ゴミ屋敷は宝の山
晶子は久しぶりに実家に入った。結婚して家を出て、母親と疎遠になってから家には一度も行っていない。かれこれ二十年ほどだろうか。
実家のある市の市役所から連絡が来たのだ。貴方の実家がゴミ屋敷となっていて異臭がすると近隣住民から苦情が来ているから対処してくれ、と。
異臭というので母親が死んだのかと思ったが、出入りする姿が見られるので生きてはいるようだ。異臭は生ごみだろう。昔は潔癖症なくらい綺麗好きだったというのに。
家に着き玄関を開けると確かに何かが臭う。夏になったらひとたまりもなさそうだ。そして、160cmある自分の背丈よりも高い位置までゴミがぎっしりと敷き詰められていた。
「どうやって出入りしてるんだか」
思わずつぶやいて靴のまま玄関から奥へと進む。かろうじて人が出入りしているらしいゴミ山の溝があるのでそこをつたってリビングへと這って進んだ。
リビングの中も当然ゴミだらけでわずかに生ごみの臭いと黴臭さもある。顔を顰めながらなんとか中に入れば、母を見つけた。
二十年見ない間にずいぶんと小さくなったなと思う。当然だ、母の年はもう六十を超えているのだから。
先日電話をしたとき異臭とゴミ屋敷になっている件を伝えたが、まるで話にならなかったのでこうして今日直接来た。
「母さん」
「晶子、ひ、ひさしぶり」
今は亡き祖母にそっくりになった白髪頭と深い皺のある顔、自分も将来こんな顔になるのかと思うと嫌気がさす。母は昔の傍若無人っぷりがなく弱弱しい老人と言った様子だ。あまりの変わりようにさすがに驚いた。
晶子さんが家を出てから益美さんすっかり元気なくなっちゃって、びっくりするくらい大人しくなっちゃったのよ、そんな話を親戚から聞いてはいたがここまでとは。
「ごめんねえ、散らかってて」
「散らかるってレベルじゃないでしょ。何でこんな風になったの、昔は綺麗好きだったじゃない。私が家を汚そうもんなら怒鳴り散らしてたのに」
「昔はね。家族がいるときれいにしなくっちゃって思ってたんだけど、家に一人になったらもういいかなって」
「変わるもんなのね。信じられないわ」
多少荒れているという域を超えている有様に深いため息をついた。その様子に母はおどおどしながら顔色を窺うように見てくる。
「私が来た要件わかってるでしょ。業者に掃除頼むから」
「だから電話でも言ったけど、それはやめて頂戴。ここにある物は宝物ばかりなのよ」
「どう見たってごみでしょ。あのね、私の方に苦情がくるの。私が悪いわけじゃないのに、血のつながりがあるってだけで対処しろって市役所からくるのよ、信じられない。家を出てからも迷惑かけないでよ」
厳しい母だった。躾も厳しく習い事も多い、門限があったので友達と遊ぶのも不自由した。恋人ができた時も反対し、結婚するときは癇癪を起したように暴れた。
愛想を尽かしさっさと家を出た後に父から捨てられる形で離婚されたと聞いた。母の何でも相手をコントロールしようとする態度に父もとっくに見限っていたらしい。
突然一人になってしまった母親は途端に寂しくなったのだろう。家庭にすべてを捧げているつもりで、夫にも娘にもまるで届いていなかった。
「ごみじゃないの、これ見て」
母親が取りだしたのは紙屑にしか見えないよくわからないものだ。
「なにこれ?」
「晶子が幼稚園の時に折り紙で作ってくれた動物」
まじまじとよく見れば確かに、動物に見えなくもない。しかし幼稚園児が作る折り紙など下手で当然だ、犬なのか猫なのか何なのかわからない。
「よくそんなのとっておいたね?」
「当然よ、お母さんあげるって言ってくれたんだもの。私の宝物」
意外だった。子供のころから厳しく、何かをあげてもありがとうも言われていないし嬉しそうにしていた事もなかった。ミニマリストのように物を置くことを嫌がった母は無駄、邪魔と決めたものは例え家族のものでさえ捨てていたというのに。
「こっちはね、晶子が三年生の時に運動会で二位を取ったときの賞状」
「一位じゃないんだから必要ないでしょ」
「一位も二位も変わらないわよ。二位だって立派じゃない」
その言葉は晶子も覚えている。頑張ってかけっこで二位を取ったが母は褒めてくれなかった。一位も二位も三位も変わらない、と言われて悲しかった記憶がある。あの時の言葉は、そう言う意味だったのかと納得した。
晶子が大人しく聞いてくれるのが嬉しいのか、母は次々とゴミ山の中から思い出の品を取り出す。
「これはお父さんが結婚記念日に送ってくれたネックレス。きれいでしょ?」
「真っ黒だけど」
「使いすぎて汗とかついちゃったから仕方ないの。洗えばまた綺麗になるから」
母は座っている場所から手探りでゴミ山の中からとりだす。
「これは晶子が九歳の時に家族旅行した時買ったお土産」
それは水時計だ。中の液体はすべて乾燥してカラカラに干からびてしまっている。
「使えないじゃない」
「使えなくてもいいの。だってこれ、晶子とおそろいで買ったやつなんだから。思い出の品でしょ」
そうして母は次々と思い出の品を取り出しては説明する。見覚えがあるもの、見覚えがないもの様々だが一つ一つのエピソードを大切に語った。
それらは晶子が知らないエピソードだ。子供の頃はなんて嫌な母親何だろうと思っていたが、母親なりの想いがあっての言動だった。ほんの少し、それが不器用だっただけだ。他人を傷つけるやり方でしか伝えられなかった。
「見てこれ、何だか覚えてる?」
「……水族館で買ったぬいぐるみ?」
「そう! 覚えててくれたのね。晶子がペンギンにしようかイルカにしようか迷ってたから、私がイルカを買うから晶子はペンギンを買えばいいかなって」
それも覚えている。どっちがいいかな、と言ったらどっちでもいいじゃないと二つ掴んでレジに持って行き会計をしていた。なかなか決められない自分に苛立っていたのだと思っていた。二つとも買うからどっちでもいい、という意味だったのだ。
「お母さん」
「ここにあるのは、ごみなんかじゃないのよ。家族の、貴方とお父さんとの大切な思い出なの。ごみじゃない」
「……そうだったんだ。ごめん。私知らなくて」
晶子がそう言うと母は目に涙を浮かべた。ぐす、と子供のように鼻を鳴らす。
「い、いいの……そう言ってもらえるだけで嬉しいの。今日も来てくれてありがとう、会いたかったの。私が結婚に猛反対したから家を出て、連絡しても返事がないし。このまま一人なのかって思ったら寂しくて、しまっておいた物引っ張り出して、なくなっちゃったものは似たようなものを買ってきたりして」
「ごめんね、寂しい、悲しい思いさせて。一人にさせてゴメン。これからは、一人じゃなくなるから。今日はそれを言いに来たの」
「え……? まさか、同居してくれるの……?」
つぅ、と母の目から涙があふれた。晶子は持ってきたハンカチでやさしく拭う。
「あ、ハンカチはね、あんたのがそこに」
「もう。今ここにあるんだからいいじゃない。それも持ってたの?」
母の行動に苦笑すると晶子は母に手を差し出した。
「ごみじゃないのはわかった。一回出よう。外に車を用意したから、移動しようね」
母は感極まった様子でうんうん、と何度も頷きながら晶子の手を握り外へと出る。足場悪いから気を付けてね、と声を掛けられ涙をこぼしながらありがとうと繰り返した。
自分の車の助手席に母を乗せると、バタンと扉を閉める。そして家の裏門に待機していた夫と清掃業者のところへと向かった。業者に軽く会釈をして夫に家の鍵を渡す。
「じゃあ私、予定通り施設に入れてくるからこっちお願い」
「ああ。一応聞くけど取っておくものとかはもうないのか?」
「何もないわ。ゴミしかないからあの家」
母にとっての宝物など。母にとっての想いなど。
娘にとってはどうでもいい。
「痴呆が進んでて見てられない? へえ、そうですか。でも私が家に行った時はもうボケてたみたいだから時間の問題だったんだと思いますよ。ああそうそう、もうこういう連絡やめてくれません? 私と母はとっくに縁切ってるんですよ、私の結婚反対された時に向こうが言ってきたことですから。相続権放棄もしてますし、赤の他人なんですあの女とは。どうなろうと関係ないので。言いすぎですか? どうでもいいです。貴方とももう連絡する気ないですから、電話番号変えますからね。そこまで可哀そう可哀そう言うなら、貴方が世話してください、施設のお金まで全部。施設には私から話しておきますから。……ぎゃあぎゃあ煩いな。そこまで可哀そうって言い張るなら自分で面倒みろって言ってるでしょ。じゃあよろしく、叔母さん」
END