王国とこの森のエルフ族は仲が悪い。人間達にしてみれば領土問題で揉めている最中に勝手に森に棲みついて自領を主張するのだから火に油を注がれたようなもので怒って当たり前なのだろうが、エルフ達はエルフ達でそんな人間共の事情など関係ないだろうしな」
うう~ん…とミエが腕を組んで呻る。
なかなかみんな仲良くとはいかないものだ。
同じ目的のために協力し合った人間族とエルフ族ですらそうなのである。
現状険悪どころではないオーク族を彼らの間に軟着陸させるのは相当骨が折れそうではないか。
「ともあれ王国の者は私を除いてあの森を通過できん。ゆえに国の西側に行くにはどうしても遠回りとなってしまい、時間も金も糧食もかかる」
「ダから面倒にナっテ俺達国ノ西側のオーク達あまり狙われなかっタ…確かそんなコト言っテタナ」
「ああ。だがそれはあくまで…この国内に限った話だろう?」
「「あ…!」」
ミエとクラスクが同時に何かに気づき、急いで地図の上に身を乗り出してつぶさに確認する。
「確かニ…ウチの森の南は比較的平坦ダッタナ」
「森を南に抜けるとすぐにバクラダ王国…ですね。あ、ここに街がある…そこまで近くでもないですけど…途中は小さな丘があるくらい…?」
「ああ。国王がバクラダ派ならこの森の平定に際して彼らに助けを求め派兵を要請するはずだ。バクラダ側からなら近くの街に兵を集めて大軍で出兵できるしな」
「多少兵が増えタくらいデ俺達は負けナイ」
多少ムッ、とした表情でクラスクが反駁する。
戦闘種族としてのプライドがあるのだろう。
「確かに地の利を生かして防衛線を引き、森の中に誘い込んで各個撃破するなら善戦できるだろうな」
キャスの言葉にクラスクはうんうんそうそうそういうの、と頷く。
「だが例えば森をまとめて焼き討ちにされたらどうする?」
「「「ッ!?」」」
「私は半分だがエルフの血が流れている。喩えエルフの住んでいない森であっても傷つけたり焼いたりといった事には抵抗がある。だが彼らにはそんな遠慮はないぞ。だから必要であれば喩えエルフが住み暮らしていようと容赦なく森を焼くだろう。そして焼け出された森の住人を各個に倒してゆけばいい」
「それハ…それハ、困ル」
ううむと腕を組んでクラスクが呻く。
クラスクは己自身がそうそう負けるとは思わないし、喩えそういう状況に陥っても最悪ミエを抱えて包囲を抜け出す算段くらいつけられる自信はあったが、村の連中は別である。
特に女達は厳しい。
そして彼女たちを助けるため無理をすれば他のオーク達も厳しい戦いを強いられるだろう。
「ええっと国王さん…様? がそういうことをなさらないのが…独立派だという理由なんですか?」
「ああ、そうだ、ミエ。もし当代の国王陛下…エルスフィル三世がバクラダ派なら、彼はこの辺りの平定のためバクラダ王国に泣きつくべきだ。当然バクラダはこの周辺のオーク達を討伐し、この国に貸しを作った代償としてこのあたりに街…いや危険なオークや魔物どもから周辺の民を守るための『砦』を建てることを許可させるだろう。この辺りを守護するためという善意を名目にしてな」
「…それぜったい善意ちがう」
「そうだな、サフィナ殿。これは大義名分、単なる『言い訳』だ。そうして橋頭保さえ確保すれば後は簡単、そこに兵を集め国の西からこの王国をじわじわと侵略してゆけばいい。国王がバクラダ派なら、それに対しまともな対応はできず、必死に抵抗したが最後には破れ降伏した…という体でその茶番を終わらせるだろう。バクラダ王国の完全勝利。晴れてこの国は彼らの領土となる」
滔々と語るキャスの望ましくない未来予想図に…その場の一同がしんと静まり返った。
だが…実際にはそうはなっていない。
なってはいないのである。