【91:麗華の読み】
「それとね。『考える』と言って時間を稼いだのには、もう一つ理由があるの」
所長はあごに手を当てて、真剣な面持ちでそんなことを言った。
「最近取引先企業で、他の人材会社に仕事を取られてるであろう件数が増えてるのよ」
所長が数字が羅列された書類を取り出してみんなに見せた。
それによると、確かにここ数ヶ月『依頼ストップ』の件数が増えている。『依頼ストップ』とは、企業が他社の紹介で人材を採用できたか、もしくは人材募集そのものを取りやめたか、いずれにしても人材紹介の依頼をストップされた案件だ。
みんながみんな募集を取りやめるとは考えにくいため、少なくともそのうちの何件かは他社の紹介で採用を決めているはずだ。
「ウチも平林君やほのちゃんの頑張りのおかげで、成約件数は増えてるわ。でもたぶん他社で決められている件数も増えてる」
なるほど。所長の言いたいことがわかった。
「それが勝呂さんの会社のせいかもってことですか?」
「そのとおりよ平林君。その可能性があるってこと」
「でもさぁ、所長。設立したばっかの会社で、いきなりそんな成約が取れるって無理じゃない? 紹介する人材もいないでしょ」
ほのかが至極もっともな疑問を口にした。
「いえ。紹介する人材は、最大手のアール社と提携してればなんとかなるわ」
アール社というのは、人材紹介業界で不動のトップを誇る巨大企業。我が社の強力なライバルではあるが、この志水市には営業所はない。
所長の説明によると、そのアール社は自社に登録されている転職希望者のデータベースを、提携先である中小人材会社に公開しているらしい。
中小人材紹介会社は費用を支払ってそのデータベースから良さそうな人材をピックアップし、自社の人材として企業に紹介ができる。
「へぇ、そんな仕組みがあるんだねぇ」
「そうなのよ。ウチにとってアール社はライバルだからそのデータベースは利用してないけどね。ウチは自社で転職希望者を集めてるし」
なるほど。そういうことか。
だけど紹介できる人材がいるからと言って──
「でも所長。今まで他の中小人材会社も、そのデータベースを利用できたんですよね? いきなり勝呂さんの会社だけが、そんなに順調に成約できるっておかしくないですか?」
「うん。平林君、いいところに気づいたわね」
所長は感心したように目を細めて、俺を見てうなずいた。
「だから何か、成約を増やす手段があると思うの」
「何か手段って何ですか?」
「彼らの営業力が素晴らしいのかもしれないし、膨大なデータベースから適した人材を見つけ出すスキルに優れてるのかもしれないし、あるいは……」
神宮寺所長は片手でその美しい口元を隠して、眉根を寄せた。何か迷うような口振りだ。
「あるいは?」
「それは……今はまだわからない。ただ勝呂さんって、成果を出すためには手段を選ばないところがあるからね。何か私達では考えられないことをやってる可能性も否定はできない」
「なるほど、わかりました所長。彼らがどんな手段をとってるのか、探るためにも彼らとの接点を残しておこうってわけですね」
「その通り! さすが平林君!」
所長が人差し指を立てて、我が意を得たりという笑顔を俺に向けた。
「もしかしたら大した秘密はなくて、たまたまなのかもしれない。依頼ストップは勝呂さんとは違う会社が原因かもしれない。だけどビジネスで勝率を高めるためには、事実や敵の手の内を知ることが大切だからね。そして……私達は絶対に彼らには負けない! もしも今彼らを勢いづけさせたら、今後何年にもわたって仕事を取られてしまう。だから今のうちに、彼らには、私達には敵わないって気持ちを刻み込むことが必要なのよ!」
所長は背筋をピンと伸ばしてみんなを見回した。そして整った顔をキリッと引き締めて、決意に満ちた表情で一人一人の目をしっかり見つめる。
うわ。所長……カッケーっ!
闘う女って感じ。
普段からもちろんめちゃくちゃ美人なんだけど、さらに何倍も魅力的に見えて、この輝きはちょっとヤバい。
美しい瞳から放たれる目力ビームが、俺の胸にキュンとする感情を呼び起こす。
「わかりました所長! 絶対に彼らに勝ちましょう!」
「そうね。頼むわよ平林君」
「だねだね! ひらりんならきっとやってくれるでしょ!」
「いやいや、ほのか。他人事かよっ? お前だってやってくれるよな?」
「え……? あ、ももももちろんよぉ!」
ほのかは焦ったように、わちゃわちゃと髪をいじってる。
「おいおい、ホントに自分がやる気あったのかよ?」
俺がジト目でほのかを睨むと、横からルカがニヤニヤ笑いながら口を挟んできた。
「ほのか先輩は、それだけ凛太先輩を頼りにしてるってことですよね」
「あ、いや、頼りにしてるって言うか……まあひらりんは悪運が強いからねぇ。またまぐれで何か情報を掴んでくるんじゃないのぉ?」
もちろん今のほのかの発言は、いつもの憎まれ口で言ってるだけで、全然本気じゃないことはわかってる。
だけどいつもいつも、俺も好き勝手に言われるばっかというのも面白くない。
たまにはビビらせてやろう。
そう思って、思いきり鋭い目つきを作ってほのかをギロリと睨む。
「はあ? 何がまぐれだよ?」
「あ……ご、ごめん、ひらりん。もしかして気を悪く……しちゃった?」
ほのかのリアクションは予想外だった。
眉尻を下げ、すごく申し訳なさそうに肩をすくめて、俺を上目遣いで見上げた。
な……ナニコレ?
あの毒舌だらけでいつも人を食ったような態度が多いほのかが……
すっごく女の子っぽい表情と態度。
元々アイドルみたいな可愛い容姿のほのかが見せるそんな姿にドキリとした。