第122話 養蜂の秘密
「しかし成程…よくできているな…」
村への帰路、キャスは眉根を寄せながら呟いた。
ミエの説明通りなら蜂の巣は上から下に向かって伸びてゆく。
そして女王蜂という蜂の親玉は常に伸びゆく巣の一番下にいて産卵をしていることになる。
キャスはそもそも蜂に女王のような存在がいてその一匹が他の蜂を全て産んでいるという知識もなかったし、それを教えられても蜂の女王なのだから巣の一番奥に鎮座して偉そうにふんぞり返っているものだと勝手に思い込んでいた。
この世界に於いて蜂は人間…いや多くの人型生物にとって身近な存在ではなく、その生態もまたあまり知られていないのである。
だが巣を伸ばしてゆく過程で新しい部屋は常にその先端…すなわち一番下にできるわけだから、女王蜂の仕事が卵を産むことである以上常に最前線にいる方がむしろ自然なのだ。
故に巣の上に行くほど前線からは遠ざかる。
女王蜂の住処の少し上には彼女が産んだ卵から孵った幼虫が育つ場所があり、その上は蜂が成長して出て行った後の空き部屋に花粉を詰め込む場所があり、花粉はやがて蜂蜜となって、一番古い部屋…即ち巣の一番上に溜まってゆく。
なので巣箱の上半分…すなわち蜜ができている部分だけを取り外し頂戴して、元々下にあった部分を持ち上げ、その下に新たに巣が伸びる余地を継ぎ足してやる。
これで継続的に蜂蜜が採取できるようになるわけだ。
キャスはここまで考えたところで、オーク達が担ぐ際に持っていた箱の四方から突き出た丸太が、箱の内側で蜂の巣を固定し落下させないような補助となっていることに気づき、その仕組みにあらためて感心する。
…が、これは言うほど簡単なことではない。
まず巣箱の重量。
担ぐための持ち手が丸太であることからわかる通り、あの木枠ひとつで相当な重さの筈であり、さらに蜂の巣と蜂蜜がたっぷり入ったものとなると屈強な人間を募っても持ち上げられるかどうか。
オークと同じ人数で持てないのであれば人数を増やすしかないが、そうすると今度は持ち手であるあの丸太を伸ばすしかなくなる。
そうすれば当然重量はかさむ。
種族全体が怪力のみで構成されたオークでなければ人員を揃えるだけで一苦労しそうである。
そして巣の切断。
あの巨大な鋸もそうだが、まず蜂の巣の左右に素早く登って上蓋を外すあの要員をどうするか。
あの距離では蜂に刺されるのは防げまい。
板金鎧でも着れば毒針の攻撃をある程度は防げるが鎧の隙間から針を撃ち込まれたらひとたまりもないし、そもそもそんな重装備では身軽に動けない。
あの高さに上るのも一苦労だろう。
最後に撤退する際も重い鎧でノロノロ歩いていてはたちまち蜂に群がられてあの世への片道切符となりかねない。
さらに営巣の準備。
あの大きさの巣箱を用意するのがまず大変だが、それ以上に女王蜂に警戒されぬようにと内部に蜜蝋を塗るのが最大の難関である。
なにせその量の蜜蝋を入手するためにはまず別の蜂の巣をまるごと一つ入手しなければならないのだから。
蜂蜜の運搬の問題もある。
聞けば今蜂の巣入りの巨大な木枠を下から包み、蜂蜜を零さず運んでいる大きな布は全体に蜜蝋を塗り込んで水漏れを防いでいるのだという。
大量の蜂蜜を零さず運ぶにはこうした用意も必要だ。
女王蜂の捕獲という難題もある。
人間なら一、二度刺されただけで毒で死ぬかショック死してしまう猛毒、さらに通常の営巣であれば狂暴な蜜蜂が総出でお出迎えとなる。
彼らを壊滅させ女王バチを手に入れるだけで一つの高難度クエストレベルなのだ。
多少刺されても耐性のあるオーク達とは違うのである。
色々考え合わせると、喩えやり方がわかったところで他の場所、他の人種で蜂蜜の採取を行うのは困難な業と言わざるを得ないだろう。
まさに怪力で頑健で毒にも強いオークならではの採蜜方法と言える。
「成程…これがミエがあえて私に村の秘密を開示した意味か…!!」
この世界では超希少品である蜂蜜を定期的に採蜜するノウハウ。
そんなものが存在すればそれは大商人や王侯貴族が涎を垂らして欲しがる秘中の秘である。
そんなこの村の圧倒的アドバンテージをあえて明かす…普通に考えれば正気の沙汰とは思えないが、それをあえて開示することで逆にオークでなければ困難であることを印象付け、この村の強味を知らしめる。
そんな深謀遠慮が…
「はい?」
にこやかな笑顔でこちらに振り向くミエを見て、キャスは考え直す。
たぶん、いやきっと彼女はそこまで考えていない。
純然たる好意で見せてくれたのだ。
いやそもそも当人的にはこれを好意と認識すらしていないかもしれない。
「…あまり深く考えるでない」
ノーム族のシャミルがキャスの腰をぽんと叩いた。
肩を叩きたかったのだろうが身長的に届かなかったのだ。
「こやつ頭はいいが底抜けのお人よしじゃからのう」
「そう。ミエひとがいい。すごい」
逆側からくいくいとキャスの服を引っ張りながらエルフ族のサフィナがこくこくと頷く。
「そのあたりであまり悩み過ぎると逆に疑心暗鬼になるぞ。或いは自己嫌悪か。わしがそうだからわかる」
「あのー…そういう話はできれば本人のいないところで…」
「いや、別に私はそういうつもりでは…」
ニヤニヤ笑いながらからかうシャミルの言葉に困ったような笑顔で返すミエ。
間に挟まれ恐縮するキャス。
「しかし感心したのは本当だ。まさかこんな方法があるとは…」
彼女たちの背後で布の上に乗せた巨大な木枠…中に大量の蜂蜜が入っている…を運搬するオーク達を見ながらキャスが素直な感想を述べる。
そちらの方にサフィナが手を振ると、運搬を先導していたワッフが嬉しそうに両手を振って応え、隣にいたオークに小突かれた。
「いやそれがほんとは重箱式じゃなくって巣枠式にしたかったんですよねー…」
「なに? もっと優れた方法が?!」
「うむ。ミエにアイデアを聞いたときは驚いたが確かにあちらの方が効率的じゃな。ただ…」
「巣枠に蜂の巣をはめ込む作業をする時と採蜜する時、蜂から一斉攻撃を受けちゃうんですよね…蜂毒が効きにくいと言っても流石にそんなに大量に刺されるとオークでも危険らしくて断念しました」
「あとは滑車じゃな。ミエの言う今のジュウバコ式? も木枠をもっと大型にして三段くらい重ねたものを動滑車で入れ替えるようにすればもっと効率を上げられるんじゃが、いかんせん巣に近づけるオーク共が滑車の原理をまったく理解できんでのう」
「私達が近づけないのが痛いですよねえ」
「うむ。或いはボタン一つレバー一つで稼働できる程度に使い手側の方式を簡略化できればオークどもでも操作できるんじゃろうが」
「ああ、ユーザーインターフェースの改善ってやつですね?」
「お主はほんとに妙な言葉を知っておるのう」
「「はあ…」」
ミエとシャミルが二人で腕を組んで首を傾げ溜息をつく。
隣でサフィナが真似っこをして腕を組み、横目で二人を確認しながら同じような角度で首をくくいと傾けた。
「ま、そんなわけでなるべく面倒なギミックをなくして単純な力だけでどうにかできるように考えたのが今のオーク流重箱式です! というかむしろ逆に思ってた以上に力でどうにかできちゃったって部分が大きいんですが…」
「腕力でなんでも解決できるあたりが確かにオークらしいの。カカ!」
ケタケタと笑うシャミル。
真似っこして腰に手を当て胸を反らすサフィナ。
「さ、村が見えてきましたよ。さ、皆さんもうひと踏ん張り! がんばってくださいね!」
「ミエの姐御の仰せのままに!」
こうしてミエ一行とオーク達は…無事村に辿り着いた。
ここからが…村の女たちの戦場である。