第105話 誤解とすれ違い、再び
「ん……っ」
キャスバスィがゆっくりと目を覚ますと、そこは先程と同じ場所だった。
違うところと言えばサーコートと板金鎧とその下の鎖鎧、さらには肌着までが脱がされていること、両足首が縛られて背後の樹に繋がれていること、両手首が縛られて頭上の木の枝に結び付けられていること。
つまりはまあ、彼女は下着姿でものの見事に虜囚の身となっているわけだ。
「ン…目覚めタカ」
先刻クラスクと名乗ったオーク族の族長が、彼女から少し離れて胡坐を掻いて座っている。
彼の前には昼間なのに焚火があり、その脇になにやら煙を放つ手斧が転がっていた。
キャスバスィの鋭敏な嗅覚が肉の焦げたような異臭を感じ取る。
よく見るとクラスクの肩の傷が塞がっていた。
熱した金属を押し当てて無理矢理傷口を塞いだようだ。
なんとも痛々しいことこの上ないが、逆に言えば彼女の最大の一撃を以てしてもその程度しか傷を与えられなかったということでもある。
完全な敗北と言っていいだろう。
「く…殺せ…っ!」
オークに鎧を脱がされ、下着姿を見られ、あまつさえ拘束されて惨めに恥を晒している。
そんな姿から一刻も早く解放されたくて、思わずそんな言葉が先に出る。
「オ前馬鹿カ」
「なに!?」
「殺すナらこンナ手間かけナイ。そんナこトもわからナイノハ馬鹿じゃナイノカ?」
「ぐ……っ」
オークに正論を言われ言葉に窮する。
屈辱と言うならこれ以上の屈辱もあるまい。
なにせオークと言えば馬鹿力と低能の代名詞なのだから。
「そもそもオ前死にタがりか? そうイウ奴人間ドモの中にイルノ知っテル。お前もそうナノカ」
「それは…!」
違う。
断じて違う。
キャスバスィは死にたくない。
死ぬつもりもない。
どうにかして生き延びて果たすべき…果たさねばならぬ約束があるのだから。
己の矛盾をよりにもよってオークに指摘されたことで、彼女はさらに冷静さを欠いてゆく。
「うるさい! ならば生かしてどうする!」
「お前気に入っタ。うちノ村に来イ」
「な……っ!?」
…ここで二人の歯車は決定的にズレた。
クラスクはミエの応援で眼力…いわゆる人を見る目が育ちつつあり、それによってキャスバスィの本質を見抜いていた。
(コノ女…もシかシタらうちノ村ニ協力シテクレルカモしれン…フム)
騎士団の団員どもを殺さず捕らえたのは自分達が危険な存在でないと主張する意味も勿論あったが、村外からの情報提供者や村の協力者を探す目的もあったのだ。
またクラスクは先刻の戦いでキャスバスィのことを随分と気に入ったようで、もし誘うなら彼女が一番よろしかろうと判断し、こうして声をかけたわけである。
だがキャスバスィには彼らの村の事情はさっぱりわからない。
まあ事前情報が一切ないのだから当たり前と言えば当たり前ではあるのだが。
ゆえにそのオークの口にする「気に入った」は、当然『オーク流のそれ』に聞こえてしまう。
かああああああああああああ、と尖った耳の先端まで赤くなってゆく。
オークの討伐を命じられている以上当然彼女もオーク族の習性については知っていた。
女を攫い、拐かし。
縄で縛り、鎖で繋ぎ止め。
襲いかかり、嬲り、蹂躙し、その肉体に快楽の顎を刻み込んで屈服させる。
それが彼らのやり口であると。
つまりこのオークは…先程の戦いで己を見初め…自分の女にしたいと言い出したのである!
…とまあ、そんな風に解釈してしまったわけだ。
「そ、そ、そんなこと…っ!」
「嫌カ」
「あ、あ、あ、当たり前だっ!!」
「ソウカ…」
う~んと腕を組んで考えるクラスク。
外の世界でのオーク族に対する風当たりは相当にきつい。
まあ種としての彼らのこれまでの行状を鑑みれば当然と言えば当然なのだろうが。
いくらクラスクが心機一転して村を作り直そうとしていてもそれ自体が外に伝わっているはずもない。
クラスクはこれから己に待ち受けるであろう困難を、キャスバスィによって改めて突き付けられたように感じた。
(デモこの女ガイイナア…)
騎士達をまるごと捕らえはしたけれど、他の騎士どもを遠目で見た時にはピンとくる相手はいなかった。
それにこの娘は己の個人的な目論見とも合致している。
可能ならこの娘に協力を頼みたい。
(ソウダ。部下ノ連中見逃しテやっタら感謝しテくれルカ?)
ふむふむ、と腕組みをして幾度か推考する。
悪い条件ではないはずである。
「交換条件出す。お前が村に来てくれルナら、他ノ連中解放しテやル」
「なに…っ! 皆生きているのか!?」
「俺達とやり合っタ連中全員生きてル。多少怪我しテルかもしれんが殺すつもりデ襲っテ来タ奴らダからそこは勘弁しロ。俺達ノトこ来ル前に野垂れ死んダ奴ハ知らン」
「そうか…そうか…!」
安堵の吐息を漏らしながら下着姿で幾度も屈伸と伸びを繰り返し、己を縛る縄の可動域と縛り方を確認するキャスバスィ。
どうにも相当きつく縛られていて、単身でこの捕縛を逃れる術はなさそうだった。
そう言えば以前他の騎士隊の隊長から聞いたことがあった。
オーク族は、その習性から皆縄の扱いが非常に巧みなのだという。
その言葉を思い出し、己の姿も相まって彼女の頬は再び朱に染め上がる。
「…ひとつ聞きたい。全員生きているのはわざとか」
「当タり前ダ」
「そうか…」
オーク達を全滅させるつもりで戦った騎士達と。
はじめからこちらを殺さずに無力化するつもりだったオーク達と。
殺して勝つより殺さないで勝つ方がずっと難しい。
認めざるを得ない。
練度も、指揮も、地の利も、全てにおいてオーク達は彼女の指揮する騎士隊を上回っていたのだと。
そしてその捕らえた騎士達を交換条件にして…このオークは己に屈服を迫っているのである!!
「なんと卑劣な…ッ!」
「エエー…?」
彼としてはかなり譲歩して好条件を出したはずなのだがそれでも不服だという。
クラスクは困惑した。
ただそれに関してはミエともども危惧していたことではある。
いかに彼らが友好的であると謳おうと、これまでの歴史がそれを真っ向から否定する。
クラスク自身の問題ではない。
オークという種族自体が抱えている莫大な負債のようなものなのだ。
(ともかく村ニ来てもらえば誤解は解けル…ト、思ウ。ソウダ、期限を設けタらドうダロウ!)
信用できないというのならとりあえずお試しでもいいから招くのだ。
見てもらわねば、来てもらわねばわからないことがあるはずだ。
そのためにはもっともっとハードルを下げるべきなのだ。
うんうん、とクラスクは己の出した結論に満足し幾度も頷いた。
「ならこうシよう。三ヶ月ダ。うちの村に留まルノ三ヶ月ダケデイイ。三ヶ月経ってマダ帰りタイ言うナら、そノまま返しテやル。それなら文句ナイダロ?」
「な、な、な…っ!」
しゅうううううと額から湯気が上がり、彼女の全身が薄桃色に染まってゆく。
下着姿なだけにその変化はクラスクにもすぐに見て取れた。
ただその理由が理解できず、クラスクは腕を組んで怪訝そうに首を捻る。
…クラスクにキャスバスィの気持ちが理解できぬように、キャスバスィにもまたクラスクの心理や思考回路はわからない。
そもそもオーク族は常に仏頂面であまり感情が顔に出ない種族なのだ。
ミエならば夫の感情を一目で見て取れるだろう。
他の村娘達もそれなりにわかるようになってきてはいる。
だがそれは彼女たちがオーク族とそれなりの期間共に過ごしているからであって、村外の者にそのような機会があろうはずもない。
ゆえに…キャスバスィにはクラスクの台詞はこう聞こえた。
三ヶ月の猶予があれば、その間己の体にたっぷりと快楽を刻み込み、悦楽を流し込み、調教を施すことができる。
そして最終日を迎えたその時、すっかり仕上がって肌を上気させた己に隷属の誓いを口走らせ、村に永劫留まり彼の性処理用の玩具になりたいと…『オークの花嫁』にしてほしいとこの唇に…その頃には彼に幾度も幾度も使われた後であろうこの唇に言わせてみせると、そのように躾けてみせると…彼はそう宣言したのだ。
彼にはそれができるという絶大な自信と性的技巧があるのだ。
つまりこのオークは……三ヶ月あれば己を堕としてみせると宣言したのである!!!
…誤解、ここに極まれり。
「ドウダ。悪くナイ条件ダト思うガ」
「なんという自信…なんという不埒…貴様、私がそんな易々と屈服するとでも思ったか…!」
「屈服……共通語…意味、確か、負けて従ウ……? ナらお前もう屈服しテル?」
「してなーい! 屈服なんてしてないぞ私は!!」
「しテル」
「してないっ! しーてーなーいー!」
子供のように喚きたてるキャスバスィ。
どうにも先刻戦っていたときとはだいぶ様子が違う。
まあハーフエルフゆえ八十年近く生きてはいるけれど、人間に換算すればまだ二十歳になるかならぬか程度である。
年齢から考えればむしろこちらの方が年相応ではあるのだが。
さて…彼女が平静でいられないのには実は理由がある。
オーク族は暴力を伴った交渉に≪威圧≫のスキル用いる。
けれどクラスクは族長と言う新たな立場上暴力を用いぬ交渉の必要に迫られた。
ゆえに魅力に関わる交渉スキル…いわゆる≪カリスマ≫を獲得していたのだ。
ただし≪カリスマ≫の修得には前提条件としてある程度高い魅力値が必要となる。
彼はミエの≪応援≫によって他のオーク族に比してかなり高い魅力値を有してはいたけれど、オーク族は種族特性として魅力の初期値が低く(そう、とても低く)、クラスクの今のステータスでも≪カリスマ≫の修得条件を満たしてはいない。
ゆえに彼は≪限定スキル≫によってそれを補っていた。
≪限定スキル≫とは例えば小人達が保有している≪小さき身かわし(対巨人)≫や宗教家などが獲得している≪煽動(信者)≫などのように、スキルの対象が限定されているものを差す。
≪限定スキル≫は通常のスキルに比べ有効範囲が狭い一方、修得条件が緩く、また対象を限定している分効果値が高いという特徴がある。
クラスクは同族たちを総べるため≪カリスマ(オーク族)≫というスキルを獲得して彼らの指導に当たっていたのだ。
…が、そこにミエの≪応援≫が加わることで少々厄介な話になる。
彼女の≪応援(旦那様/クラスク)≫は以前よりさらにレベルが上がっており、≪スキル対象範囲拡大≫の効果を発現させていた。
これは特定の対象…つまりクラスクのことだが…が彼女の≪応援≫の効果下にある間、保有している≪限定スキル≫の効果範囲が一段階広くなる、という効能を持つ。
通常は噛み合わなければ大して意味のない死にスキルなのだが、クラスクの場合≪カリスマ(オーク族)≫がまさにこの対象となってしまった。
つまりクラスクはミエに応援されている間…つまりほぼいつでも…≪カリスマ(オーク族)≫ではなく≪カリスマ(人型生物)≫を有していると扱われるのである。
それも、高い効果値のままで。
そう、今のクラスクは…
困ったことに、人間族やエルフ族から見てもとても魅力的に映ってしまうのだ。