【62:褒め言葉に有頂天にはならない】
「あ、あ、あ……そ、そうだねー き、きっとひらりんなら、すぐ彼女できるよ。あはは」
──うわ。まさかの、ほのかまで。
他の二人に続いて、苦笑いをしながらではあるけど、まさかほのかがそんなことを言うとは思わなかった。だから俺は腰が抜けるかと思うほど驚いた。
あ、いや……待てよ。
これはいわゆる同調圧力というやつだな。
他の2人が俺に優しい言葉をかけてくれてる中で、さすがにほのかだけが『彼女なんてできない』とは言いにくいのだろう。
でもほのかも俺が落ち込まないように、気遣ってくれていることは確かだ。
そりゃあ俺も、みんなが本気でそう言ってくれていると思いたいが……
周りの人が褒めてくれるのを真に受けすぎて、勘違い男になってしまったヤツを今まで何人も見てきた。
かく言う俺も、高校のサッカー部ではそういう失敗をしている。
俺のことを、熱心だ頑張り屋だポジティブだ、そこがいいと周りの部員たちが褒めてくれていた。
だから俺はそれがいいことだと思って、いつもみんなにとにかく頑張ろうぜ、全力を尽くそうぜと発破をかけていた。
しかし本心ではそれほどやる気がないメンバーがいて、実は彼らは俺をうざく思っていたことに、気づけていなかった。
高校最後の地区大会で早期敗退した後、誰が悪い彼が悪いと、誰ともなく言い合いが始まって部員同士で喧嘩になった。
俺をうざく思っていたヤツらは、『実は前からお前がうざかったんだよ!』と俺に罵声を浴びせた。
俺はその時になるまで、俺の考え方や態度が彼らに嫌われていたことに気づけなかったのだ。
自分の考えを押し付けるなと言われた。
周りがお前を褒めるからと言って、いい気になるなと言われた。
実は彼らも俺を褒めてくれることがあったのだが、今まで俺を褒めていた言葉は、皮肉も含んでいたのだと彼らは言った。
だけど俺はそれを真に受けて、喜んで、俺のやり方を推し進めたらいいのだと勘違いしていたのである。
高校時代の俺は確かに、特に大好きなサッカーにおいては、今よりも強引に自分のやり方を他人に押し付ける部分があったと思う。
だから俺はその経験で学習した。
他人の誉め言葉を真に受けて有頂天になったりはしない。
そして自分の考えを他人に押し付けるようなことはしない。
とは言うものの──
職場のメンバーみんなが、こうやって気遣ってくれることには素直に感謝したい。
3人とも、俺が落ち込まないように、ごく自然な感じでお世辞を言ってくれてるんだ。ホントにみんな、心優しい良い人たちでありがたい。
──俺は3人の心配りに涙が出そうになった。
そんなみんなの心遣いに俺が感動していたら、戸塚はさらに、言わなくてもいいことまで口にした。
「実はですね、皆さん。ひらりんは今、特に好きな人もいないらしいんですよ!」
「こらこら戸塚! そこまで言わなくていいって! 誰もそんなこと、知りたいと思ってないから!」
「そっかぁ?」
「そうだよ!」
「いやいや。皆さん、興味津々なご様子だぞ?」
「いや、そんなことはないって!」
──んな訳ない。
と思いながら、女性陣の方に目を向けた。すると3人とも、なぜか食い入るように俺を見ている。
「えっ?」
「あ、いえ。上司として、部下のことに興味を持つのは当たり前よ。マネージメントの基礎だからね」
「あっ、そうですね」
所長が言うことは、それは確かにそうだ。
「あたしは興味って言うか。同期のことはできるだけ知っとかなきゃって言うか……そうそう、義務感ってやつね」
ちょっと焦ったような顔でそう言って視線をそらした後、ほのかは目の前のワイングラスを手に取って、ぐいっとひと口流し込んだ。
義務感か。
まあ最初は俺に興味なさげだったほのかだから、そう言ってくれるだけでもありがたいと思おう。
「私は……あ、いえ。なんでもないです」
ルカは何かを言いかけてやめた。
なんだろう?
──と思っていたら、戸塚がフォローするようにルカに話しかけた。
「まあ女性は誰でも、恋バナ大好きって言うか、好きな人がいるのかとかには興味がありますからねぇ、一般論として。ねぇ、そうでしょ愛堂さん?」
「あ、はい。その通りです」
ルカは戸塚に向かって少し微笑んでうなづいた。
なるほど、そういうことか。
単なる興味本位ってやつな。
「ところで愛堂さんって……」
「はい?」
「どこかで会ったことあります?」
「えっ……?」
なに?
ルカと戸塚は知り合いなのか?
いったいどういう繋がりなんだ……?
「いえ。会ったことないですよ。誰かと勘違いされてません?」
ルカはきょとんとした顔で答えた。
なんだよ。戸塚の勘違いか?
「そうかなぁ……こんなに美人な女性は、滅多にいないし」
「戸塚さんって……お上手なんですね」
ルカがちょっと困った顔になった。
それを見て、横から中島がツッコむ。
「なんだよ戸塚。結局それが言いたかったのか? お前、質が悪いぞ」
「そうだぞ戸塚。俺の職場の後輩をナンパするのはやめてくれ」
「あ、いやいやナンパなんかする気はさらさらないって! ホントにそう思ったんだよ。だけど、えっと……俺の勘違いだな。ごめんなさいね愛堂さん」
「いえいえ。大丈夫ですよ」
戸塚のヤツ、だいぶん酔った顔をしている。
大丈夫か?
「──ところで皆さん!」
戸塚が場の雰囲気を誤魔化すためなのか、突然ひと際大きな声を出した。
みんなは何ごとかと戸塚に注目する。
「恵まれないひらりんに、ぜひ女の子を紹介してあげてもらえませんかー?」
──はぁぁぁっっっ!?
戸塚が酔った勢いで、とんでもないことを口走った。
「おい戸塚っ! さすがにそれは言いすぎだよ!」
3人の方に目を向けると、揃いも揃って動きが固まっている。
ほらやっぱり。
そんなことを言われて、3人ともどう返事したらいいのか困っているに違いない。
俺に彼女がすぐにできるなんてお世辞なんだから、女の子を紹介してくれなんて言われたら、そりゃあ困るだろう。
「あ、えっと……そ、そうね……」
「あははー いやいや。えっと……」
「そうですねぇ……」
ほら。3人とも、意味のない言葉しか出ないじゃないか。
「ほら戸塚! みんな困ってるじゃないか!」
「あ、すみません皆さん。ひらりんに女の子……紹介できませんかね?」」
「そうね……できないと言うか……」
「だねぇー できないと言うかなんと言うか……」
「ですよね……できないと言うよりも……」
またまた3人が固まっている。
そのまましばらく、無言の時間が流れる。
やっぱり俺に女の子を紹介するなんて、3人とも抵抗があるようだ。
それはつまり……さっきの『すぐに彼女ができる』という言葉は、3人とも俺に気を遣った言葉だったということだ。
みんなの言葉を真に受けて有頂天にならなくて良かったとホッとする。
「おい戸塚、もうやめろ。皆さんも困ってるし、ひらりんだって恥ずかしいだろ」
さすがに見かねた中島が、横から戸塚にそう言ってくれた。
「あ、そうだな……困らせるようなことを言って、すみません皆さん」
戸塚は急にしゅんとして3人に頭を下げた後、俺の方を向いた。
「悪かったよひらりん。俺はお前のことを思って、良かれと思って言ったんだ……」
戸塚がホントに俺のことを思って、言ってくれてたのはよくわかる。だけど女性陣3人を困らせたくはない。
「俺はさぁー! ひらりんをホントいいヤツだと思うからさぁー! 幸せになって欲しい訳さぁー!」
戸塚はいきなり泣きそうな口調になって、ガバッと俺に抱きついてきた。
ダメだコイツ。
完全に酔っ払っているな。
でも俺を思ってくれるその気持ちはありがたい。
「そっか、ありがとな戸塚。お前のその気持ちだけ、とってもありがたく受け取っておくよ」
「おおーひらりん! やっぱお前、いいヤツだなぁー」
俺の上半身にしがみついた戸塚の背中をポンポンと優しく叩きながら、俺は女性陣に目を向けた。
「というわけで皆さん。酔っ払いの戯れ言だと思って、気にしないでください」
俺がみんなに頭を下げて言うと、3人とも苦笑いを浮かべた。
所長は「まあ、機会があればね」と言った。
ほのかは「紹介かぁ……どうしたらいいのかなぁ……あはは」ととぼけた声を出した。
ルカは黙ったまま、なんだか複雑な表情で俺を見ていた。
──ごめんなさい、3人とも。
返答に困るようなことを戸塚が言ってしまって。
俺は心の中で、もう一度3人にお詫びをした。