【25:あんな専務の誘いになんて乗らないでください】
俺は神宮寺所長に、「俺たち所員には、所長を守る……って言うか、所長に迷惑をかけない責任がある」と言った。心からそう思ったからだ。
営業所の業績のために、所長が望まない相手との食事になんて行ってほしくない。
すると所長は綺麗な二重の目を細めて、少し潤んだ瞳で俺の目をじっと見つめた。
「ひ……平林……君。キミって子は…… あ、ゴメン。子、だなんて失礼よね。キミって人は、なんて嬉しいことを言ってくれるのかな?」
所長は気を取り直したようにニコリと笑って、ちょっとからかうような口調になった。しまった。ちょっと偉そうに言ってしまったかも。
「あ、いえ……それほどでも……思ったままを言っただけです。俺みたいなペーペーが偉そうにすみません」
「ううん、全然偉そうだなんて思わない。平林君の言う通りね。食事に付き合って仕事をもらうなんて邪道だわ。危うく判断を間違うとこだった。冷静さを欠いてたわ。そうじゃなくて私も他の案件で、なんとしても売り上げを立てるように頑張るわ!」
車が動き出して、所長はまた前方を見ながら、弾けるような感じでそう言ってくれた。
その横顔はどこまでも綺麗な大人の女性なんだけど、弾けるような口調と笑顔がちょっと子供っぽく感じる。思わず可愛いと思ってしまった。
所長のような大人の女性でも、こんな可愛い表情や喋り方をするんだな……
あ、いや。こんなことを考えちゃ、所長に失礼だ。
「いえ、その上乗せ分は、俺とほのかで獲りますから」
なんとかあの専務にウンと言わせて、加賀谷製作所から人材紹介依頼を受ける方法は、また改めて考えるとして……
目の前の案件受注が難しい場合はそれに代わる受注を確保するというのが、営業のオーソドックスな考え方だ。
だから俺はそう言った。
「あら? 第3四半期の売り上げ目標達成のためには、2ヶ月以内に転職者の入社確約が3件上乗せ必要だけど……ホントに大丈夫かな?」
所長はちょっと意地悪っぽくニッと笑って、俺に横目の視線を投げてきた。まるで小悪魔みたいな表情。あの大人っぽい所長が、こんな顔をするんだ……
「あ、はい。ががが、がんばります!」
思わず噛んでしまったけど、俺の返事を聞いて所長は、今度はニコリと爽やかな笑顔になった。
「ありがとう平林君。でも部下にばっかり頼るわけにはいかないから、私ががんばるわ」
「いえ、俺たちががんばります!」
「平林君って、案外頑固ね……うふふ」
「あ、いえ……」
「じゃあ平林君を信頼して、頼ることにするかな」
「あ、はい。わかりました!」
所長のキリっとした表情を見ると、明らかに俺やほのかに任せっきりにするつもりはないようだ。
口では俺に頼るなんて言っているけど、本当は自分でなんとかしようと考えているに違いない。
でも俺の言葉を信頼して、任せてくれると言ってくれるのはめちゃくちゃ嬉しい。
「じゃあ平林君。ほのちゃんと午前中に打ち合わせた内容を教えてくれる?」
「あ、はい」
俺は午前中にほのかと打ち合わせをした、成約促進策について説明した。
「なるほどね。なかなかいいわよ。大筋はそれでオッケー。あとさ。こういうふうにしたら、よりいいんじゃないかしら……」
所長は俺とほのかの案を元に、さらに熱心にアドバイスをくれた。
単に任せっきりでなくて、より良い結果が出るように所長として責任感を持っていることがよくわかる所長の態度。
こういうところも、神宮寺所長を尊敬し、信頼できるところだと感じる。
俺と所長は車の中でそういった打ち合わせをしながら、営業所へと帰り着いた。
所長はまだこれから行く所があると、そのまま車で出かけて行った。
しかし俺は早く自分自身の営業活動をしたくなったから、営業所の前で車から降ろしてもらった。
そして一旦オフィスに戻ると、ほのかが一人でパソコンに向かって作業をしていた。
「ただいま。あれ? ルカは?」
「あ、おかえり。ちょっと買い物に出てる」
「ちょっといいかな」
「なに?」
それまでパソコンに目を向けていたほのかが、手を止めて顔を上げた。
「今朝打ち合わせした成約促進案だけど、所長に報告して、その方向性でオッケーだってさ」
「うん、わかった」
「で……2ヶ月以内に俺とほのかで、入社確約を3件上乗せしますって、所長と約束した」
「はぁっ? なんで? なんで勝手にそんな約束するのよ?」
ほのかは急に眉間にシワを寄せて、俺を睨んできた。確かに急にそんなことを言われたら、怪訝に思うのはわからなくはない。
「あっ、いや……なんでって……そうしないと第3四半期の目標が達成できないって所長が言うから」
「ははぁーん……所長のためなのね? ひらりん、所長に気に入られようとゴマを擦ったんだぁ」
「いや別に俺は、ゴマを擦ったりはしない」
俺は嘘偽りなくそう答えた。所長に気に入られようとか、ゴマをするなんて一切考えていない。
所長が俺たちを守るためにプライベートを売ろうとしてくれたことに対して、俺は純粋に所長を助けたいと思っただけだ。
しかしほのかは横を向いて不機嫌そうな顔でぶつぶつ言ってる。
「ちょっとはいい人だと信頼しかけてたのに……結局はひらりんも上司に媚を売るようなヤツだってことなんだ……それとも所長が美人だから?」
こりゃ、完全に誤解されてるな。
ちゃんと事情を説明しておいた方がよさそうだ。
「違うよ、ほのか」
「はぁ? なにが? 違くないでしょ?」
うっわ。すっげえおっかない顔つきで睨まれた。
ほのかって美人なのに、ホントに怖い顔をするよなぁ。
声もめちゃくちゃ不機嫌だし。
「いや違う。実は……」
──俺はほのかに、加賀谷製作所の専務の話をした。
そして所長が俺たち所員を守りたいと言ってくれたことも、俺は所長にそんなことをして欲しくないことも、だからこそ俺とほのかでなんとしても成果を上げたいことも。
包み隠さず俺の気持ちをほのかに伝えた。
「なにっ、それ……!? 加賀谷製作所の専務ってサイテーっ!」
「ああ、まあ……そうだな」
「そんな会社、潰れちゃえばいいのにっ!」
俺の話に共感してくれたのは嬉しいのだけれども、カチンときたほのかは、そんなことを口走った。
──いや、だけど。会社が潰れてしまえとか、それは違う。
俺は少し、悲しい気持ちになった。
「なぁ、ほのか……そんなことを言うなよ。どんなに嫌な経営者だとしても、そこで一生懸命働く人たちが居るんだ。生活がかかってる社員さんもいるんだから、会社が潰れたらいいなんて願うな」
ほのかはハッとした顔になった。
そしてそれから、半ば呆れたような顔に変わって、フッとため息をついた。
「ひらりん、アンタって……ホント、お人好しだね。しかもバカが付くくらい」
「ああ。バカだって思われてもいいよ俺は。いくらでもバカにしてくれ」
「なに言ってんのひらりん。あたしはバカになんかしてないじゃん」
「へっ……?」
俺、なんか誤解したかな?
ほのかは口を尖らせて、ちょっと不満そうだ。
「ひらりんのお人好しのバカさ加減にね……あたしは感動してるのっ!」
「えっ……?」
「アンタ……バカが付くくらいお人好しだけど、そういうとこ……ホント、いいよ。うん……いい」
なんかわからんけど、ほのかは自分で自分に語り掛けるように、何度もコクコクと頷いている。
栗色のゆるふわヘアがふわふわと揺れてるのが面白い。
そしてほのかは顔を上げて、俺の顔を真っすぐに見て口を開いた。
「よっしゃ! 所長のためにも、いっちょやったりますか! がんばりまっしょい!」
小さくガッツポーズをするほのかのくりっとした瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
そんなふうに言ってくれるなんて……
俺もちょっと感動した。目がうるうるしてるのが自分でもわかる。
「あ……ありがとう、ほのか!」
俺はほのかの言葉が嬉しくて、思わず両手でほのかの両手を握りしめた。
「あっ、いやっ、あのっ……」
ほのかは照れて真っ赤になってる。
俺もちょっと恥ずかしいけど、握った手を上下にブンブンと振った。
「あーっ、ほのか先輩が凛太先輩の手を握ってる!」
急に声が聞こえて振り返ると、ルカが右手をまっすぐ前に伸ばして、俺とほのかを指差している姿が目に入った。