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絶刀・鏡花水月  作者: さのだいき
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三章

 巽町には飲食店が立ち並ぶエリア、通称『巽横丁』がある。巽横丁にある『料亭・華山楼』の一室にて酒を酌み交わしているのは西にある伊予の藩主である清川丑蔵と琳太郎、美冬と同じ秋月光陰流の道場に通う、高弟の1人、棗紋次郎である。2人は声が外に漏れぬよう話をしていた。

「清川様。此度は江戸への参勤のための長旅、お疲れ様でございます」

「ふん。各藩の藩主を江戸へ呼び出し1年も暮らさせる制度。首都である江戸で最先端の文化や知識を学ぶことで各々の藩が活性化され、それらが最終的にはこの国の発展に繋がるか。大層立派な御意見だが本心は別だろうよ」

「と、申しますと?」

「何だ紋次郎。お主はかしこそうに見えて存外疎いの」

 ニヤリと丑蔵の口角が上がった。その笑顔は自身の知識をひけらかす喜びに染まっておりお世辞にも上品とは言えなかった。

「よいか。この制度の本当の目的は反乱の芽を摘むため。いや、寧ろ芽さえ出させぬ為だ。藩主はいわば人質だな。全く忌々しい」

「成程。しかし清川様のようにこの制度の仕組みに気づかれておられる方々は将軍家への反抗心や不快感はかえって増しているため、逆効果なのでは?」

「確かにな。だが江戸への参勤は金がかかる。幕府からの援助金など雀の涙ほどだ。国に帰る頃には藩の財政は火の車よ。反乱など企てる暇もないわ」

「そういうことですか。制度を考えた現将軍の竹光公は中々の策略家でございますな」

「徳川はタヌキの家系だからな」

 もしもこの場に徳川に与する者がいれば2人は即刻打ち首になるだろう。だが丑蔵はそんな事は承知で徳川への不満を吐き出している。それは紋次郎も自分と同じ想いを抱いていると知っているからだ。

「それよりも紋次郎。あの話は本当なのだろうな」

「はい。間違いございませぬ」

 紋次郎は懐から一巻の巻物を取り出し、丑蔵の前へ差し出した。丑蔵はその巻物を解き中身を確認した。

「ふむ。どこからどう見ても武術の教本にしか見えんが」

「一巻だけでは。しかしもう1つの巻物が揃った時、徳川家を失墜させる程の秘密が明らかになるのです」

「成程。そしてそのもう1つの巻物を持っているのが…」

「はい。秋月琳太郎です」




 清兵衛たちが出て行った藤屋ではリップ、菫、美空が話に花を咲かせていた。

「女だてらに剣術をやることに嫌味を言う輩も多くてな。試合に勝っても女相手に本気は出せんなど言われたことがある。いくら鍛錬しても認められない気がして悔しかった」

「ひどい…」

「その気持ち凄くわかるよ!私も似たようなことたくさん言われたことあるもん!」

 リップの故郷である華ノ帝国では武術が盛んではあるが、武術をやっている人口は男の方が圧倒的に多い。そのような状況の中で最強の武術家を目指すリップに対して嫌味を言ってくる輩も多かった。

「しかしそんな中、琳太郎様だけは違った。稽古では一切の手加減もなく、良いところは素直に褒めてくれた。私を1人の剣客として認め向き合ってくれたのだ」

「そうなんだ。絵師として知らない私は秋水先生が厳しく剣術やってる姿なんて想像できないや」

「でも美空ちゃん。秋水先生は自ら絵師になる道を選んだんでしょ?先生の実力は確かだと思うけど無理に連れ戻そうとするのは…」

「わかっている… これは私のわがままだ。それでも会って直接気持ちを伝えたかったんだ。結果、嫌われてしまったがな」

 そう言って美空は先ほどのように表情を曇らせてしまった。また泣き出してしまいそうなほどだ。

「美空ちゃん。好きなんだね。秋水先生…いや琳太郎さんのことが」

 菫の言葉に美冬は小さくうなずいた。

「よし!リップちゃん!私たちで美空ちゃんの恋路を応援しよう」

「私も同じことを考えてた!」

「えっ…いや、ちょっと待ってくれ。気持ちはありがたいが、その良いのか?」

「良いに決まってるじゃない!」

「だが、お主たちも好いているのだろう?琳太郎様のことを」

「それはね。でもそれはあくまでもファンとしての好きだから」

「美空ちゃんの真っすぐでピュアピュアな恋心には遠く及びませんわ」

美空は顔を赤くした。自分の気持ちは認めているし恥じる気持ちもないが、こうも真正面から他人に自分の恋を指摘されるのがこんなにも恥ずかしいとは思わなかった。

「よし!それじゃあ美空ちゃんが秋水先生のことがどれだけ好きなのか根掘り葉掘り聞いていこう」

「あっそれいいね!長くなるからお茶とお菓子追加で持ってくる」

「お、おい」

 テンションの上がるリップと菫に戸惑う美空。乙女たちの長い夜は始まったばかりだ。




  紋次郎は酔いを醒ます為、店を出て夜風に当たっていた。火照った体に冷たい風が心地よい。月もいつもよりも冴えているように見えた。

ふるさとの藩主である清川丑蔵が江戸へ参勤することを知り、伊予藩の藩邸がある巽町へ訪れ、今回の計画を持ち掛けた。

 この町へやってきた目的はもう1つあった。琳太郎を探すためだ。この町にいることは大治郎から聞いている。表向きは琳太郎を探し出す使命を道場から受けてやってきた。同じ使命を受けた美空よりも早く琳太郎を見つけ出しておきたい。だが巽町は広く人も多い。探し出すには骨が折れるだろう。

 店に戻ろうとした時に背中が聞き覚えのある声を聞いた。

「大丈夫ですが?清兵衛さん」

「な、何のこれしき…」

「強がるなよ。親分、見た目は酒豪っぽいけど実際そんなに飲めないんだから」

 紋次郎は血の流れの加速を感じていた。一呼吸入れゆっくりと店を出て歩いていく男たちを目で追った。真ん中にいる男を支える脇の男の1人は間違いなく秋月琳太郎だ。眼鏡をかけ帽子を被っているが、身のこなしで確信した。長年道場で剣を交えた自分が見間違える筈がない。紋次郎は急いで丑蔵のいる部屋へと駆けていった。




 巽横丁を後にし、帰途へとついている間に清兵衛は自分で歩けるぐらいには回復していた。

「まいった。今日はつい飲みすぎてしまった」

「いい加減に自分が酒に強くないことを覚えなよ」

「水、飲みますか?」

 秋水は持っていた竹筒を清兵衛へ差し出した。清兵衛は礼を言い竹筒に入った水を喉へ流し込んだ。

「ぷはっ。水が美味い」

「んな大げさな」

「しかし秋水先生は全く酔ってないな。結構飲んでたのに」

「いやぁ、どうも酒には強いみたいでして。今まで酔ったことは一度もないんですよ」

 わいわいと話しながら3人は歩いていた。もうすぐ藤屋のある通りに入ろうとした時に清兵衛と秋水は肌を差す殺気を感じた。

「清兵衛さん」

「あぁ…。儀エ門」

「何?」

「護身用の発明品は持ってるか?」

「まぁ一応… 何でそんなことを」

 儀エ門が清兵衛からの急な質問に戸惑っていると、突然覆面をした男たちが自分たちを取り囲んだ。男たちが構えている刀は月の光に照らされ妖しく光っていた。

「あぁ、そういうことか」

「儀エ門さん。意外と冷静ですね」

「この町はヤンチャな奴も多いからね。こういう場面も結構あったんですよ」

「それは心強い」

「で、何の用だ。悪いが金ならさっき全部酒に消えたぞ」

 取り囲む男たちへ一歩も引かずそれでいて警戒心は解かず清兵衛は啖呵を切った。

「…そこの帽子の男に用がある」

 覆面の男の1人が言った。

「私ですか?」

「先生は女性だけではなく、こういう輩にも人気なんですね」

「売れっ子も大変だ」

「参ったな」

「静かにしろ!」

 このような状況でも軽口を叩きあう3人に対し覆面の男たちは怒号を上げ、刃を向けた。

「とにかく貴方たちは私に用があるということですよね」

「そうだ。大人しくしていれば命は取らない。そこの2人は大人しく去れ」

「だ、そうです。清兵衛さんと儀エ門さんはこのまま帰ってください。余計なことに巻き込んでしまい申し訳ありませんでした」

「そうですか…じゃあ帰るか儀エ門」

「わかった」

 そう言って秋水から離れた儀エ門は懐から小さな球体を取り出し、それを思いっきり地面へ叩きつけた。辺りが煙に覆われる。突然の出来事に覆面の男たちは狼狽えた。煙が晴れた頃には、清兵衛たちは消えていた。

「こなくそ!」

「逃げられたか。まだ遠くへは行っていない筈だ!探せ」

 首領格の男の指示に従い男たちはその場から去っていった。その場が静寂に包まれた頃、路地裏から清兵衛たちが現れた。

「やれやれ。とんだハプニングだったな」

「やっぱり煙玉は役に立つな。更に改良を加えよう」

「お2人共。助かりました。ありがとう。しかし何故私を置いて逃げなかったのですか?」

 秋水からの質問に2人は顔を合わせた後に笑い出した。

「な、何か可笑しなことを言いましたか?」

「いやいや、可笑しいも何も」

「秋水先生」

「はい」

「友達を助けるのは当然だし、友達を置いて逃げるなら男として死んだ方がマシだと思いませんか?」

「友達…」

 まだ知り合って間もない自分の事を友達と呼んでくれる。恥ずかしいような、嬉しいような気持ちだが、秋水の心はとても温まっていく。自然と顔が綻び2人と同じく自分も声を出して笑った。




「何!?取り逃したのか?」

伊予藩邸で藩主、清川丑蔵が叫んでいた。目の前には清兵衛たちを襲った男たちが覆面を外し丑蔵の前に平伏していた。

「申し訳ございません。煙幕に視界が奪われ…」

「黙れ!言い訳など聞きとうないわ。捕えてくるまで帰ってくるな」

「清川様」

 激昂する丑蔵の横に侍っている紋次郎が言葉を挟んだ。

「何だ。紋次郎」

「お言葉ですが、この者たちが何人がいようとも秋月琳太郎を捕らえるのは難しいかと」

「何?」

「今、巽町で何をしているのかは知りませぬが、奴が剣を忘れるとは思いません。秋月琳太郎の実力は私が誰よりも知っております」

「なら、何故こやつらを差し向けた時に止めなんだ」

「百聞は一見に如かず。私が進言するよりも実際に失敗した方がわかっていただけると思いましてな。最も今回は連れの者が妙はことをしたせいで逃げられたようですが」

「ふん。生意気な男だな、お主は。だが確かに今回のことで奴を捕らえるのは一筋縄ではいかんことがわかった」

 清川丑蔵は激情家ではあるが、愚鈍ではない。冷静にその場で最も合理的は判断を下すことができる男だ。初めは上手く取り入ってやろうと思っていたが、今やその器に紋次郎は忠誠を誓っている。

「お前たちは町人に扮し巽町へ入れ。秋月琳太郎の周辺を探れ」

 平伏をしていた男たちは命令を受け、部屋を去った。紋次郎だけが残った部屋で丑蔵は大きく溜息をついた。

「お疲れのようですな」

「言っとくがお前のせいでもあるからな。急に息を切らして戻ってきたかと思えば秋月琳太郎を見つけたとぬかしおって」

「申し訳ありません。私もまさかあのような見つけ方をするとは思いませんで」

 華山楼で紋次郎からの報告を受けた丑蔵は即座に供の者へ命じ配下の忍を動かし琳太郎の身柄を捕えようとした。

「しかし紋次郎。考えれば考えるほど、お主は悪党よのう。秋月の家から巻物を盗み出した真犯人にも関わらず、高弟という立場を利用して琳太郎にその事件を告げる役目を仰せつかったのだからな」

「…私が悪党だということは否定しません。しかし自らの正義に従って行った事ゆえ、後悔はしておりません」

「正義か…ただの欲望の間違いではないのか」

 丑蔵の言葉に怒りの感情がさざ波だった。しばし睨み合うような時間が流れる。

「まぁわしは欲深い人間は嫌いではないぞ。現にわしもそうだからな。心配せんでも今回の計画が上手くいき、わしが将軍になればお前を将軍家の剣術指南役にしてやる」

「はっ。よろしくお願いいたします」

 紋次郎は頭を下げた。

「これで国元の父や兄を見返せるな。さて堅苦しい話はここまでだ」

 丑蔵は手を叩き、侍女を呼び出した。

「先日やとった侍女だ。お前が藩邸にいる間の世話はこの者に任せる」

「かがみと申します。よろしくお願いいたします」

 紋次郎は侍女の顔を一瞥しただけで、さして興味も抱かず部屋を出た。

かがみと呼ばれた侍女は赤蜘蛛の篝、その人だった。


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