雪と一緒に降って来た『なにか』が人を殺していく
白い。
朝起きたら街が真っ白に染まっていた。
例年よりも降雪量が多いと以前から予想されていたが、ニュースでは戦後最悪の雪害になると報道されている。
キャスターの原稿を読む様子が、いつもよりも深刻そうに見えた。
各局が予定していた放送内容を変更し、降雪状況の中継に切り替えている。
大きな被害が出ているようだ。
ここはマンションの七階。
地上を見下ろすと、雪が地面や建物の上に積もっているのが見えた。
隣のマンションの駐車場が完全に雪で覆われており、車が一台も目視できない。
ようやく事の深刻さを把握した私は、急いで会社に連絡した。
幸いにも自宅待機の指示が出たので、ほっと一安心。
でも……この状況だと外へも出られないし、どうしようか。
とりあえずコーヒーでも入れようと思い、電気ケトルで沸かしたお湯をマグカップに注ぐ。インスタントはすぐに用意できるから便利で好きだ。ドリップだと手間がかかるんだよね。
湯気の立つコーヒーを一口すすり、真っ白な世界をぼんやりと眺める。
何か妙なものが降って来るのが見えた。
雪に交じって落ちてくる、ふわふわした物体。
それが何かよく分からない。
でも、明らかに雪でないことは確かだ。
今まで見たこともない、異常な存在であることは理解した。
それは地面へと落ちていき、道脇に積まれた雪の中に混じって見えなくなる。
何か変なものを見てしまっただけだろう。
頭をもたげた不安を打ち消し、スマホでお気に入りの動画でも見て時間を潰すことにした。
『ざわざわ』
外が騒がしい。
いったい何があったんだろう。
ベランダから下を見ると、おじいさんが一人倒れている。
血を流しているようであたりが赤く染まっていた。
可哀そうに。
転んだのかな。
でも……あんなに大量に血がでるものなのだろうか?
不憫に思いながらも、私にできることはないと思って部屋の中へ入った。
その数分後。
『ぎゃぁぁぁぁ……』
悲鳴が聞こえる。
再び見下ろすと、倒れている人が増えている。
二人、三人、四人……。
何人も、何人も、血を流して倒れている。
いったい何が起こっているんだろうか?
「助けて! たすっ……げぇ!」
助けを求めていた年配の女性がうずくまって動かなくなった。
周囲に血が広がって行く。
おかしい。
何かが起きている。
でも、原因が分からない。
倒れている人たちの周りには足跡がない。
年配の女性もひとりでに倒れて出血したのだ。
この状況はあまりに不可解である。
ふと、先ほど雪に交じって振って来た物体のことを思いだした。
あれが……もしかしてこの惨劇の正体?
だとしたら近づいては行けない。
触ってはいけない。
もしあれが傍に来たら、私も彼らと同じ目にあうだろう。
慌てて窓を閉めて部屋の中へ。
ニュースを付けても、このことはまだ報道されていない。
降雪量のひどさを訴えているだけだ。
じゃぁ、SNSは?
スマホを取り出し、何度かワードを変えて検索をし直す。
『死体 雪 血』
『事件 雪 傷害』
『雪 死体 事件』
しかし、私が求めていた情報は出てこない。
古い記事や呟きがヒットするだけだ。
この状況なのに誰も気づいていないのだろうか?
近所の誰かが呟いていてもいいはずなのに!
『たすけてえええええ……!』
また悲鳴が聞こえる。
窓を開けて様子を見たいけど……怖い。
怖くて外の様子が確認できない。
見えるのは降りしきる雪ばかり。
あっ……まただ。
何かがまた雪に交じって振って来た。
ふわりふわりと漂うそれは、隣のマンションのベランダに落ちて行った。
そして……。
『ぎゃああああああああああああ!』
その部屋から悲鳴が聞こえる。
赤い何かが噴き出して、窓の内側に吹き付けられる。
いっ……いったい、何が起こっているの?
これは……どういう……。
我慢できなくなった私は警察に通報することにした。
住所と電話番号と氏名を落ち着いてオペレーターに伝え、見たままのことを伝える。
「分かりました……ですがいまこんな状況なので、
警察官が到着するのが遅くなると思います。
それまで落ち着いて待っていられますか?」
私は震える声で「はい」と返事をする。
でも……平静を保っていられる自信はなかった。
雪はやまない。
次々と降りしきる。
その中にアレの姿を探す。
どこかにいるはずだ。
きっとどこかにいるはずだ。
もしかしたら私の所へ来るかもしれない。
もし来たらどうしよう。
もし来たらどうしようか……。
こわい、こわい。
私は布団にくるまって外を見ないようにした。
SNSで情報提供を呼び掛けているが、何の反応もない。
何度も更新するが、みんな普段通りの会話をしているだけ。
どうして……?
なんで?
私はこんなに恐ろしい想いをしているのに。
どうしてあなたたちの日常は平和なままなの?
『いだい! いだいいだい! ああああああああ!』
また悲鳴だ。
さっきよりも近い。
どんどん近づいて来る。
こわい、こわい。
誰か助け……。
ぴんぽーん!
インターホンの音!
警察だ!
私は布団からはい出して、真っすぐに玄関へ向かってかけていく。
「助けて! 助けて下さい! たすっ……」
「お待たせしましたー!」
そこに立っていたのは警察ではなかった。
フードデリバリーの配達員だった。
「え? え?」
「あの……もしかして部屋、間違えちゃたかなぁ?
えっと、フードデリなんですけど、注文しました?」
私は黙って首を横に振る。
「そうですかー! ごめんなさい! お騒がせしました!」
「待って!」
立ち去ろうとした配達員を必死に引き留めた。
「え? なんですか?
悪いですけどこれは他の方の……」
「死体! 死体みたでしょ!
このマンションの前で!
人が死んでるの!
血っ! 血を流して!」
私が必死に尋ねると、配達員は困った顔で首をかしげる。
「はぁ……死体なら見ましたけど、それが何か」
「え? だっ……だって死体だよ⁉」
「ええ、はい。死体……ですね」
「さっきまで生きてたんだよ!
殺されちゃったんだよ⁉
それなのに何でそんな反応なの⁉」
配達員はますます困惑する。
「いや……死体が転がってたくらいで、
仕事を投げ出すなんてできないですよ。
いちいち気にしてたら仕事にならないですし」
「え? え?」
「それにさぁ、さっき僕も襲われましたけど、
あれよっぽどトロくないとやられませんよ。
犠牲になってるの年寄りばかりだし。
俺には関係ないですね。
んじゃ」
配達員はそう言って隣の部屋のチャイムを推す。
「お待たせしましたー!」
「あっ、来た来た!」
どうやら隣の部屋の人が注文した品だったらしい。
私は部屋に戻って、再度SNSを眺める。
雪かきや雪合戦をして楽しんでいる様子を投稿して楽しんでいた。
いったい……私は何を怖がっていたのだろう。
ふとベランダを見ると、それがいた。
小さな白いふわふわとたそれは、じっとこちらを見ている。
視線を合わせていると、欄干から滑り落ちるようにして姿を消した。
どうやら私のことを狩るのは諦めたらしい。
『うわあああああああああああああ!』
すぐ近くでまた悲鳴が聞こえる。
この声は……下の階の人だ。
私の生活音がうるさいって、何度か抗議しに来たんだっけ。
うるさかったなぁ……あのジジイ。
なんだか急に緊張が解けてしまった。
さっきまでの恐怖が嘘のように消えている。
安心した途端、お腹の虫が鳴った。
何か食べたい。
さっきの配達員のことを思いだし、あのサービスを利用することにした。
スマホで注文をすると配達まで時間がかかるとのメッセージ。
もう一度コーヒーを飲もう。
お気に入りの曲を聞きながら、雪でも眺めて気長に待てばいい。
窓の外を眺める。
真っ白な雪が絶え間なく降りしきっていた。