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絶刀・鏡花水月  作者: さのだいき
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五章

 棗紋次郎は焦っていた。清川丑蔵が先日、盗人に狙われた『鏡花の巻』が無事なのかを確認したいと言って中身を確認したところ、巻物がすり替えられていた事が発覚したのだ。

 丑蔵は怒髪天を衝く勢いで声を上げた。紋次郎は只々頭を下げることしかできない。

「紋次郎!どうしてくれるのだ!あの巻物が無ければ幕府を転覆などできんのだぞ!」

「はっ。申し訳ございません。盗人は怪我を負っております。そう遠くには逃げられない筈なので見つかるのも時間の問題かと」

「そう言って、もう何日も見つかっておらんではないか!他の大名たちへ隠しておくのも限界だ」

 丑蔵たちのような藩主は大名と呼ばれており、現在の幕府の体制に不満を持つ大名たちへ丑蔵は幕府転覆の策ありと声をかけ連判状を作らせていた。もしもこのまま『鏡花の巻』が見つからず、計画が頓挫すれば、連判状に名を連ねた大名たちが裏切り自分の首だけを幕府へ差し出すかもしれない。丑蔵はそのような事態を恐れていた。

「とにかく一刻も早く犯人を見つけ出せ!目星もついておらんのか?」

「…実行犯の目星はついておりませんが、盗人を使って巻物を奪うことを指示した人間であれば心当たりが」

「何!?誰だソレは」

 丑蔵が紋次郎へ詰め寄った。紋次郎は周囲に人がいないことを確かめ、小声で告げた。

「秋月琳太郎です」

「何?」

「恐らく私が大治郎から巻物を盗んだことを察したのでしょう」

「だが、お前の話を聞いた限り、秋月琳太郎はそのような小細工をする男とは思えんが」

「秋月家の一大事です。手段は選びますまい」

「ふむ…」

 確かに秋月の書は公になれば徳川家だけではなく、秋月家も失墜するほどの代物だ。いかに秋月琳太郎が清廉な剣客と評されていても、背に腹は代えられないかもしれない。丑蔵は紋次郎の提言も一理あると考えた。

「確か秋月琳太郎は現在、絵師をしておるのだったな」

「はい。市井の者に大変人気だとか」

「それだけ人気もあれば懐も潤っているだろうなぁ」

 丑蔵が妖しい笑みを浮かべ紋次郎を見た。強盗に見せかけて琳太郎を殺せ。そう言っているのだと紋次郎は察した。

「…いくら絵師をしているとは言え、一筋縄でいく相手では…」

「阿呆。誰が真正面から挑めと言った。お前も何だかんだ剣客としての性分が抜けんな」

「では、どうすれば」

「お前と同じ使命を受けて道場から出てきた女がおると言っておったではないか」

 柊美空。光陰流の道場で紋次郎と肩を並べる準師範代だ。一緒に行動はしていないが、彼女も間違いなく琳太郎に会うため巽町へ来ているだろう。

「…彼女を人質に使えと?」

「そうだ。お前とその女は互いに嫌い合っておるようだし不都合はあるまい」

 確かに美空は自分のことを蛇蝎の如く嫌っていることを紋次郎は知っている。ここ最近は会話すらまともにした覚えがない。

「しかし、それは…」

「何だ。卑怯とでも申すのか?青いのう」

 ためらう紋次郎を丑蔵は嘲るように見下し、持っていた扇子で紋次郎の肩をピシャリと叩いた。

「良いか。そもそも秋月家の連中は暗殺で徳川に貢献し成り上がったのだ。自分たちや身内がどのような殺され方をされようとも、それは因果応報という奴だ。何をためらうことがある。大体、秋月を失墜させることは、お前から言い出したことではないか。少しも手を汚さずにいられると思っているのか?お坊ちゃん」

 棗紋次郎は伊予藩でも有数の大名の家に生まれた。文武に優れており特に剣術の腕は地元では負け知らずだった。だが長男というだけで自分よりも能力が劣っている兄が家督を継ぐことに納得できず、半ば家出するように江戸へと出た。

秋月光陰流に入門し、めきめきと実力を伸ばしいつしか高弟と呼ばれるようになり、取り巻きも多かった。しかし大治郎や琳太郎には及ばないと剣術を極めれば極めるほど思い知らされた。家督も継げない。得意としていた剣術すら頂点に昇りつめる事ができない。思いつめた紋次郎は自分を上げるのではなく周りを下げようと躍起になっていた。

 或る日のこと、琳太郎が秋月家を出ることになった。何かあると思い、金を使って忍を雇い拓馬と大治郎の周辺を徹底的に調べた。その中で秋月の書のことを知り、ふるさとの藩主である丑蔵へ今回の計画を持ち掛けた。

 幕府の現体制を崩壊させれば秋月家も失墜する。将軍職の後釜に丑蔵を添え、自らは将軍家御指南役としての地位を得て、父や兄を見返す。それが紋次郎の原動力だった。

 しかし人を殺すことまでは想定していなかった。心臓の騒音だけが紋次郎の耳に聞こえてくる。

「とにかく琳太郎がもう1つの巻物を持っていることは間違いないのだろう。奴が盗人を使い、現在2つの巻物を持っていることになる。殺してしまえば秋月の書が完璧な形で手に入るではないか」

「…承知いたしました。どんな手段を用いても秋月の書を清川様の御前に差し出して見せます」

 姿勢を正し、紋次郎は頭を下げた。しくじるなよと冷たく言い放ち丑蔵は部屋を去った。

 しばらくして紋次郎も部屋を出た。すれ違う人たちは紋次郎の凍り付くような気迫に思わず目を逸らしていた。




「美空ちゃ~ん。そこは攻めていかないと!」

「そ、そうなのか」

 藤屋では先日、琳太郎の家へ行った時の話を聞いたリップが目の前に座る美空に向かって叫んでいた。その声と威圧感に美空は圧倒されている。

「そうだよ!好きな人の部屋で2人きりなんて、めったにないチャンスじゃない!ここで攻めずにいつ攻めるっていうのよ!!」

「とは言っても、琳太郎様にその気がないのに、こちらががっつくのは幻滅されるのでは…」

「あぁ、もう!いじらしくて可愛いな美空ちゃんは!だが、そんないじらしさは捨てていけ!恋も戦いもためらって方が負けちゃうんだよ!!!」

「た、確かに」

「はい。そこまで。お店で騒ぎすぎ」

 ヒートアップするリップの頭を持っていたお盆で菫は軽く叩いた。

「美空ちゃんもリップちゃんの言うことは、あまり真に受けない方がいいよ。武術以外はからっきしなんだから」

「何だとォ!」

「いや、武術以外からっきしなのは私も同じだ。それにリップの言うことも一理ある。ためらっているだけでは少しも前には進めない」

「まぁ、美空ちゃんがそれでいいならいいんだけど」

 3人はすっかり仲良くなり、今ではほとんど毎日のように藤屋で話に花を咲かせている。美空は秋月家から路銀をたっぷり貰っているので、何もせずに巽町にいても問題はない。だが、生来の生真面目さから日々を怠慢に過ごさずに助人屋の仕事を手伝ったりしている。リップとは組手をやったりと、良き武道仲間として絆を深めていた。

「大体、世の中、菫ちゃんみたいに何もせずに男が寄ってくるような赤提灯みたいな女ばかりじゃないんだよ!?」

「何で赤提灯に例えんのよ。そこは花とかにしてよ」

「確かに菫はモテるだろうな。女の私から見ても、その華やかさは羨ましい」

「え、やだ。私、美空ちゃんに惚れそう」

「やはり琳太郎様も菫のような女性らしい女性が好きなのだろうか…」

「いやいや。私が知る限り菫ちゃんほど男前な女もいないよ」

「ちょっと!」

「そうなのか?」

 3人の中では菫は武道を嗜んではいない。だが、リップから武術の手ほどきを受けており、運動神経も良いため、チンピラ程度なら軽く締め上げるほどの腕前ではある。一度、美空もリップとの稽古を見学に来た菫に剣術の基礎を教えたが、飲み込みの早さには驚いたものだ。

「そんな事ないって。私は見ての通りの可憐な乙女よ」

「異議あり!!!!」

 法廷で叫ばれそうな言葉が店の出入り口から聞こえた。3人が声のする方を見ると、儀エ門が仁王立ちで立っていた。

「儀エ門。悪いけど今、女子会の最中だから、そのまま回れ右してくれる?」

「賑わう女の園を荒らすほど、この儀エ門、野暮ではない。だが、しかし!菫ちゃんの話とあっては黙って引き下がる訳にはいかん!」

 歌舞伎役者の様な見栄を切りながら、儀エ門はリップたちの席へと近づいた。他のお客は、清兵衛たちのことも良く知っているので、儀エ門の奇行についても、いつものことか、と気にせずに各々食事を続けている。

「愛されているんだな。菫」

「一方通行すぎるけどね」

「では、話すとしよう!アレは俺がこの町へやってきたばかりのこと…」

「儀エ門くん」

 確実にこの場の温度が下がった。藤屋にいる誰もがそう思うほど菫の声には冷たい威圧感があった。

「私の話を私がいる前でするのは恥ずかしいから、やめてほしいな」

 わかってくれるよね?と儀エ門に念を押した。菫は笑顔だが恐怖しか感じない表情だった。

儀エ門は無言で千切れるかと思うほどに首を縦に振り、店を出て行った。

「さて、じゃあ女子会の続きを始めよっか!」

「成程…確かに菫はこの上なく男前かもしれんな」

「でしょ?」

 人は見た目によらない。もっと自分の観察眼を磨こうと美空は密かに決心した。




 藤屋を出た頃には空はすっかり暗い青に染まっていた。

帰り道、美空はリップに気になっていたことを聞いた。

「そう言えば、リップは儀エ門殿が菫にあそこまでゾッコンな理由を知っているのか?」

「ん?あぁ。まぁ知ってると言えば知ってるかな。儀エ門のやつ、さっきやってた大演説をウチで何度もやってたから、嫌でも覚えちゃった」

 そう言うリップの眼は疲労と書かれているようだった。確かにあの熱量の演説を浴びせられれば疲れてしまうだろう。美空は思わずリップの肩に手を添えてしまった。

「そんなに儀エ門の菫ちゃんへの想いが気になる?」

「そうだな… 誰かを堪らなく好きになるという気持ちは私もとてもわかる。だが、あそこまで自分の気持ちを主張する事はとてもじゃないが真似はできない」

「アレは真似しない方がいいと思うよ」

「それに怖くないのか、と思ってしまうんだ。私は琳太郎様にこの想いを伝えたい気持ちは勿論ある。でも、それ以上に伝えたことで、もう二度と琳太郎様と話せなくなるのではと不安になる」

「美空ちゃん…」

「自分の気持ちを伝えてスッキリしたい。でも、拒絶されるのが嫌だから伝えない。結局、私は自分のことしか考えていない愚か者なのかもな」

 自嘲気味に美空は笑った。リップもどう声をかけて良いかわからずに、意味もなく天を仰いだ。憎たらしいほどに星は輝いている。

「私はさ…」

 ゆっくりとリップは話し始めた。

「菫ちゃんの言う通り、武術以外はからっきりだし、恋はしてみたいと思ってるだけで、美空ちゃんや儀エ門みたいに誰かを本気で好きになったことがない。でも、そんな2人のことを本当に凄いと思うし、羨ましいというか憧れるというか…」

 言葉が口から出れば出るほど、頭の中が混乱していく。話すことで自分の言いたいことが整理できるかと思ったが、逆効果になってしまった。

「やれやれ。少しは言葉を使う筋肉も鍛えたらどうだい?」

 混乱しているリップの前に儀エ門がやれやれという表情で現れた。

「美空さん。先ほどは悪かったね。つい興奮してしまって」

「あ、いや。私は別に…」

「何よ。儀エ門。菫ちゃんにフラれたからって私に八つ当たり?」

「ふん。俺はそんなに器の小さい男ではないさ。それに、まだフラれてないからね!?」

「100回以上、告白を玉砕された男の言うことかね」

「間違えるな!まだ99回だ!」

 リップと一頻り話した後、儀エ門は咳払いをし、姿勢を正した。

「ところで美空さん。貴女は秋水先生のことを愛しているのだとか」

「あ、愛して!?いや何故その事を?」

 美空はリップを睨んだ。リップは首をふった。美空が抱く想いはリップと菫しか知らない。誰にも話してはいないのだ。

「リップから聞いたんじゃありません。先ほどの2人の話をウッカリ聞いてしまったのです」

「そんなウッカリがあるか!立ち聞きしてたんだろう!」

「いえ、仰向けで聞いてました」

「そういう問題じゃねぇよ」

 菫に半ば追い出されるようになった儀エ門は藤屋を出てから、町をブラブラしていた。目的なく歩いていると発明のアイデアが思いつきやすいので、儀エ門は適当に町を歩くことが多い。そして先ほど、急にアイデアが閃いた。そのアイデアを地面に這いつくばって持っていた紙に殴り書いていた。

 書き終えた頃、気づけば夜になっていた。疲れて近くを流れる川の土手で仰向けになっていたところ、リップと美空の会話が聞こえてきたのだ。

「安心してください、美空さん。言いふらしたりしませんよ。お詫びと言っちゃあ何ですが、」俺が菫ちゃんにゾッコンな理由を教えましょう!」

「ちょっと、話すのはいいけど、ここは天下の往来。声のボリュームは抑えてよね」

「わかってるよ、リップ」

 いつになく真剣な面持ちで儀エ門は話し始めた。

「俺が初めて巽町へやってきた時にスリに遭ってね。ただでさ何日も飲み食いしてなかったから、限界が来て倒れてしまった。そんな俺に食べ物を施してくれたのが菫ちゃんだったて訳さ!どうだい?目の前で困っている人がいたら、何も考えずに助ける。そんな菩薩のような人のことを愛せずいられるだろうか?いや、ない!」

「確かに、そのような事をされたなら惚れるのも無理はないな。菫は素晴らしい人間だ」

「でしょ!?そうでしょう?美空さん!貴女は良くわかっている!」

 冷たい夜を熱帯夜に変えるのではないかと思うほどの熱量で詰め寄る儀エ門に美空はたじろいだ。いい加減にしろと言いながらリップは儀エ門の頭をはたいた。

「儀エ門が菫を好きなことは充分過ぎるほど理解した。だが、何故そこまで自分の気持ちを臆せずに伝えることができるんだ?」

「何故?と言われてもね… 菫ちゃんを見ていると溢れる気持ちが止められないというか…」

「怖くないのか?自分の気持ちを拒絶されることが」

「ん~考えたことがないな」

 あっけらかんと儀エ門は答えた。惚けているような気もするが、彼が真剣なのだと何故か美空はわかってしまっている。

「菫ちゃんは俺に人を好きになる素晴らしさを教えてくれた。彼女がいるだけで俺の世界は色鮮やかになった。それ以上のことは望まない。俺が俺の気持ちを伝えるのは、ただのワガママだからな」

「自分の気持ちを伝えるのは、自分のワガママか…」

 美空は儀エ門の言葉を反芻していた。自分が琳太郎を好きになったのは自分の勝手だ。彼への想いはとても大切にしている。だが、自分がいくら大切にしているからといって琳太郎がこの気持ちに答える義務はない。勿論、報われたら、この上なく嬉しいだろう。

 伝えられないのも、断れるのが怖いから。どこまでも自分を中心にしか考えていなかった。しかしそれが恋というものかもしれないと美空は想った。

「ありがとう。儀エ門。何だか胸にかかった靄が晴れたような気分だ」

「いえいえ。それに発明家として言わせて貰うと、何十回、いや何百回失敗しようが、1回だけ成功すれば俺の勝ちだ」

「どういう意味よ?」

「何回フラれようとも、たった1回オーケーが貰えれば告白は成功ってことだよ、リップ」

「究極のポジティブシンキングだな。いや、ただのマゾヒストか?」

「創造に生きる人間とは得てして、そういうモノだよ。それに武を極める道も大して違わないんじゃないか?」

「言われたらそうだね… 何かに夢中になるとか、目標を達成するために行動することはポジティブでマゾではないとできないことかもしれない」

 身も蓋もない言いぐさだったが、否定はできない。寧ろ言い得て妙だとも言えると美空は口には出さないが納得していた。

「まぁ、あくまでも俺個人の考えだからな。美空さんは無理して真似しようとしなくてもいいと思いますよ」

「確かに今すぐに儀エ門と同じようなことはできないさ。でも、自分なりに気持ちは伝えていこうと思う」

「いいね。応援するよ、美空ちゃん」

 3人の間に和やかな空気が流れる。

 刹那、氷の針を刺されたような気配が3人を襲った。




 その男の佇まいは月に照らされ美しいと感じるほどだった。しかし近寄り難い不気味さも同時に醸し出していた。笠を深く被り顔は見えない。

 リップは戦闘態勢を取り、美空は刀に手をかけていた。既に鯉口は切られている。儀エ門も逃走用の煙玉をいつでも取り出せるように懐に手を入れた。

「そう警戒するな。柊」

 男は被っていた笠を外し、素顔を見せた。

「…棗殿」

 美空たちの前に現れたのは棗紋次郎だった。儀エ門とリップは現れた男が美空の知り合いであることを理解したが、紋次郎の体から漂う剣呑な気配が2人の警戒を解かせなかった。

「何か御用ですか?」

「おいおい、そんな言い方はないだろう。我々は同じ目的でこの町へやってきたのだから」

「美空さん。こちらの御仁は?」

 儀エ門は2人の会話に割って入った。棗と呼ばれた男が言葉を発する度に美空の表情が険しさを増している。彼女は鋭く凛とした表情をしていることはあっても怒りや嫌悪を顔に貼り付けることは、この町に来てから一度もなかった。2人の間にどんな事情があるかは知らないが、このままでは美空が本当に刀を抜きかけないと儀エ門は肌で感じた。リップも同じだろう。

「…こちらは」

「棗紋次郎。柊と同じく秋月光陰流の準師範代を務めております。以後、お見知りおきを」

 美空の言葉を遮り、紋次郎は儀エ門たちに自己紹介をした。言葉遣いは丁寧だったが、どこか人を見下したような響きを感じる声だった。

「そうでしたか。私はこの巽町で助人屋をやっています、儀エ門と申します」

「同じく、リップ・リーです」

「ほう。助人屋を。という事は琳太郎殿捜しをこの者たちに頼んだのか?柊」

「巽町は江戸でも屈指の人口ですから。私は貴方と違って、お偉方との人脈が無いので。助人屋に頼む他に手段が思いつかなかったのですよ」

「何か含んだ言い方だな」

「気のせいでしょう」

「ふん。まぁいい。それで?琳太郎殿は見つかったのか?」

「…いえ。まだ見つかっておりません」

 美空の発した言葉は嘘だ。それは目の前にいる男に琳太郎のことを知られるわけにはいかないことだと儀エ門とリップは瞬時に理解した。

「そうか。助人屋というのも存外役に立たんものだな」

「いやいや。返す言葉がありません。力不足で申し訳ない」

 紋次郎に殴りかかろうとしたリップを止めて儀エ門は言った。

「現在も捜索中です。見つかったら貴方にも知らせますよ。何処にお泊りなのですか?」

「いや、その必要はないぞ」

 一瞬。紋次郎は儀エ門の懐に飛び込みに当て身を叩き込んだ。

「儀エ門!」

 美空が叫ぶのと同時にリップは紋次郎に攻撃を仕掛けていた。

 肘。叩き込んだ。しかし手応えがない。放った攻撃は空を切っただけだった。

「危ない危ない。女。護身術の嗜みでもあるのか?」

「…世界最強の武術家を目指しているので」

 リップは攻撃を止めなかった。廻し蹴り、拳打、背中での体当たり。

 紋次郎は紙一重で全ての攻撃をかわしていた。

 強い。リップは素直にそう感じた。ここまで自分の攻撃を捌いたのは、ここ数年では清兵衛だけだった。

「女。中々の腕前だな。だが、少々攻撃が大振りだ」

 紋次郎に指摘されリップは自分の呼吸が乱れていることに気づいた。いつもなら、この程度の動きでは息が上がらない。

「大方、同僚の男を傷つけられて怒っているのであろうな。己が感情を制御できん奴が世界最強とは笑わせる」

「不意打ちを仕掛けるような男の方が滑稽だがな」

 リップの隣に美空が立っていた。

「美空ちゃん」

「儀エ門は大丈夫。気を失っているだけだ」

 リップに話しかけていても、美空の抜き身の刀のような視線は紋次郎に向けられている。

「棗。どういうつもりだ」

「呼び捨てとは。まぁ、心の中ではそう呼んでいたのだろうがな」

「質問に答えろ」

「柊こそ、どういうつもりだ。お前とそやつらは助人屋と客の関係だろう?何故、お前がそこまで怒る?」

「違う」

 美空は静かに、だが確かに怒りに燃えた気持ちを纏った声で言った。

「ここにいるのは、私の友達だ。だから友達を傷つけたお前を許せない」

「友達?」

「そうだ」

 夜の静寂が少しの間、4人を包んだ。その静寂を破壊するような紋次郎の笑い声が響いた。

「下らん。下らんなぁ!柊。友など剣の道には不要だ。いや、人生に不要だと言っていい。そんなモノ、邪魔なだけだ」

「お前に私の人生の否定される筋合いはない」

「ふん。どうだが。琳太郎が同じ事を言えば、お前はあっさり納得しそうだがな」

「琳太郎様がそのようなことを仰るか!」

 美空は刀に手をかけた。脅しではない。体から溢れる怒気や殺気が確信させている。

 だが、美空の腰に差した刀が鞘から放たれることはなかった。紋次郎の刀。その柄頭が美空の右手に突き刺さっている。

 リップはまたしても紋次郎の動きを見切ることができなかった。自身の不甲斐なさ。儀エ門に続き、美空まで傷つけられたことでリップの怒りは頂点に達した。

 叫んだ。叫びながら拳を紋次郎へと放つ。拳が捉えたのは鞘だった。

「今のは中々危なかったぞ」

 鞘で受け止められた拳に込められた力を受け流され、リップは体制を崩す。

首に衝撃が走った。手刀を受けたのだろう。そう理解した瞬間、目の前が真っ暗になり、リップの意識に帳が下りた。


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