第100話 暗がり森、豊穣の森
「しっかし流石隊長だぜ。この暗がりの森を無事に抜けられるのは王国騎士団の中でも我ら翡翠騎士団第七騎士隊だけ! だもんな! ハハハ!」
「見たか王都を出る時の白銀騎士団や紅蓮騎士団どもの悔しそうな顔! ありゃあ傑作だった! ワハハハハ!」
「他の騎士隊の連中にも見せつけてやりたかったぜ!」
騎士達が愉快そうに笑う。
彼ら翡翠騎士団はアルザス王国に所属する、国王直属の騎士団である。
単純に考えればもっとも位の高い騎士団だ。
だがアルザス王国はあの大戦の後に作られた新しい王国で、その成り立ちには色々複雑な経緯と事情がある。
ゆえに彼らはこの国においては最も位が高い騎士団というわけではなく、あくまで国王『派』の騎士団に過ぎない。
当然ながら他の派閥に属する騎士団や騎士隊もあって、彼らは己の派閥の名誉やら利益やらを巡って日々鎬を削っている。
翡翠騎士団に属する彼らもまた、他の騎士団に出し抜かれたり煮え湯を飲まされたりしたことが幾度もあった。
それゆえ今回の一件で他の騎士どもを出し抜けたことが痛快で、思わず快哉を叫んでしまったというわけだ。
この森を抜けられる、というのはそれほどの重大事なのである。
…国の中央に位置するこの森は、現在エルフ族が占拠していて人間の立ち入りを拒んでいる。
ゆえに国の東部に位置する王都から西部や南西部へ赴くためにはこの森を避けて北か南から大きく迂回せねばならず、日数と食料と費用とが無駄にかさんでしまう。
少数ならまだしも軍隊を送り込むとなると結構洒落にならない負担増となってしまうのだ。
そうしたこともあって、今回の彼らの遠征は今後も兼ねたテストケースとして注目を浴びていた。
「こら、あなたたち! 騒ぐのもいい加減にしなさい!」
「うわ、副隊長が怒った!」
「逃げろや逃げろ。裁きの神の雷が落ちるぞ!」
「落ーとーしーまーせーんー! あとあなた達が怒られるようなことをするからです!」
談笑する隊員たちを副隊長のエモニモが叱りつけ、騒いでいた隊員達が大袈裟に怖がり、腰を浮かせて小走りで逃げ出す。
エモニモがそんな彼らを早歩きでかつかつと追いかけ、そのまま焚火の周囲で追いかけっこが始まった。
他の隊員はすっかり慣れたもので、手を叩いたり囃したりしながらそれを見物している。
「………………」
キャスバスィは彼らからやや離れたところに座り、周囲への警戒を続けながら細身の剣の手入れをしていた。
細身…といってもレイピアよりはやや肉厚で、エストックに近いものだ。
今や亡き彼女の母が使っていたものを受け継いだ、愛用の剣である。
隊員たちの言う通り、王国の戦力でこの森を無事抜けられるのは現状翡翠騎士団だけ。
それも彼女たち第七騎士隊のみである。
彼女に流れるエルフの血が、この森に住むエルフたちに渋々通行を認めさせているのだ。
もちろん無条件にではない。
彼らとの仲を修復するためにキャスバスィはそれこそ足が棒になるほどエルフ達の元に赴き交渉を重ねてきたし、彼らの悩みを幾つも解決してきた。
その上で今回の一件、彼女の配下の小隊程度の規模ならば…という条件付きで認めてもらえたのだ。
ゆえに今回の任務は彼女たち第七騎士隊のみでこなさなければならない。
自分の内にあるエルフの血が役立つ、というのは彼女にとってあまり気分のいいものではなかったけれど、団長からの命令というなら仕方ない。
団長には多少なりとも彼女の件で『恩』と『借り』があるからだ。
(暗がりの森、か…)
暗がりの森…人間族の隊員たちがそう呼んでいるこの森を、だがエルフたちは異なる名で呼ぶ。
『豊穣の森』。
それがエルフたちの呼び方である。
両種族のこの森への呼び方が…そのままこの森を巡る互いの種族の軋轢の一因ともなっている。
かつてこの地で魔族どもと激しく戦ったあの大戦。
多くの種族が手と手を取り合って魔物どもと、そして魔族どもと刃を交えた。
無論人間族とエルフ族もである。
事の発端まで遡ればキャスバシィの両親…人間族の父とエルフ族の母…もまたその戦いが縁で結ばれた。
そういう意味ではこの地もその戦いも彼女のアイデンティティと切っても切れぬ関係にある。
だが…戦が終わり、『平和』と、そして『不和』が訪れた。
魔族どもの跳梁を止める、という名目で版図拡大のためにこの地を求めた人間族と、魔族の跋扈によってこの地にあった森から追い出され、その奪還が悲願であったエルフ族。
領土を求める互いの主張に歩み寄る余地はなく、結局同意が得られぬままエルフ族はその森に無理矢理住み着いてしまった。
当然人間どもは憤り、エルフ族との関係は一時最悪となった。
その後色々あって一触即発とまではゆかなくなったけれど、未だに互いの種族は険悪なままなのだ。
街を作るためには木材が大量の必要である。
手近にあるその森の木を築材として使わせて欲しい。
いいやそれは罷りならぬ。
ここは我らの故郷、木の枝一本たりとも手折らせるものか。
そうした対立が枚挙に暇がないほど立ち上り、その殆どが未だに合意を得るに至っていない。
関係の修復にはまだまだ相当の時間が必要となるだろう。
さて、キャスバスィはエルフ族の母をその戦で失い、人間族の父に引き取られ、
けれど復讐に駆られ戦場に身を投じた父もまた戦禍の中で命を失った。
そうして訪れた平和な世界は…けれど彼女にとって受難の時代の始まりに過ぎなかった。
戦災孤児となってしまったキャスバシィは人間の街でエルフ族として酷い迫害を受けた。
先述の通り当時はエルフ族と人間族の仲が非常に悪かったからだ。
仕事を断られ、石を投げられ、エルフであるという理由だけで襲われたり追われたりもした。
生き延びるために王都の路地裏で他の浮浪者と残飯を巡って争った事もあった。
同じような孤児どもを暴力で従え結託し、徒党を組んで悪さをしていた時期が一番長かった。
そうして己のエルフとしての半身を散々拒絶され、否定された彼女は、やがてエルフの森への憧れを強くしてゆく。
エルフの血が流れている自分は人間たちの世界にいるべきではないのでは、エルフの森にこそ居場所があるのでは…そう信じて。
けれど、必死の想いで飛び込んだこの森で…彼女はエルフたちに弓を向けられた。
『人間』として。
彼女は己の半身を…別の半身が住まう地でそれぞれ否定されたのだ。
その後様々な事件や出来事があって、彼女は騎士に取り立てられ騎士隊長にまで出世した。
さらに今はこうして彼女の隊のみであれば森の通行を認められる程度にはエルフ族との関係も修復できた。
けれど…それでも当時受けた二つの拒絶、そのわだかまりが彼女の内で解けたわけではない。
副隊長エモニモと騎士たちが追いかけっこがだんだんとエスカレートし、喧騒が大きくなってきた。
エルフ族は静寂を乱されるのを嫌う。
これ以上騒ぎが大きくなる前に釘を刺しておかなければ。
キャスバシィは手入れを終えた剣を鞘に納め、部下達の元へ歩を向ける。
己の居場所…エルフとしても人間としても生きられない中途半端な自分『達』の居場所は、一体何処にあるのだろう。
本当にそんなものがあるのだろうか。
そんなことを、心の内で呟きながら。