【57:報告とお礼】
「あ、所長。安心してください。このことはほのかとルカには内緒にして、俺たち二人だけの秘密にしておきましょう」
「二人だけの……秘密?」
「はい。二人だけの秘密です」
俺は所長を気遣って、そう言った。
「あ……そうね。ふ、二人だけの秘密ということで……」
所長はかなり照れ臭いようで、上着の裾を指先で握ったり離したりしながら、上目遣いに俺を見ている。
そりゃそうだな。酔ってこんな失態を見せたら、誰だって照れ臭いに決まっている。
だから俺は、これ以上所長に照れ臭い思いをさせないために、さっさと立ち去ることにした。
「じゃあ所長。ここからは気をつけてください。俺は駅から電車乗って帰ります」
「うん、ありがとう。平林君こそ、気をつけてよ」
「はい、ありがとうございます。ではまた明日」
「うん、また明日」
俺は所長に会釈をして、駅に向かって歩き出した。所長が照れ臭い思いを続けないように、振り返らずに駅に真っ直ぐに向かう。
しかしやっぱりちょっと心配なので、横目でチラリと見た。
するとしばらく俺を見送っていた所長が踵を返して、しっかりとした足取りで帰って行くのが見えた。もう大丈夫そうだ。
俺は安心して、駅の改札を抜けて帰路を急いだ。
◆◇◆◇◆
帰宅して着替えをして、さあシャワーを浴びようかという段になって、ふと思い出した。
──そうだ。
今回の件で世話になった高校の同級生二人に、報告とお礼の連絡を入れておこう。
加賀谷製作所に勤めていて、社長秘書が氷川さんという人だと教えてくれた、元ラグビー部の中島。
それと中島が加賀谷製作所に勤めていることを教えてくれた、同窓会幹事の戸塚。
加賀谷製作所さんから人材紹介の依頼をいただけたのは、この二人のおかげでもある。
しかしもう夜の10時を過ぎている。
電話はまた明日にでもするとして、取り急ぎメールで報告をしよう。
そう思って、加賀谷製作所の社長との面談が実現し、依頼を貰えたことをスマホでメールした。
メール送信をしてすぐにスマホの着信音が鳴った。戸塚からだ。わざわざ折り電をくれたみたいだ。
「おお、戸塚! この前はありがとう」
『いやいや、俺なんて中島の名前と連絡先を伝えただけだ。なんにもしてないよ』
「いやいや、そこまで教えてくれたのは戸塚、親切なお前だからだよ。お礼にメシでも奢るよ」
『なに言ってんだよひらりん。あれくらいでお礼なんていらねぇって。それなら中島に奢ってやってくれ』
「ああ、もちろん中島には奢るよ。でも戸塚にもな」
『お前、相変わらず義理堅いなぁ』
「そっか? 世話になったんだから、お礼するのが普通だろ」
『それならさ、ひらりん。中島も誘って、三人で飲みに行かないか?』
「おっ、いいねぇ!」
『奢ってもらうとか言うより、久しぶりに会いたいよ。お前、同窓会に来なかったしさぁ』
そうだ。今年開催された学年同窓会の時には、俺は東京にいたから参加できなかった。
久しぶりに高校時代の友人に会いたい。
「おお、そうしよう! 中島にはまたお礼の電話をするつもりだし、俺から誘うよ」
『おう、頼む』
そう約束をして、戸塚との電話を切った。
するとすぐにまた、スマホの着信音が鳴る。
──ん?
あ、中島からだ。
みんなこうやって、すぐに連絡をくれる。
なんてありがたいヤツらだ。
俺はホントに、周りの人達に恵まれている。
『ひらりん、メール見たよ。良かったな!』
中島の第一声がそれだった。
自分のことのように喜んでくれている。
「ありがとう。中島のおかげだよ」
『なに言ってんだ。俺は氷川さんの名前を教えただけだ。それであのガードの固い社長秘書を突破しちまうんだから、ひらりんすっげえな』
「あ、いや。あれはたまたま氷川さんが知り合いの知り合いだったおかげだよ」
『そうなのか?』
「ああ。俺はラッキーだったよ。それでさ、中島……」
俺は戸塚と話した内容を中島に伝えた。
『おおっ、いいねぇ! 行こうぜ行こうぜ! 今度の週末なんてどうだ? 金曜の夜』
「俺はオッケーだ。戸塚の都合を聞いてみるよ」
俺はそう言って、いったん電話を切った。
そして戸塚に再度電話をすると、彼もオーケーだった。
そういうわけで今度の金曜日に、駅前で三人で待ち合わせて飲みに行くことに決まった。
高校の同級生と飲むのは卒業以来初めてのことで、めちゃくちゃ楽しみだ。
やっぱり地元っていいな。
仕事でもいろんな縁ができるし、プライベートでも懐かしい顔を見れる。
──俺はそんなふうに思った。
◆◇◆◇◆
翌朝。出社すると、神宮寺所長は既に出社してデスクに向かっていた。
ほのかとルカはまだ来ていない。
顔を見て、昨日は無事に家まで帰ったんだなと、改めて安心した。
「おはようございます所長」
「あ、おはよう平林君。昨日は本当にありがと」
所長はパソコン画面から顔を上げて、俺を見た。
ちょっと照れたような笑顔を浮かべている。
昨日も所長の照れ顔は何度か拝んだが、でもあれは酒が入った席での話。
朝のオフィスで、いつものように仕事に打ち込む所長が、凛とした表情の合間に浮かべた照れ顔。
──あまりに可愛くて、思わずどきりとした。
あ、いや。俺は何を考えているんだ。
相手は上司だぞ。
可愛いなんて考えたら失礼じゃないか。
「あの……」
──所長、体調は大丈夫ですか……?
そう尋ねようとした時に、出入り口からほのかの元気な声が聞こえた。
「おはよーございまーすっ!」
「おはよう、ほのちゃん」
「あっ、所長。昨日はなに食べに行ったの?」
「焼き肉。平林君のリクエストでね」
「ええ〜っ!? いいなぁ! あたしも食べたかったよぉ、焼き肉っ!」
ほのかは唇を尖らせて、二重のくりんとした目を半目にして所長を見つめている。
「そうね。じゃあまた近いうちに行きましょうか」
「やったぁ〜! もちろん所長の奢りで」
「なんでよ!」
所長とほのかは、二人ともケラケラと笑っている。
やっぱり仲がいいな、とほのぼのする。
「ところで所長。昨日はちゃんと家に帰れたの?」
ほのかが唐突にそんなことを言ったものだから、俺はどきりとした。