終章
「美空ちゃん。本当に帰っちゃうの?」
「あぁ、世話になったな」
傷の癒えた美空が巽町から去る日がやってきた。藤屋の前でリップと菫は寂しい表情を隠す気も無く、別れを惜しんでいた。
「そんな顔をするな2人とも。私の住む葵町から、この町はそう遠くはない。いつでも会えるさ」
「まぁ、それはそうなんだけど…」
「寂しいものは寂しいよ」
空はどこまでも透き通り青い。遣らずの雨でも降ってくれればいいのにとリップと菫は思ったが、美空は頑固だから雨が降ろうが槍が降ろうが、自分が帰る日をズラすことはないだろう。そんなことが解るぐらいに3人の仲は親友と呼べるものになっていた。
「ところで秋水先生は?見送りに来てくれないの?」
菫の質問に美空はイタズラが見つかった子どものような表情と冷や汗を顔に浮かべた。
「美空ちゃん…」
「まさか…」
「…あぁ、お察しの通りだ。琳太郎様には私が今日、この町を去ることを言っていない」
「んも~」
「少しは素直になったかと思えば!」
「し、仕方ないだろう!敵に捕まり無様な姿を見せてしまって、合わせる顔がないのだ!」
「だからってさ~」
女三人よれば姦しいとはよく言ったもので、藤屋の前には三人の明るくも騒がしい声が波打っており、道行く人の目を留めた。
「このまま帰っても、また後悔すると思うよ!美空ちゃんは本当にそれでいいの?」
「そ、それは…」
「うん。美空ちゃんが良くても私が許しません。という訳でリップ。大至急、秋水先生を呼んできて」
「アイアイサー」
「ちょっ!待…」
美空の制止の声は届かず、リップは颯爽と走り出していた。逃げ出そうにも菫がガッチリと腕を組み、動けない。
「美空ちゃん。覚悟を決めよう」
「前から気になっていたのだが、菫。お前、本当にただの茶屋の娘か?」
秋水の住む部屋には清兵衛と儀エ門が訪れていた。画材などの道具も含め、一切が片付けられている。
「やはり、この町を出ていくんだな」
「あぁ、世話になった」
「寂しくなりますね」
女性陣と同様、琳太郎と清兵衛の仲も深まり、今では砕けた口調で会話をしている。儀エ門は丁寧語だが、癖みたいなもので彼と琳太郎も今では親友と呼んでも問題はない。
「理由はどうあれ、私は棗さんを斬った。弔いはしなければならない」
琳太郎が紋次郎を斬った件は、知人の女性(美空)を人質に取られたために止む無く斬ったと奉行所に報告した。丑蔵が呼びつけた浪人たちを事前に捕らえていたので、琳太郎は罪に問われずに済んだのだが、あまりに都合の良い展開に清兵衛は首をかしげている。
勿論、この件には巽町奉行の田沼喜一の計らいがあった。秋月の書という、存在そのものが世間に広まれば幕府の根幹が揺らいでしまう代物が関わった事件など公にするべきではない。清川丑蔵は不逞の浪人たちを雇い幕府転覆を計ったために処刑され、棗紋次郎は私闘の末に斬られた。それがこの事件のあらましとして田沼は処理をしたのだ。
「確か生まれは伊予なんだろう?そこまで行くのか」
「いや、彼は生家とはほぼ絶縁するような形で家を出たそうなんだ。しかも棗家は伊予藩では武の名家。私闘の末に命を落とした者を家の者として認めないだろう」
「……」
「大切なのは世間体…か」
「あぁ。だからせめて秋月道場の門下生として弔ってやりたい」
「なるほど。じゃあ秋月の家に戻るんだな」
「あぁ」
琳太郎が生まれた家に戻るのは紋次郎の弔いのためだけでは無い。取り戻した秋月の書を父と兄に返納するためでもある。
「私は平和な世界を作るために剣を学んできた。しかし秋月家は、光陰流は将軍家御指南役という地位を得た為に、名声を我が物にしようとする権力闘争を目の当たりにして剣を捨て、絵の道へと逃げた。絵を描くことで、剣とは違った手段で平和を目指さると思ったんだけどな」
「神や仏じゃあるまいし、お前一人がどうにかして世界を平和にできるとでも思ってんのか?」
「俺たちも助人屋なんて屋号を掲げてますけど、世の中の助けを求める人全てを助けることなんてできませんしね」
「そうだな。一人で何でもできる、何とかしなければいけない。その想い自体、驕りだ。世界を、他人を見ているようで自分のことしか見ていなかったんだ」
「でも、今は違うんだろ?」
「あぁ、お節介な友達がいるからな」
琳太郎は2人を見て笑った。つられて2人も闊達に笑い声をあげた。
「とにかく、家に戻りやるべきことを済ませたら、そのまま旅へ出るよ。もっと自分の足で広い世界を歩き、この眼に多くのことを焼き付けたいからね」
「そりゃいい」
「俺もいつか発明の旅に出たいなぁ…菫ちゃんと」
「発明の旅はともかく、菫さんを口説き落とすのは至難だな」
「大丈夫!発明も恋も最後の一回が成功すれば、千回の失敗は報われる!」
儀エ門は力強く宣言した。冗談ではなく、本気で思っている。彼のそんなバカみたいな真剣さが清兵衛も琳太郎も好きなのだ。
「…きっと、棗さんに必要だったのは地位ではない。友達だったんだ」
「あぁ…そうかもな」
纏わりつく不気味な剣気と共に清兵衛はまるで迷子になった子どもに塗りたくられた不安の色を紋次郎が放っていたことを思い出した。もっと別の場所で出逢えていたら、紋次郎とも笑いながら酒や言葉を交わせていたのかもしれないと忸怩たる想いが清兵衛の心に瞬いた。
だが、起きたことだけが現実である。棗紋次郎とは敵対し、彼を死へと導いた。その業を背負い琳太郎も清兵衛も生きていくしかないのだ。
「ところで美空さんには、今日のことを話したんですか?」
「? いや、話していないが」
「おいおい」
「自分のことを棚に上げておいて何だが、あいつも人付き合いが得意な方じゃない。でも、この町に来て友達ができた。今のあいつに必要なのは剣の修行ではなく、リップさんや菫さんと過ごす時間だよ。私が秋月の家に帰ることを話すと、お供しますとか言ってついてくるに違いないからな」
「いや、まぁ。そりゃそうかもしれんが」
「ねぇ?」
清兵衛と儀エ門は苦い笑みを浮かべ目を合わせた。
剣の秀才・秋月琳太郎、売れっ子絵師・秋水の唯一と言ってもいい弱点。それは自分に向けられる恋愛感情に疎いことだ。
「たのもー!秋水先生…ってあれ?何で2人がここに?」
「そりゃこっちの台詞だ、リップ」
「そんな事より、秋水先生!今すぐ私と来てください!」
リップは琳太郎の腕を掴んだ。
「ちょっと、リップさん。どうしたの?」
「詳しい話は後で!とにかく今は私についてきてください」
「リップ」
「親分、悪いけど後にして!本当に急いでるの!」
「美空がこの町を出ていこうとしているのか?」
「え!?何でそれを?私と菫ちゃんしか知らないはずなのに…」
戸惑うリップの傍で儀エ門は部屋を壊さんばかりの声で笑っている。清兵衛は苦笑しながら頭を自分の頭を撫でていた。琳太郎は目を指で抑え、顔は伏せているため表情は読めないが耳は赤く染まっていた。
「全く似た者同士だな、お前らは」
「やめてくれ清兵衛。よく分からんがこの上なく恥ずかしい」
「とにかく行きましょう!」
清兵衛たちに引きずられるように琳太郎は外へ出た。
絵師・秋水、秋月琳太郎は全国を渡り歩き多くの絵画を描く中で、光陰流の技の全てを図解を交えて記した『秋月之抄』という兵法書を完成させた。イラスト付きのその兵法書は老若男女問わず読むことが適った。だが、やはり本を読むだけでは光陰流の真理や技を習得することはできない為、結果として秋月光陰流の入門希望者は途絶えず、末永く発展した。
そして、かつて秋月光陰流の兵法書であった『秋月の書』は『秋月之抄』ができたことで、燃やされ、灰になったと伝えられているが、その事実は誰も知らない。
ここまで読んでくださった方。ありがとうございました。
元々この作品は舞台の脚本として思いついたものです。
以前より長い小説を書いてみたかったので、思い切って小説に書き起こしてみたのですが、書いては消し、消しては書くものの「本当にこれでいいのか?」と迷うばかりでした。
もっと設定を練り、自分の小説を書く技術を磨いてから執筆をするべきだったのかもしれません。しかし、どんなに粗削りでも不格好でも『完成させる』という行為をしなければ、いつまで経っても小説を書く技術は磨かれないと思い、今の自分が書ける技術で完成させました。
この作品を通して小説を書くということが自分は好きなのだと改めて自覚しました。これからもっともっと腕を磨き、呼吸をするように小説を書けるようになった時、またこの作品をリライトするかもしれません。
その時は成長したボクと新しい魅力で彩られた『絶刀・鏡花水月』をよろしくお願いいたします!




